大阪万博が行ったら絶対楽しい理由と、賛成派も考えるべき「課題」とは何かという話

科学・文化

メディアでは事前には「批判一色」みたいな感じだった大阪万博、「批判するには行ってから」と思って4月20日日曜日に行ってきたんですけど、結論としては

めっっっっっっっっちゃ楽しかった

…です。

これは行ける人は皆行った方がいいです。とにかく「万博」っていうフォーマット自体があまりに贅沢で、色んな問題点を吹き飛ばす魅力があるんですよね。

もちろん、「万博批判派」の言ってることも一部にはまあまあ理解できる部分はあるんですが、ただSNSで目立つ万博批判派って、事実も事実じゃないデマも一緒くたにして「とにかく全力でディスってやろう」みたいなものも多くて、冷静な議論が吹き飛んでしまってますよね。

例えば、あとで触れますが「2億円トイレ」とかいう話は全く無駄遣いでも不正でもないんだけど、そういうキャッチーなデマに乗っかって万博主催者をとにかくディスりまくる投稿が溢れかえっていて、マトモな話にならない。

ただ一方でそんな中、x(Twitter)で結構前からフォローしてた、「私の実家の近所の商店街を代表してるライターさん」が「万博批判本」を監修されたということで、地元のヨシミで(って直接は知らない人だけど)読んでみたら、色々と案外共感する部分もあったんですね。

これはこれで一理あるというか、結構万博賛成派の人も考えてみるべき点はあるんじゃないかと思う部分もありまして・・・

SNSであふれる「2億円トイレが」的なデマの部分を丁寧に取り除いて、

「大真面目な批判派の言い分のコアのコア」だけを厳選して解きほぐしてテーブルに載せると、その論点自体は、こういう再開発や巨大イベントに賛成の人でも「なるほど一理あるしこれから考えなくてはいけないテーマだね」ということになる部分は十分ある

…と思いました。

というわけで、今回記事では、

万博というフォーマットがいかに贅沢で、開催した以上は行かないと損である理由

…を書くと同時に、

批判派の言ってることの中で、賛成派もこれから真剣に考えてみたほうが良いポイントはどこにあるのか

…を掘り下げてみようと思います。

1. 「万博」っていう存在自体が贅沢すぎるフォーマットなんで開催したからには行かないと損

私は関西生まれ育ちですけどもう関西に住んでないので、あんまり事前の関心は高くなくて、妻と義実家の親戚が行きたいというのでついてってみた、ぐらいの感じだったんですけど…

ただ実際行ってみると、ゲート入って大屋根リングやミャクミャク像が見えてきた時点で「なんかすげえ楽しい!」ってなってました。

曇天で少し涼しかったのも良かった。夏はヤバそうw

やはり単純に言って、「万博」というフォーマットがものすごく贅沢な存在で、お金かけて開催しちゃった以上は行かないと勿体ないです。それは間違いない。

「万博」の何が贅沢かっていうと、主催者である日本は「器」を作るだけでいいんですよね。

その「器」の上に、世界各国が彼ら自身のお金と彼ら自身の威信をかけて、必死に出し物を考えてくれて、それが「一箇所に全部盛り」になってるんだから、楽しくないはずがないです。

カラバッジオの『キリストの埋葬』の本物とか、古代ローマの有名な彫刻の実物とか、ダヴィンチの直筆原稿とかがこれでもかと展示されてるイタリア館が話題ですけど、それ以外の各国も、有名な国もあまり有名でない国も含めて皆真剣に何かを展示してくれてる感じがあるんですよね。

何より、嫌らしい話ですけど「彼らの予算で」粋を集めたパビリオンを作ってくれてるのが贅沢さの原因だなと思います(笑)そこが万博のすごいところで。

「日本の主催者の予算でなく世界各国の予算」で、「世界各国のそれぞれの国が考える威信をかけた展示」が全部載せになっていて、イベントもあちこちでやってるんで、結構広い会場ですけど「ギュウギュウに何かが詰まってる」感じになってるんですよね。

