【グッズ】土偶ぬい、光る頭骨クッション「古代DNA―日本人のきた道―」国立科学博物館で3月15日開幕

国立科学博物館(東京・上野公園)で3月15日から6月15日まで開催される特別展「古代DNA―日本人のきた道―」のグッズが発表されました。暗闇で光る頭骨クッションなど個性的なラインアップです。

頭骨クッション 3,300円

サイズ:横約 28cm×高さ約 18cm×奥行き約 30cm

子宝の女神 ラヴィ ぬいぐるみ 2,640 円

「妊娠状態を表す土偶」南アルプス市教育委員会 より着想サイズ:横約 25cm×高さ約 34cm×奥行き約 10cm

ぴ~す ぬいぐるみ 2,200 円

「人体文様付有孔鍔付土器」南アルプス市教育委員会 より着想サイズ:横約 28cm×高さ約 30cm×奥行き約 5cm(※手と足を広げた状態)

馬形埴輪 ぬいぐるみ 1,760円

「茶山2号墳馬形埴輪」羽曳野市教育委員会 より着想

サイズ:(正面から見て)横約6cm×高さ約15cm×奥行き約20cm

※商品ラインアップ、商品名、価格、デザイン、仕様などは変更になる場合がございます。※画像はイメージです。※価格は税込みです。※現時点ではオンラインでの販売予定はございません。※その他グッズに関する注意事項につきましては展覧会公式サイトでご確認ください。

◇【記者会見】特別展「古代DNA―日本人のきた道―」国立科学博物館で3月15日から

特別展「古代DNA―日本人のきた道―」 会場:国立科学博物館(東京都台東区上野公園7-20) 会期:2025年3月15日(土)~6月15日(日) 開館時間:9時~17時(入場は16時30分まで) ※ただし毎週土曜日、4月27日(日)~5月6日(火・休)は19時まで延長(入場は18時30分まで) ※常設展示は4月26日(土)~5月6日(火・休)は18時閉館(入場は17時30分まで)

それ以外の期間、常設展示は17時閉館(入場は16時30分まで)

休館日:月曜日、5月7日(水)※ただし3月31日(月)、4月28日(月)、5月5日(月・祝)、6月9日(月)は開館。 入場料: 一般・大学生|当日券 2,100円 前売券 2,000円 小・中・高校生|当日券 600円 前売券 500円 ※前売券は3月14日(金)まで販売 ※未就学児は無料。 ※障害者手帳をお持ちの方とその介護者1名は無料。

※学生証、各種証明書をお持ちの方は、入場の際にご提示ください。

お問合せ:050-5541-8600(ハローダイヤル) 展覧会公式サイト 展覧会公式X

プレビュー

遺跡から発掘された古代の人々の骨に残るごく僅かなDNAを解読し、人類の足跡をたどる古代DNA研究。近年では技術の発展とともに飛躍的な進化を遂げ、ホモ・サピエンスの歩んできた道のりが従来想像されていたよりもはるかに複雑であったことが分かってきました。本展では、日本各地の古人骨や考古資料、高精細の古人頭骨CG映像などによって、最新の研究で見えてきた遥かなる日本人のきた道と、集団の歴史が語る未来へのメッセージを伝えます。

見どころ1:今もなお現代に残る縄文人のDNA

旧石器時代から古墳時代まで、ゲノム解析の最新研究成果で古代人の謎に迫ります。

DNA情報に基づいて作成された船泊23号(北海道の縄文人)復顏 国立科学博物館蔵

見どころ2:考古学×自然科学

祈り、なりわい、交流。最新の考古学とDNA研究で、2万7000年の時を超えて古代人の姿が見えてきます。

相谷熊原遺跡出土土偶 縄文時代草創期 滋賀・相谷熊原遺跡 滋賀県蔵

見どころ3:国立科学博物館×NHKの8K技術

国立科学博物館とNHKの8K技術を利用した共同研究の成果を活かし、超高精細CG映像を駆使して、日本人のきた道をたどります。

見どころ4:ヒト×イヌ・イエネコ

古くから人類とかかわりが深いイヌやイエネコの渡来の歴史や暮らしぶりにも迫ります。

動物足跡付須恵器 古墳時代終末期 兵庫・見野6号墳 姫路市教育委員会蔵

展示構成

第1章|最初の日本人―ゲノムから見た旧石器時代の人々

アフリカで誕生したホモ・サピエンスは6万年ほど前に世界展開を始め、およそ4万年前に日本列島に到達しました。この「最初の日本人」の実態は、化石証拠がないことから謎に包まれていましたが、近年沖縄県石垣島の遺跡からこの時代の人骨が続々と発見され、その一端が明らかになりつつあります。国立科学博物館では、古代ゲノム解析でノーベル賞を受賞したスバンテ・ペーボ博士のグループと共同でこれらの人骨の研究を進めており、このコーナーではその成果を紹介します。

