なぜリアリストは国際秩序に総じて懐疑的なのか

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「リベラル国際秩序を守ろう!」という「マントラ」は、ロシアのウクライナ侵攻以来、アメリカや日本、西欧諸国などをメンバーとするG7を中止に繰り返し唱えられています。その日本も「国家安全保障戦略」の1つの目的として「普遍的価値やルールに基づく国際秩序の強化」を挙げています。

このように「国際秩序」は、国際の平和と安定の源泉もしくは同義のように扱われているようですが、思慮深い国際関係学者は、国際秩序に埋め込まれたルールが国家間に安定をもたらすとは単純に考えません。

もしかしたら、両者は「みせかけの相関」すなわち表面上、関係しているように見えるだけで、本当はそうではなく、むしろ、別の要因が国際秩序と安定を左右していることも十分に考えられます。そうだとしたら、われわれが国際秩序を維持・強化するために、どれだけ努力しても、結果にはつながらないでしょう。それどころか、こうした試みは、国際システムをかえって不安定にするかもしれません。

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国際秩序キャンペーンと批判者

約7年前の2018年7月、New York Times 紙に、国際関係研究者有志による「なぜわれわれは国際制度と秩序を維持すべきなのか」と題する声明が発表され、世界中の研究者に署名するよう、呼びかけられました。

声明の主旨は、これまで世界の平和や安定、繁栄を支えてきた国際制度(NATO、国連、世界貿易機関など)は、トランプ1.0大統領の「攻撃」にさらされている。リベラル国際秩序を守るため、彼の行為に国際関係研究者は警鐘をならそうではないか、というものです。そして、世界中から多くの署名が集まっています。

「リベラル国際秩序の維持」は、魅力的なキャッチフレーズです。しかしながら、この声明の根底にあるロジック、すなわち国際ルールがあったからこそ秩序が保たれたというのは、その通りなのでしょうか。

国際ルールと秩序が因果関係にあるならば、われわれは引き続き現在の諸制度を支える努力をすべきでしょう。他方、国際ルールと秩序が疑似相関関係であるならば、無理に既存の制度を守ろうとしても、早晩、崩れるであろうのみならず、無駄な労力を浪費することになりかねません。

くわえて、リベラル国際秩序が危うくなっているのは、トランプ大統領という個人のせいなのでしょうか。それとも、トランプ氏の行動は、国際システムの変化に影響された結果なのでしょうか。これら2つの問いは、国際秩序を安定させるための処方箋を考えるうえで、避けて通ることは出来ないでしょう。

ウォルトとアリソンの反論

ハーバード大学ケネディ行政大学院の2人の政治学者が、この声明に異を唱えました。1人は、リアリストを自称するスティーブン・ウォルト氏であり、もう1人は、米中対立を分析する「トゥキディデスの罠」プロジェクトを主導した重鎮、グレアム・アリソン氏です。

彼らは、この声明になぜ「反対する」のでしょうか。

「見たいものしか見ない」国際秩序論者

ウォルト氏は Foreign Policy誌(ウェブ版)の ブログ記事「なぜ私は国際秩序を守るためという声明に署名しなかったのか」で、こう反対理由を述べています。

第1に、戦後の平和は制度の産物というより、米ソ二極構造と核兵器の存在こそが大戦争を防いだ結果だということです。アリソン氏も、Foreign Affairs誌に寄稿した「多様性を受け入れる秩序へ―リベラルな国際秩序という幻」(『フォーリン・アフェアーズ・リポート』2018年8月号所収)において、同じような指摘を行っています。

第2に、リベラルというけれども、これまでアメリカは自らルールを破ったこともよくあったではないかという自戒です。第3に、NATOの東方拡大などがロシアを刺激したように、制度がもたらす負の結果について、何も示していないことへの不満です。

国際秩序論の保守性

そして、これら二人の政治学者が強調するのが、過去の秩序に郷愁を抱いて、それを守り抜こうとするのではなく、国際システムの変化を見据えたうえで、新しい秩序構想を考えようではないかという、前向きな姿勢です。

ウォルト氏はこう述べています。

「われわれは過去を振り返り、問題だらけの現状維持へこだわることに費やす時間を少なくして、現状をどのように改善するかを考えるのにもっと時間を使おうではないか」。

アリソン氏の主張は、より直截です。「他国には統治についてアメリカと異なる考え方があり、彼ら自身のルールに基づく国際秩序を構築しようとしている現実に合わせて、アメリカの国内外の取り組みを変えていけばよい」ということです。