私が一日歩いただけで意図せず遭遇したものでも、アメリカの黒人グループがやってるボディパーカッションダンスのイベントとか、(おそらく)タイの民族舞踏のステージとか、あとSNSで話題になってるものといえばモーツァルトの「トルコ行進曲」の元になったようなホンモノのトルコの行進曲パレードとか、あと各国パビリオンの中にあるレストランとか珈琲店とかもそれぞれの国らしさが溢れていて、そこらじゅうで「ホンモノ」が見れる感じなんですよ。

期間中の平日に、まだそれほど暑くなる前にあと少なくとも一回は行けたらいいなと思ってます(イタリア館の予約が6月半ばに取れたのでその日に行く予定)。

2. 「これを見なきゃ」というより「偶然の出会い」を楽しむつもりで

とはいえ、比較的まだ空いてるとはいえ休日は予約必要なパビリオンにはほとんど入れない(一個か二個当たればラッキー)みたいな感じではあります。

ただ、特定の何かを絶対見なきゃと思って行くと不満がたまりますが、「見れるとこ見れたらいいな」という感じだと案外楽しめるんですよね。

なんせ必死に1日中回りまくっても全体の1〜2割ぐらいも見れないぐらいの「盛りだくさん」イベントなので、結局私は予約抽選が必要なパビリオンには一個も入れなかったんですが、それでもほとんど苦ではなかったです。(ちゃんと事前抽選をこまめに出して情報を集めてればもうちょっと話題のパビリオンにも入れたはず)

「話題のパビリオン全部まわりたい」とかなるとすごい作戦と情報収集が必要ですけど、色々見て回って楽しそうなところに入れたら良いな、だと色んな思い出が残る。

なんなら「話題のところ」に行けないことによって、逆に意外な出会いがある・・・という構造すらありそう。有名どころに全部入れちゃうと当然の結果としてマイナーなパビリオンには行かずに終わりますからね。

「子ども向け」とは言い難いイベントだという意見もあるけど、関西圏にいてお子さんがいる方は一度は連れてったげると良いと思います。

僕は昔1990年の「大阪花の博覧会」に小学生の時に行った記憶がある(今回の万博よりはグレードが下の大会らしいですが)んだけど、特に「人気パビリオン」って感じじゃなかったあるマイナーパビリオンにハマって、一日に3回ぐらい入場して楽しんだ記憶があるんですよね。

中で選択肢を選ぶとそれに応じてストーリーが変わっていって、来場者はそれぞれのストーリーの延長の部屋に入っていくんだけど、最後のところで一つに集まって大団円っていうパビリオンだった。

「チェコスロバキア館」だった記憶があるんだけど(違うかも)、検索しても出てこない・・・ってぐらいマイナーなパビリオンだったんですが、当時も「最人気パビリオンは6時間待ち」とかだったからこそ、むしろ「誰も知らない掘り出し物」に出会えた、という因果関係はあったと思います。

それでも、「日常の延長では出会わない異文化体験」として、今だに個人的に思い出すぐらいの体験になってるんで、関西でお子さんがいるなら、一度は連れてったげて、その子が「盛りだくさんすぎる中から何に出会って興味を持つか」の運命に任せてあげるといいと思います。

つまり、なんせ万博はあまりに「全部盛り」すぎるイベントだから、「世間的に有名な」じゃないところでも「自分が」楽しめる場所を見つけることができるはずなんですね。

そういう精神で楽しむつもりで、行ける人はぜひ行ってみることをおすすめします。

「大屋根リング」とかも、まあ観点によっては無駄遣いっちゃ無駄遣いでしょうけど実物見るとやはり単純に圧倒されるデカさがあって良かったです。木造建築の国の威信、みたいなのを感じて、来場者はだいたい高評価の人が多いと思います。(この朝日新聞の記事によると、リングについて来場者の61.3%が「とても満足」、25.1%が「やや満足」と答えたらしい)