4号人骨 旧石器時代 沖縄・白保竿根田原洞穴遺跡 沖縄県立埋蔵文化財センター蔵

2007年に新石垣空港建設に伴って発見された白保竿根田原洞穴遺跡は2016年まで発掘が続き、数多くの旧石器時代人骨が発見されています。特に4号人骨と呼ばれる全身骨格の揃った2万7000年前の人骨は、国内から発見された最も古い人骨の一つです。骨格から生前の姿が復元されており、ゲノム解析も可能だったことから、この人物の遺伝的な特徴も明らかになりました。

4号人骨 復顔 国立科学博物館蔵

古代DNA研究とは

1980年代に人骨などの古代試料にもごく僅かなDNAが残っていることが明らかになりました。

その分析はミトコンドリアDNAの短い領域の解析から始まりましたが、2006年以降には画期的なDNA解析技術が開発され、今では現代人と同じレベルでの解析も可能になっています。その結果、我々ホモ・サピエンスの世界展開の状況や地域集団の形成過程についての研究も進んでいます。この分野の研究を主導したスバンテ・ペーボ博士は、その業績によって2022年のノーベル生理学・医学賞を受賞しましたが、彼は沖縄科学技術大学院大学の教授も兼ねており、白保人骨の解析にも携わっています。

第2章|日本の基層集団―縄文時代の人と社会

縄文時代は、日本列島域で土器が出現したおよそ1万6000年前から、九州北部で水田稲作が登場した2900年程前まで続きました。当時の人々は定住し、自然から食料を獲得する生活を基本としていましたが、一部の地域ではこのような暮らしが2400年前まで続いていました。縄文文化は時期や地域ごとに特色がありますが、近年、人骨に残されたDNAを解析する技術が飛躍的に向上し、縄文人がどのような人々だったのか、わかってきました。ここでは、縄文人と彼らの社会や精神文化についてご紹介したいと思います。

海岸部の縄文人 縄文時代晩期 宮城・里浜貝塚 奥松島縄文村歴史資料館蔵

縄文人は、山間部や海岸部、平野など周辺の環境に合わせて多様な生活をしていました。海岸に住む縄文人は、魚や貝類といった海産物を採るために、ヤスやモリなどの様々な道具を発達させていきました。ここでは、山地および海岸部の遺跡から出土した人骨の分析結果と出土した道具類を取り上げて、縄文人の暮らしぶりについて解説します。

クマ形土製品 縄文時代晩期末~弥生時代 岩手・上杉沢遺跡 二戸市文化財埋蔵センター蔵 ※展示は複製品(国立歴史民俗博物館蔵)

縄文人は、狩りの成功や大地の豊穣を祈るなどのために、イノシシやサル、時にはシャチやイカ、アワビ、クルミといったものまで、数多くの動植物をかたどった小型の土製品を作っています。中でもクマは、危険な狩猟対象でもある一方で、その危険性や力強さから特別な動物としてもあがめられていたようで、東北地方の遺跡からはクマ形の土製品がしばしば出土します。

第3章|日本人の源流―さまざまな弥生人とその社会

水田稲作が始まった弥生時代は、縄文人とは見た目はもちろん、DNAや考え方が異なる、青銅や石の武器を持つ朝鮮半島青銅器文化人の登場によって幕を開けました。それから600年後の九州北部に現れる甕棺墓かめかんぼから見つかる人骨は、ほぼ渡来系のDNAをもつ人びとと予想されています。さらにその後の400年あまりで現代日本人のDNAがほぼ出そろったことも明らかになっています。1000年あまりで縄文人のDNAと入れ替わった弥生人のDNA物語をご覧ください。

青谷男性頭骨 弥生時代後期(2世紀) 鳥取・青谷上寺地遺跡 鳥取県立青谷かみじち史跡公園 青谷男性頭骨 青谷上寺朗(復顔)鳥取県立青谷かみじち史跡公園蔵

国内最古の脳が発見された鳥取県青谷上寺地遺跡の男性の頭蓋骨やDNAを元に制作された、およそ1800年前の弥生人男性の復顔像です。DNA分析によって、縄文人とは遺伝的特徴が異なり、現代日本人と遺伝的に近いことが明らかとなりました。また、髪の毛が太くて黒々としていたことも判明しました。