原因と結果の逆転

トランプ1.0への見方についても、彼らの言い分は、アメリカ研究者やジャーナリスト、「国際政治学者」たちからよく聞く批判とは一味違います。

ウォルト氏は、「トランプが2016年の大統領選挙で勝ったのは、部分的であれ、何百万人ものアメリカ人が現存する秩序はアメリカ人のために機能しておらず、トランプが言うように、アメリカの外交政策は『完璧で完全な災厄』だったと確信したからなのだ」と。ただし、ウォルト氏はトランプ2.0に対しては、なぜか、かなりの辛辣な批判者に変わっています。

アリソン氏の見立ては、より分かりやすく、一貫しています。

「トランプ…がもっとも深刻な脅威ではない…中国の台頭、ロシアの復活、そして世界におけるアメリカのパワーの衰退は、それぞれ、トランプよりもはるかに大きな問題をはらんでいる」。

(35ページ)

そして、彼はトランプ2.0の戦略的アプローチを評価しています。トランプ2.0は、ウクライナ戦争の最大の危険が核戦争へのエスカレーションにあり、それを防ぐことこそがアメリカの安全保障のみならず国際の平和と安定にとって死活的に重要であることを理解して、この戦争に終止符を打とうとしているというのがアリソンの分析です。

「トランプは、核戦争に至る道が数多く存在することを理解している…なぜ彼はウクライナ戦争の終結にこれほど強くこだわっているのか。それはプーチンへの愛情からではない。むしろ、ウクライナでの出来事―プーチンがウクライナに対して核攻撃を行い、アメリカがそれに応じることで、彼もプーチンも望まない戦争へとエスカレートする可能性を含む―の危険性を理解しているからである…彼は、大統領として最も重要な使命は、アメリカを破壊し、場合によっては地球上のすべての生命を危険にさらす核の大惨事を避けることだと信じているのだ」。

卓見です。私も、この二人にほぼ同意なので、当時、上記の声明には署名しないと決めました。

リベラル国際秩序の擁護者たちは、国際政治における個人の影響力を過大評価しすぎであり、ある現象の原因を環境ではなく個人の属性のせいにし過ぎる「帰属性バイアス」にかかっていると私は思います。くわえて、結果を原因と取り違える「内生性」の問題にも、もっと注意すべきでしょう。

何が国際秩序を脅かしたのか

現在の国際秩序が崩れてきたことの「きっかけ」は、イラク戦争やリビアへの介入、世界金融危機への不十分な対応などであり、これらはトランプ1.0政権誕生より前に起こっています。それらの事象の後に、トランプ氏が大統領に選ばれたのです。

声明への署名者には、社会科学の厳格な方法論を擁護している研究者も少なくありません。トランプ「憎し」のあまり、あるいはプーチン「憎し」のあまり、彼らは自らの信条体系に反する上記の事実を軽視する一方で、それに合致する「ストーリー」や「推論」の正しさを誤認したのではないか、と言ったら言い過ぎでしょうか。

日本にとっては、現状のリベラルな秩序を構成する日米同盟の維持が国益になるかもしれません。ですが、国際構造の変化すなわち米中のパワーバランスが二極化するにともない、秩序を支える制度が影響を受けるのは必至です。日米同盟も例外ではないでしょう。

アリソン氏の言葉を借りれば、日本も「現在の社会通念をはるかに超える戦略的想像力」(35ページ)を持たなければなりません。「昔は良かった(を)唯一の心の支え(綾小路きみまろ氏)」にすることに決別すべき時でしょう。

その一環として、わが国は防衛費を倍増するなど、安全保障/防衛政策の抜本的な改革に取り組んでいます。その一方で、当時のトランプ批判の日本版ともいえる「アベノセイダーズ」は、新しい戦略的想像力とは無縁の後ろ向きな揶揄でした。現在の「高市たたき」も、この延長線上にあるならば、あまり建設的ではなく、むしろ彼女に戦略的想像力を発揮させるように働きかけるべきです。

「悪者」を見つけて批判することで留飲を下げるのは日米共通のようです。われわれは、もっと前を向かなければなりませんね。

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