京都の清水寺とかを思い出すような、日本人なら自然と見慣れてる木造の建築構造が、街なかにあるコンクリートの構築物よりもさらに圧倒するようなスケールでドッカーンと建っていて、世界各国から集まってギュウギュウに林立しているパビリオンたちをグルリと取り囲んでいるのを見ると、そのこと自体が何か自分の中の常識を更新してくれる感じがありました。

この「ある意味単純だけど壮大なアイデア」を評価して、予算かけて実際にやっちゃったのはある意味すごいなと。

例えば東京の国立競技場のザハ・ハディド案みたいな「バカでかい想像力爆発プラン」が、現実的な事情からチマチマと削られて現実的な案に落とし込まれちゃった(あげく全然違うものが建っちゃった)ことについて怒りを感じてるっていう人は時々見かけますが、そういうのをどう考えるかは難しい課題ですよね。

僕は人間のキャラクターとしてそこまでそういう「巨大な想像力爆発の建築!」に心理的に入れあげたりするタイプではないし、むしろニュースを見てた時点では大屋根リングに「否定派」寄りの感覚を持っていたので、「実際にやっちゃった」モノを間近で体験したことによる大きな心理的効果を考えると、ちょっと考えを変えさせられる面もありました。

あとで述べるように(リンクあとで貼ります)僕は「ミャクミャク」はほんとマジで好きというか、アレを選んだセンスにはものすごくシンパシーを感じてたんですが、大屋根リングを作った人たちの精神が考えていたものへの敬意みたいなのも、会場の雰囲気が思いの外すごい良かったので見直さざるを得ない気持ちになる部分があったんですよね。

こういう「大きなチャレンジ」を社会の中でどう考えるのか、という話は後々掘り下げます。

3. 運営がグダグダなのは確か・・・・

一方で、「俺は万博マニアだが大阪万博には失望した!」って言ってる東京に住んでるニュージーランド人のツイートがバズってましたが、ここで言われてることはまあ、確かにと思う感じでした。

★★☆☆☆ #EXPO2025 Osaka: A Soul-Crushing Flop That Shattered My Expo Dreams

As a die-hard World Expo geek, I’ve crisscrossed the globe for these dazzling showcases of human ingenuity and culture— Shanghai 2010’s urban spectacle, Yeosu 2012’s coastal charm, … pic.twitter.com/ZogHPont2N

— Cole Cameron (@colecameron) April 25, 2025

まず公式アプリがわかりづらい。

さっき書いたような「偶然の出会いに任せる」方式ではなくて、「ちゃんと計画して目的のパビリオンを回って・・」みたいなことをしたいタイプの人からするとめちゃくちゃに混乱している印象になると思います。

「並ばずに済む万博」を目指したのはいいけど実際そうなってないし、結果として予約システムが複雑すぎてわけがわからない。(一日体験して裏側もある程度想像できるようになってみると、その意図はわからんでもないなという感じになってきた部分はありますが・・・)

そもそも単純に、公式マップ自体が見づらすぎてどこに何があるかわからないという声をめっちゃたくさん聞きました。

僕はこの↓非関係者の有志の人が作った最強の地図を携帯に保存してたので万全でしたが(リンク先の画像保存オススメです)、この地図を知らないで参加してた知人は公式地図の使いづらさに憤慨してました。

万博のパビリオン巡りを主目的とした地図をVer2.00にバージョンアップ (リンクはGoogledriveのpdf)https://t.co/NCIJK7DmiD ・パビリオンの入場方法を最新情報(4/24)に更新 ・飲食関係(水飲み場含む)、エレベーター、 当日予約登録の場所を追加