現状でもっとも古い渡来系弥生人が使った朝鮮半島系の甕 弥生時代前期(紀元前7世紀) 福岡・比恵遺跡 福岡市埋蔵文化財センター蔵

当時、朝鮮半島南部で使われていた調理用の甕かめと形や焼きがそっくりな土器。表面からは見えないところに朝鮮半島の土器づくり技術が使われていることから、朝鮮半島出身者やその関係者が作った可能性があります。九州北部で水田稲作が始まってから約250年後の福岡平野に渡来人やその子孫が暮らしていた可能性を示す数少ない資料の一つです。

第4章|国家形成期の日本―古墳時代を生きた人々

古墳時代に入るとヤマト政権が誕生し、国家成立へ向けて社会が動き出します。弥生時代だけではなく、この時代になっても継続的に渡来人はやってきました。そうした人々が、須恵器生産・鉄器生産・馬の飼育などの新たな技術を伝え、日本列島における国づくりを支えました。これまで解析された多くの古墳時代人のゲノムは現代日本人に近いことが分かっていますが、その一方で縄文系のDNAを色濃く残す人々もいました。一口に古墳時代人と言っても多様なDNAを持つ人々の集合だったのです。

馬形埴輪 古墳時代(5世紀)大阪・茶山2号墳 羽曳野市教育委員会蔵

大阪府古市古墳群で最大の規模をほこる誉田御廟山こんだごびょうやま古墳(応神天皇陵古墳)の東側に位置する茶山2号墳から出土した馬形埴輪です。5世後半の資料で、5世紀に日本列島に馬が導入され、ヤマト政権内でも馬が使用されていたことを示します。大阪以外では初の展示です。

古墳人骨(頭骨)古墳時代前期末 岡山・久米三成4号墳第1主体 岡山理科大学蔵

DNA分析の進展は、古代親族の復元を可能にしました。岡山県久米三成くめさんなり4号墳から見つかった4体の人骨を分析したところ、うち3体が血縁者であり、父親と二人の娘であることが判明しました。二人の娘は異母姉妹であることも判明し、古墳時代で初めて確認された異母キョウダイの例となりました。

トピック イヌのきた道

日本列島には1万年程度前の縄文時代に現在のところ最古のイヌの系統が渡来し、7000年間他のイヌと混ざることなく、この古い系統が維持されてきました。弥生時代以降のヒトの移動とともに縄文時代のイヌとは異なる系統のイヌが日本列島に渡来し、在来のイヌと混ざってきました。このようなイヌの移動と混血の歴史をDNAから解き明かしていきます。本章で展示する骨のほとんどはDNA解析をしています。

ニホンオオカミの頭骨 江戸~明治時代 神奈川・清川村 清川村蔵

5年ほど前までイヌに最も近いオオカミは不明で、絶滅したオオカミ集団だと考えられていました。しかし、最近のニホンオオカミの高深度古代ゲノム研究から、ニホンオオカミがイヌに最も近縁であることが明らかになっています。また、他のオオカミとの混合の歴史のない単一起源のニホンオオカミが日本列島に渡来し、その後大陸で祖先が絶滅した後も、100年ほど前まで日本列島に隔離され生き残ってきたことが明らかになりました。

イヌの頭骨 縄文時代 愛媛・上黒岩岩陰遺跡 慶應義塾大学蔵

縄文時代のイヌの特徴は、渡来した1万年ほど前から3000年ほど前まで形態が変わらなかったことがあげられます。そのために縄文時代のイヌは古い系統であり、7000年間日本列島に隔離されてきたと考えられていました。実際に縄文犬の古代DNAから、縄文時代のイヌは狩猟採集生活に適した、イヌの最も古い系統であり、イヌの起源を知るための手がかりとなります。

トピック イエネコの歴史

イエネコはイヌとならび古くから人と関わりが深い動物であり、世界中でイエネコに関する多数の歴史資料が見つかっています。

約1万年前、中東のリビアヤマネコを家畜化したことでイエネコが誕生し、その後、イエネコは人類の交易によって世界中に広がっていきました。9500年前の遺跡からは、人骨のそばに埋葬されていたネコの骨が見つかっています。また、約4000年前の遺跡からはネコのミイラや絵画が見つかっており、当時の人々とネコの関係の深さをうかがわせます。

日本には、稲作の伝来が始まった弥生時代に持ち込まれたという説がありますが、近年のDNAを用いた分析では、現代に生きる日本猫の多くは、より最近の平安時代前後に持ち込まれたネコを祖先とすることが分かってきました。本展示では、イエネコがいつ日本に持ち込まれ、日本人とどのように暮らしてきたかを最新のDNA研究から迫ります。

