口数が多い人ほど、行動しないしお金も出さない
黒坂岳央です。
「こういうのを販売してくれたら絶対買います!」 「直接会いたいのでオフイベント企画してください!」
こうした意見をこれまでそれなりの数を言われてきた。昔はこうした意見に対応するため、企画を立てたこともあったが今はもうやめた。その理由は「熱量高く、口数が多い人ほど実際には行動しないしお金も出さない」とわかったからだ。実際、有料ではなくたとえ無料でも彼らは来ない。
「せっかくの善意をバカにするな!」と怒られてしまいそうだし、もちろん、すべての人がそうだとは言わない。だが、この傾向は確実にあると思っている。
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「言っただけ」で満足してしまう人たち
この現象は決して、個人の性格の問題にとどまらない。人間の心理構造に根ざした普遍的な特性でもある。
たとえば、「今年は新しく◯◯をする!」と新年の抱負を宣言する人は多い。だが新年の抱負を宣言する人の中で、年末まで継続して行動する者はほとんどいない。人は目標を「公言」するだけで達成感を得てしまう。これは心理学でも実行意図の開示が動機を満たしてしまう現象として知られる。
つまり、「これをしたい!」と声に出した時点で、本人の中ではすでに“目標を宣言した”という満足が完了してしまってしまい、行動につながらないのだ。
もちろん宣言のすべてがダメだとは言っているわけではないし、ちゃんと有言実行する立派な人もいる。だが自分の願望を高らかに宣言すると、逆に行動力が落ちやすくなるケースは理解しておいて損はないだろう。
行動する人は静かである
一方で実際に支援してくれる人、イベントに参加してくれる人、お金を出してくれる人たちは、むしろ静かであることが多い。
筆者はこれまで何度もセミナーを開催してきたが、毎回欠かさず参加してくださる方々は、いずれも「必ず行きます!」などの連絡はまったく来ない。ただ、日程を発表すると何も言わずに即日で申し込みをしてくれ、当日は静かに座って聴いてくださるのだ。彼らは口数ではなく、参加という行動によって信頼と支援を示してくれる。
この傾向は、いわゆる「推し活」においても同様である。SNSで目立つ声援を送る者よりも、地味にグッズを買い、チケットを確保し、会場に足を運び続けるファンのほうが、その活動を継続的に支えていることが多い。
どこにでもいる「口だけ評論家」
これは会社員として働く職場でも似たような光景がある。筆者が業務改革の部署で働いている時に、
「もっとここの改善が必要だ!」 「現場の意見を聞くべきだ!」
と声高に言っていた抵抗勢力の一派がいた。彼らは口ではあれこれ文句をつけるが、代案は一切出さないし実際の改善現場に参画しようと手を挙げる人はまずいない。「今の業務で忙しい」「自分の仕事ではない」と安全地帯から口だけは出すが手を出すことはしない。
その一方で「よければ私、この業務経験あって資料作ってきました。よかったら使ってください」と手を差し伸べてくれる人もいた。こういう人は多くを語らず、実際に手を動かすのだ。
結局のところ、行動こそが誠意の証であり、人間の本音は言葉ではなく行動に表れるのだ。
人間の本音は行動に出る
世の中には「しゃべること」「意見を表明すること」だけで評価を得ようとする人が大変多い。
たとえば震災が支援への対応策、大阪万博に対して文句しか言わない人はSNSで元気よくあるべき論を言うが、彼らのほとんどは実際に現地に行かないし、寄付やグッズ購入を通じた応援などお金を使うこともまずしない。政治を批判しても決して投票にはいかない。
批判しかしないなら、ビール片手に野球選手にやじを飛ばす酔っ払いオヤジと同じである。口先だけなら誰でもなんとでも言える。だが、本当に心から応援したいと思っている人は口ではなく、行動で示す。人の本音は行動に出る。世の中で真に求められるのは評論家ではなく、行動に移す実務家なのだ。
◇
もちろん、「行動しない=誠意がない」とすべてを短絡的に決めつけるつもりはない。経済的な事情、地理的・身体的制約、家庭の事情など、行動に移せない理由は人それぞれである。オフイベントに参加できなくても、応援の気持ちは本物かもしれないし、寄付できなくても心は動いているかもしれない。
筆者は、「声をあげること」そのものを否定しているわけではない。ただし、それがどこまで現実的な行動に裏打ちされているかを、慎重に見極めるようになったということである。
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