ネットプリント、根拠資料、今後の更新等はリプに pic.twitter.com/fDnUG4gHDF

— つじ@万博2/7回目 (@t_tsuji) April 24, 2025

その他、ギリギリまでパビリオンの建設が間に合わないんじゃないかという状況だった(いくつかのパビリオンはまだ未完成のまま)こととか、初日は悪天候の中携帯の電波が足りてなくて電子チケットを確認できず入場させられなかったトラブルがあったりとか、あまり褒められたものじゃない混乱は色々あった。

あと、僕はTwitter(x)見ながら「今ここ空いてるよ!」「ここのレストラン待ち時間短くて美味しいよ!」とかいう情報をリアルタイムで拾って、それに応じて動いてたんですが、そういう情報ソースがないと「あまりにもわけがわからなすぎる」状態のまま終わってしまった可能性はあるなと思います。

その他、僕は全然入れなかったので、今のところ判断保留ですが、「日本のパビリオン」が最先端技術の展示という意味で物足りないという批判はさっきのツイートを含めて外国人を中心にちらほら見ます。

そういう「ガチの技術開発」への開発費投入が劣後しかかってるのに、万博みたいな巨大イベントに金使ってる場合か?というのは確かに考えるべき課題としてあるはず。

4. グダグダになったのは「電通」が関わって”ない”からだという意外な因果関係

ただ、なぜ大阪万博は運営がグダグダなのか?を深堀りしてみると、ものすごい意外なことがわかってくるんですね。

大阪万博が混乱してるのは、単純化して言えば

「電通」がちゃんと手掛けてないから

…だそうです。

これは、この記事冒頭で紹介した、「ガチの万博反対派」的な立場の人が集まって書いたこの本に詳細に書いてあったことなんで逆に信憑性が高いなと思うんですが。

東京五輪関連の汚職事件とかで電通がこういう大きなイベントごとからできるだけ手を引く方針になり、さらに吉本興業も、松本人志氏に関する問題とか、その他色々の件があって関与が及び腰になり、さらに経産省出身の役人でこういう分野に造詣が深くてやる気があった人もちょっとした「文春砲」で排除され・・・となったことで、

こういうメガイベントをやったことがない素人集団だけがポツンと残された

…感じになってしまっていたらしい。

こういう国際イベントってありとあらゆる各国の事情を汲み取りつつ、パビリオンを各国が建てる時の法律問題の処理や建設会社の紹介や、経済的にそれほど余裕がない国向けのフィナンスの手当や、メディアを巻き込んだ周知キャンペーンの積み上げや・・・と「その道の経験」がないととてもちゃんとこなせないタスクが山積みらしいんですが・・・

今まで日本ではそこは「電通」が一手にやってたので、他の会社にあまり経験が溜まってなくて、その「頼りの電通」が抜けたのでグダグダになってしまったらしい。

上記のニュージーランド人も、電通(電通”省”ww)が関わってないことが理由では?みたいな話してましたがw

Was the Ministry of Dentsu involved? Dentsu usually produce good stuff.

— Cole Cameron (@colecameron) April 27, 2025

この人↑は同じスレッドで「2019年のラグビーワールドカップ日本大会は最高のイベントだった」って言ってましたけど、その頃まではこういうイベントは電通がガッツリとコントロールして司令塔として差配してたから上手く行ってたんですね。

東京五輪も、電通がめっちゃ関わってたので、コロナ関連の大混乱はあったけど概ね諸外国からは高評価な運営だったですよね。

要するに、

今の混乱は「2019年ぐらいまでの日本が何かやるとなったら一丸となって強引に実現させていたメカニズム」が色んな批判にさらされてグダグダになっちゃったんだけど、さりとて「その次」をどうやって回していけばいいのか誰もわかってない状態・・・みたいな現象

…なのだという見方ができると思います。

5. 「土俵際で責任持ってくれる存在」を全員引きずり下ろしたら誰も責任取れなくなった状態をいかに乗り越えられるか?