動物足跡付須恵器 古墳時代終末期 兵庫・見野6号墳 姫路市教育委員会蔵

古墳時代の後期にあたる兵庫県姫路市の見野6号墳で出土した須恵器には、動物の足跡が残されていました。この足跡の肉球の位置や形、爪の跡を詳細に分析したところ、イヌやタヌキなどの他の動物ではなく、イエネコの特徴を示す足跡であったため、この足跡はイエネコのものではないかと考えられています。

第5章|南の島の人々―琉球列島集団の形成史

日本列島の南をつなぐ琉球列島は、歴史的に南島と呼ばれています。南島の自然は、亜熱帯と黒潮とサンゴ礁で特徴づけられ、新石器時代にはその幸を活かした南島型の縄文文化が花開きました。弥生時代になると福岡平野の弥生人が南島特産の大型巻貝を使った腕輪を作り始め、貝殻の入手のために九州・沖縄間に長大な海上交易路が生まれ、古墳時代に続きます。1000年にわたる海上往来は人々のDNAに何をもたらしたのでしょうか?

北上する南島人 縄文時代後期末~晩期初め 鹿児島・宝島大池B遺跡 国立歴史民俗博物館保管

縄文時代の南島(琉球列島)には、九州の縄文文化が伝わることはあっても、南島の文物が九州に伝わることはめったにありません。南島の先史人は、自分たちのサンゴ礁世界の外に出ることに消極的でした。写真は縄文後期末にサンゴ礁の北限まで行った勇気ある女性です。何が彼女を北上させたのでしょう。

輸出用イモガイと御守りのシャコガイ 弥生時代併行期(2000年前) 沖縄・沖縄本島 木綿原遺跡 世界遺産座喜味城跡ユンタンザミュージアム蔵

写真左側の7個の貝は2000年前の沖縄で準備されていた輸出用のイモガイで、一箇所でまとまってみつかりました。傍らのシャコガイは大事な交易品を守る呪具でした。北部九州の弥生人は琉球列島の大型巻貝-ゴホウラとイモガイで作った腕輪を好んで使い、この貝殻を入手するために沖縄諸島まで行き交易をしていたのです。

現生貝(左)と貝釧粗加工品(右2点) 古墳時代中期から後期 鹿児島・沖永良部島 西原海岸 個人蔵

写真の右2点の貝は、沖永良部島でみつかったゴホウラです。これらは5~6世紀の沖縄で獲られて加工され、九州の豪族に届けられる予定の交易品だったのでしょう。九州の古墳人は、これをはめる人物の腕の大きさに合わせて腕輪を完成させたはずです。丁寧な加工の様子をもとの貝殻(写真左の現生貝)と比べてみてください。

第6章|北の大地の人々―縄文人がアイヌになるまで

日本列島の北部の文化は約2400年前に稲作農耕を行わない「続縄文文化」が誕生したことを契機に本州島以南とは異なる文化的変遷をたどり「アイヌ文化」に至っています。人の成り立ちにおいては、縄文時代から19世紀半ばまで南北双方からわずかながら遺伝的交流があるものの、縄文人の形質・遺伝子を色濃く引き継いでいるのです。本章では、発掘された出土品から日本列島における人と文化の多様性を感じていただきます。

玉類と貝輪 続縄文前半期 北海道・有珠モシリ遺跡 東北芸術工科大学保管

墓址はかあとの底から出土した一連の玉類は、カズラガイ、クマの末節骨、孔の穿いた石、転用されたハクチョウ製の針入れ、コアホウドリ製の垂飾からなり、海・山・川・空の自然界全体を表しています。同時期の琥珀こはく玉や碧玉へきぎょく製管玉くだだまが単一素材で用いられるのとは対照的であることから「呪具」の可能性もあります。

エムシ(太刀)17世紀 北海道・有珠4遺跡 北海道伊達市教育委員会蔵

17世紀のアイヌの副葬品は男女により違いがありました。鉄鍋や針と針入れ、鉈なたは女性の持ち物、エムシ(太刀)や矢と矢筒は男性の持ち物でした。刀は争いの道具ではありますが、アイヌにとっては壁に飾られる「イコロ(宝)」であることが、銀覆ふく輪りんの柄の裏側が極端に粗雑な点から読み取れます。

本展は、日本列島から出土したさまざまな考古資料や近年までのDNA研究成果をもとに、最新の映像技術などを交えながら日本人のルーツを探る意欲的な展覧会となります。私たち日本人がどのような道を歩んできたのか、展示室でじっくりと確かめてみてはいかがでしょうか。(美術展ナビ)

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