決死の体当たりでヒグマを撃退した82歳老婆から学ぶべきこと…積丹町「副議長VS猟友会」収束も、人間が争っている場合なのか?(集英社オンライン)
この、生物としての生存をかけた緊張状態のさなか、我々人間は一体何をしているのか。 北海道積丹町で起きた一つの騒動は、迫りくる脅威の前で、人間がいかに無益な内紛に時間を浪費しうるか、その愚かさを象徴している。 2025年9月27日、北海道積丹町。体長約2メートル、体重284キロという巨大なオスのヒグマが箱罠で捕獲された。現場には猟友会のハンター9名と役場職員3名が駆けつけた。ライフル銃の射程は3キロにも及び、跳弾の危険性も予測できない。まさに命がけの、一触即発の現場である。 そこに、一人の人物が現れる。町議会の海田一時副議長である。 土地の所有者でもある副議長に対し、ハンターは安全確保のために現場から離れるよう指示した。専門家として当然の措置である。危機管理において、現場の専門家の指示は絶対であるべきだ。 しかし、副議長から返ってきた言葉は、危機管理の現場において最も唾棄すべき「権威主義」の悪臭を放つものだった。 「誰にものを言ってるのよ?」 「お前、俺のこと知らねえのか?」
目の前には284キロの死の脅威が、鉄の檻を破壊しかねない勢いで存在している。しかし、副議長の意識は、目前のヒグマではなく、自らの「身分」が現場のハンターに尊重されるかどうかにのみ向いていた。 口論はエスカレートし、副議長は専門家たちにさらなる暴言を浴びせたと報じられている。「こんなに人数が必要なのか」「金もらえるからだろう」「おれにそんなことするなら駆除もさせないようにするし、議会で予算も減らすからな」「辞めさせてやる」。 これは、もはや単なる口論ではない。ヒグマという共通の敵を前に、最前線で命を張るボランティア(猟友会は多くの場合、義務ではなく善意で協力している)の専門性を踏みにじり、自らの政治的地位を凶器として振りかざす、無慈悲な破壊行為である。
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ハンター側の証言によれば、この副議長は以前から狩りの現場に現れては「お前らは下手くそだ」などと誹謗中傷を繰り返していたという。積年の鬱憤が、この暴言で爆発した形だ。 結果、猟友会は「安全確保ができない」として、積丹町からの出動要請を1か月半近く拒否する事態に発展した。猟友会は「怒りに任せて『出動拒否』しているわけではない」と明言している。 副議長のような人物が現場に無秩序に介入する限り、安全な駆除活動は不可能であるという、論理的かつ当然の帰結である。 この間、クマは小学校のすぐ目の前に出没した。だが、ハンターは出動しない。いや、出動「できない」のである。役場職員と警察官が見回りをするしかないという、異常事態が続いた。 「お前、俺のこと知らねえのか?」という問いは、皮肉にも、副議長自身が「目の前のヒグマが何であるか」「猟友会が何であるか」を全く理解していないことを露呈した。 後に副議長は議会で謝罪に追い込まれたが、地元テレビの取材には「僕は悪くない」「なんで謝らなければいけないの?」と反論していた。この自己中心的な態度が、共同体全体の安全を危険にさらしているという自覚は、そこにはない。
迫りくる獣の脅威を前に、人間同士が「誰が偉いか」という、最も原始的で不毛な序列争いを演じる。ヒグマはこの滑稽な茶番劇を、静かに待ってはくれない。 日本が、このような無益な対立と形式的な「マニュアル作り」に時間を浪費している間、我々が直視すべき「戦い」の記録が、アメリカ・コロラド州にある。この模様は、イギリス・ミラー紙に詳しい。(https://www.mirror.co.uk/news/us-news/woman-82-fights-100lb-bear-30701883) 2023年8月、82歳の老婆が、自宅に侵入したクマを素手で撃退した。 事件は未明に起きた。老婆はベッドで就寝中、大きな物音と愛犬の唸り声で目を覚ました。彼女が玄関ホールのような「泥室」の二重ドアを開けると、そこにクマがいた。 体重約45キロの小型の黒クマ。日本のヒグマよりはるかに小さいとはいえ、相手は82歳の高齢者であり、場所は逃げ場のない「自宅内」である。 クマは老婆に気づくと、即座に飛びかかってきた。 この瞬間、82歳の老婆が取った行動は、積丹町の副議長とは対極にある。彼女は「私を誰だと思っている」などとクマに問いたださなかった。彼女は悲鳴を上げて凍りつくことも、パニックで背中を見せることもしなかった。