じゃあだからといって、電通の汚職をそのままにしておいて良かったのかとか、そういう話でもないわけで、批判によって「今までの日本社会の中心だった勢力」が徐々に道を明け渡す感じになってる事自体は、まあしょうがない側面もあったと考えるしかないのだと思います。

そのことのポジティブな面も明らかにあるはずなので。

とはいえ、そういう「今まで最後の土俵際で責任持ってくれてた存在」を引きずり下ろしたのだから、それを批判していた側が今度は「土俵際で責任持つ存在」になっていかないといけないんだけど、まあ現状まだそういう機運ができてないので、なんかどんどんグダグダになってしまっているところがある。

例えば、なんか万博関連でいえば「2億円トイレ」みたいな話が話題になってましたが、以下のウェブサイトが詳細にファクトチェックしてくれてますが、大した問題がある話ではない部分をかなり無理矢理批判に結びつけて騒いでいる感じなんですよね。

【徹底考察】大阪関西万博「2億円トイレ」問題とは何だったのか?若手建築家・米澤隆氏へのメディアリンチとSNS炎上、建築界への影響、そして未来への処方箋
スポンサードリンクW6 はじめに:なぜ「2億円トイレ」はここまで社会を揺らしたのか?   2025年4月13日に華々しく開幕した大阪・関西万博。その期待の中で、誰も予想しなかった形で強烈な注目を浴びた施設があり ...

平方メートル単価に直すと「一般的な公共トイレ」よりも大幅に下回る水準でしかなく、かつ万博終了後に解体する費用込みの入札であるために少しチープに見えるものになっているということなんですね。

「電通的な存在が盤石に差配してくれてる」状態なら、無理筋でも批判できればいいみたいな話で良かったんですが、誰も責任取れなくなってきてるなら、むしろ真剣に「どうしたら良くなるのか」を自分ごととして考える責任があらゆる人に生まれつつある現状があるということなのだと思います。

6. 「電通・吉本・自民党」型の「全部お任せしてれば盤石」モードが解体されたのは良いこと。でもその分生まれる責任に向き合う準備がこれから必要

繰り返すように、「電通・吉本・自民党(あとは霞が関?)」が全部ほっといたら何とかしてくれる時代じゃなくなったのは、良い面もあるはずですよね。

彼らは「盤石に破綻させずに」回す能力はすごくあるけど、大きな時代の変化に対応して色々と大きな組み換えが必要な課題はほったらかしになりがちだし、ある種の「マイノリティ」属性の人の活躍の場が絞られてしまいがちみたいな課題もある。

特に大きな課題だな、と思うのが、日本における「ガチの研究開発費用」的な部分の投資が細っている部分で・・・

私が今月行った時には万博の「日本によるパビリオン」は全然見れなかったので個人的な判断は保留ですが、「最先端技術の展示」としては少し見劣りするものだった・・という評価をしている外国人の感想がチラホラある部分が気になる。

万博会場への自動運転バスも、トラブルが色々あるらしい空飛ぶクルマも、アメリカのシリコンバレーや中国の一部なんかでは「ガチの実用化」段階にあるものも多い一方で、関西万博はなんか「デモ機」レベルな上に色々トラブルが起きているらしいし。

世界中で「ガチの人間型アンドロイド」が工場に実戦投入されるかどうか、という話が現実味を帯び始めている時に、マツコ・デラックス型のロボットがウネウネ動いている研究でいいのか?、みたいな批判については、(繰り返すように僕は6月に再度訪問して実際見るまで判断保留ですが)考えるべき課題ではあると思います。

これは私の新刊『論破という病』でも、ロボット技術の蓄積がある日本が今ちゃんと踏み込んで投資すべきタイミングなんだという話をしていた話題なんですが・・・

この「マツコ・デラックス型ロボット」、日本人訪問者の評価は「超高い」ことが多いんですけど・・・

大阪万博、石黒浩館はマジで見た方が良いと思いました、突出してた #EXPO2025 pic.twitter.com/KeSU0CcitQ

— 市原えつこ / Etsuko Ichihara (@etsuko_ichihara) April 22, 2025

この方↓は日本人と結婚して日本在住のフランス人記者の方ですが、かなり批判的な投稿をこのパビリオンに対して連続でアップしてます。

「大阪・関西万博の石黒氏のパビリオンがすごい」と高く評価する日本人が多いですが、私と他のフランス人記者やAI専門家はすごく違和感を覚えて、こんな未来は嫌だと思った。文化の違いなのか?石黒氏のパビリオンは科学パビリオンと思わないし、ロボットは何がすごいか分からないし、20年前の石黒先… pic.twitter.com/AScwVaOGRa

— 西村 カリン (Karyn NISHIMURA) (@karyn_nishi) April 23, 2025

テスラの人型ロボット「オプティマス」みたいな方向性と石黒教授の研究は全然方向性が違うし、このパビリオンは「技術」を見せるのではなく「ある種のアーティスト的な世界観」を見せるものとして秀逸だった(実は石黒ロボットの運動性能は結構良いのだという話も小耳に挟んだりして)という可能性もありますが、ここ数年AIが異常進化しはじめてから世界中で巨額投資されて試されてる技術トレンドに対して置いていかれてるのでは?という懸念は拭えないですね。

そういう意味では、今回の万博について賛成派の人も、この「国全体で見た予算の割り振り」という観点では色々考えてみて欲しいんですね。

それが「賛成派の人も一緒に考えるべき批判派の意見のポイント」ということなんですよ。

7. 巨額の土木投資が必要なメガイベントの今後

例えば、今回の万博を一個やるのに、会場費だけで2350億円とかかかってる(しかも半年で取り壊しちゃう)んですが、なんと年間の日本の「科研費」が全国の大学の研究室分合わせても2377億円とかでしかない中、日本はこういう「土木投資巨額イベント」となると財布の紐が緩みがちだという批判はまあ免れないと思います。

それに比べると今中国は「中国製造2025」という国家的大投資計画をやってて、総額は秘密に包まれてて想像もつかないですが最先端技術投資に数千億ドル(50”兆”円とかのレベル)の国家投資に加えてさらになりふり構わない減税優遇と低利融資補助をバカスカ投入してたりする。

さっきの日本の「科研費」は”年間”の数字だし純粋学術分野だけの数字だからそのまま比べられるものではないけれども、とはいえ「桁が違う!」感じはありますね。

もちろん、この中国のやり方は「資本主義社会のルール破り」的な話ではあるんですよ。

本来国民の福祉に投資して自分たちの国民の購買力を伸ばして経済を安定化させるべきところ、中国国民の生活向上にはカネを使わず耐乏生活をさせつつ、そもそも「ニーズ」自体がまだないところの最先端技術(ドローン、EV、太陽光パネルその他)に儲け度外視の天文学的国家予算を注ぎ込んで技術力で圧倒的に世界を凌駕しつつある領域がいくつも出てきている。

問題は、「ニーズ」がないのに国家的意図で巨額投資して製品を作りまくってるので、市場経済がおかしくなって中国国内もすごい不況になってしまってるし、中国全体として世界市場に対するものすごいダンピング(不当廉売行為)になって世界市場から締め出されかかってるし・・・という事になってることなんですね。

そういう意味では、日本は中国と同じことは絶対できないしやるべきでもないが、そのあたりで日本がどう対処していかなきゃいけないかといえば、以下記事で書いたように、

「マジモンの汚職大国」=中国の”本気”が見られる名著の紹介と、それに日本はどう対抗すべきか?という話。|倉本圭造
今年の年末年始に時間がある時に読むのにすごいオススメな本を紹介したいんですが・・・ この本↓、単純にめっちゃ面白い上に、中国という国の実像についてものすごく考えさせられるし、その上で日本はどうやってこの「困った巨人」と付き合ったり対抗したり競争したりしていけばいいのか・・・について本気で考えるためにものすごく重要な情...

中国のようにあまりに国家主導の過剰投資で市場を歪めてしまうことなく、市場経済のニーズの動向を丁寧に把握しながら、とはいえ「経済に国家予算で関与するのは良くない」とか言ってる時代ではなくなってる中で、国家主導の巨額投資が必要な部分ではちゃんとやっていく

…という「丁寧な転換」が今まさに必要とされてるんですが、なかなか、そういう「新しい路線」が形になる流れが実現できてない。

そういう「代替ムーブメント」をいかに設計していけるかが、「万博批判」が新しい日本の基調にまで転換していく上で必要な課題だと言えるでしょう。

8. ただ、国家主導の最先端技術投資競争の時代だからこそ万博の意義もあるのでは?

ただね!

ここで考えてみて欲しいのは、そういう国家主導の最先端技術投資競争の時代だからこそ、「万博」って大事なんじゃないの?っていう部分もあるんですよね。

アメリカとか、そういう「最先端競争をしている人たち」と「それ以外」があまりに心理的に分離しすぎてしまって大問題になってますよね。

中国がなりふり構わぬ国家主導の巨額投資ができているのは、「異論を徹底的に封殺する社会」だからであって、それ自体が不健全なことはいうまでもないですよね。

今回の万博について

「日本の出版業界における”新書”みたいなコンテンツがまとまってるイベントで、それに物足りない層もそこまで興味ない層も反発してる」

っていうような発現をSNSのどこかで見かけてすごい納得感があったんですが、でも「新書」って日本文化のすごい重要な要素だと思うんですよ。

「最先端研究」をしている人が、「普通の人の中で知的好奇心が一応ある」人に向けて、千円ちょっとで買って読んだらその空気を大づかみに理解できるダイジェストを提供してる

…ていうカルチャーですよね。

そりゃ「自分自身が最先端」だと思ってる人には物足りないかもしれないし、どんな人でも手にとって読んで面白いかっていうとちょっと敷居が高いかもしれない。

でもその「新書」領域で「最先端」と「みんな」を繋ぐ努力をしないといけないよね・・・という部分を日本社会がかなり重視するカルチャーがあること自体は、世界に誇れる美点だと個人的には感じてます。

「最先端ロボット」をそのまま科学展みたいにするだけでなくて、「世界観」込みでマツコ・デラックス型のロボットが動いてるのを見せることで、それを見た子どもが興味を持って将来科学を志すかもしれない。

その「間を繋ごうとする」意志って、今の時代「俺こそ知的な最先端人間」と思ってる人たちからも、ちょっとでも「知的」に見えるものを全部憎悪するしかなくなっちゃってる境遇の人たちからも両方から敵視されがちですが、でもそれってすごい大事なことですよね。

個人的に、万博行く前は個人的に結構冷ややかな気持ちもあったんだけど、いざ会場行ってみるとその「万博の精神」自体は今の時代すごく必要なものだな!って強く思ったんですよね。

だから、これからも定期的に、可能なら「万博」がある日本であったらいいなと個人的に思うところがありました。

もちろん、こういう「新書型機能」をもっと低コストで別の形でちゃんと実現できる新しいフォーマットを発明できたらそれが一番良いのかもですが・・・

9. 「イベントをやる・やらない」の二択ではなく、予算配分を「メタ正義」的にやれるかどうか

今、「万博批判派」は、「巨大イベントに対する反発心や忌避感」が高まってる現状を吸い上げて体現しているとは思いますが、じゃあこの

「社会の中の”新書”的機能」=「万博」の存在意義をこれからどう代替していくのか?

…という部分がまだ誰も見えてないので、ひょっとすると徐々に耐用年数来てるかもしれない「万博」フォーマットから人々は離れられないみたいなところはあるなと思います。

そういうところで「新しい納得感のある投資先の振り向けバランス」を作っていく必要があるんですね。それができない限り「今までの惰性」の投資の仕方を続けてしまうので・・・

そういう意味では、万博賛成派の「言っていること」ではなく「本質的な存在意義」に向き合い、その「相手側の正義」も取り込んで自分たちが体現することによってのみ、その対立党派を本当の意味で乗り越えることができるという「メタ正義」的発想が必要な領域がここにはあるんですね。

実際、日本国全体の予算規模は年間百兆円を超えてるんで、「ごくたまにやるイベントに数千億円」はこれからも決して払えない額というわけではないはずなんですよ。

続きの記事で詳しく書きますが、大阪維新だけで見ても、大阪府政を握った2008年から今までぐらいの間に、数兆円規模ぐらいの財政再建効果を出してるので、その規模感からみても、「皆のためになると納得されるなら」数千億のイベントをやる意義は今後もありえる。

ただ

・「他の費目とのバランスにおける納得感」をいかに持てるようにするか?

…という部分での、新しい「メタ正義」的な調整がこれから必要ってことなんですね。

「自分たちの関心分野には全然カネ使われてないのに!」と多くの人が思っている状態ではこういうイベント投資は文句を言われ続けて混乱し続けるでしょう。

「電通とか吉本とか自民党とか霞が関とか」の「今までの日本を崩壊から守りとりあえず目先の仕事を回してきた存在」に批判的な人が、「自分たちこそがそれを代替する覚悟を持って準備を進めるのだ」という蓄積を積んでいくことが必要なタイミングだと言えますね。

そのためには、今は

「俺達は善で正しくて賢いがあいつらは悪で間違っててアホだ」

しか実は言ってない20世紀型の党派争いを超えて、

「相手の存在意義ごと代替できる新しいムーブメントを自らが設計していく”メタ正義”的チャレンジ」

が必要です。

そういう意味で、この記事に続く後編では、「大阪維新の会」という非常に毀誉褒貶の激しい存在について客観的に理解し、問題があるとしたらどこにあり、それを乗り越える可能性はどうやったら見えてくるのか?という話をします。

維新のやり方が気に食わないとしても、「2億円トイレが・・」とか事実に基づかない無理くりな批判をしてても活路は見いだせないですよね。

もちろん「無内容でも攻撃してスカッとできれば俺はそれでいいんだ」っていう人は読む必要はないですが、なんとかしたいという方はぜひ以下リンク先から「大阪維新」についての深堀り記事をお読みください。

万博にあたって改めて大阪における維新人気を考える。|倉本圭造
一個前の記事で、大阪万博について書きました。 開幕前はそこまで興味なかったし、寄せられてる批判も納得感があったんですが、実際行ってみるとその気持ちを覆されるぐらいにかなり良かったんですよね。 その点、大阪維新を含めて実際に関西万博を推進してる人たちの事を見直した気持ちになりました。(上記記事は、とはいえ”批判派”...

分断の時代に必要な「メタ正義的発想」とは何か?それをどうやって本当の意味で解決する議論をしていけばいいのか?は、私の渾身の新書をお読みいただければと思います。

論破という病 「分断の時代」の日本人の使命

長い記事をここまで読んでいただいてありがとうございました。

ここ以後は、実際単純に個人的な「万博体験記」みたいなもの、写真つきで色々と聞いてほしいと思っています。

やっぱり、実際のその国のスタッフさんとかがその場にいながら運営してるのを見ると、「お国柄」ってあるよなあ、って感じられてすごい面白いんですよね。

やはり、

・「アメリカとかシンガポールとか」のネオリベ世界 ・中東系の案外良くも悪くも上品で安定してる世界観 ・歴史の重み!がものすごい中国

・欧州系のマイペースな理想主義・・・

と、それぞれの「カルチャーの方向性」の違いはものすごくあって、単純に「欧米=善」と言い切れなくなっていく時代にはお互いを参考にしあう面も必要なのでは?というような話を聞いて下さい。

あとは僕が食べた「万博グルメ」とかの感想とかもありますw

写真もいっぱいあるので、ぜひ読んでみていただければと!

つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。

編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2025年4月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。

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