高校生をリクルーティングする「専任スカウト」が語る、時代の変化への対応と貫くポリシーの大切さ。法政大学サッカー部・野木健司テクニカルダイレクターインタビュー - footballista

今や「欧州組」「日本人対決」という言葉が陳腐化するほど、数多くの日本人選手が海を渡って活躍している。欧州各国からの評価も年々向上し、10代の選手たちのキャリアプランに夢ではなく、リアルな選択肢として「欧州クラブ」が加わるようになった。日本でも秋春制の導入、U-21 Jリーグの創設など大きな改革が進む中で、才能の原石を見つけるプロたちは何を考えているのか?――これからのJスカウトに求められる視点について様々な角度からフォーカスしてみたい。

第9回は法政大学サッカー部の野木健司テクニカルダイレクター。平日は一般企業で働きながら、土日で高校生の視察に走り回っている野木TDは、大学サッカー界では珍しい「専任スカウト」という役割を担う。今回は数々の才能を発掘し、大学を経由してプロの世界に送り込んできた辣腕スカウトに、高校生の選手獲得のポイントや、今の時代の流れを鑑みたJクラブとの相互関係の構築など、“スカウト目線”から見た大学サッカーの現在地を語ってもらった。

――今回は大学サッカー界から見た、高校生のスカウトについてお話を伺わせてください。野木さんももともと法政大学サッカー部のご出身ですよね。

 「はい。当時は関東2部で、2年生の時も3年生の時も1部に上がるチャンスはありながら、入れ替え戦で負けてしまって、僕が4年生の時に2部で優勝して、1部に上げました。ただ、当時の法政にもいい選手はいたんですけど、なかなかスカウトの目が届いていなかったのかなと思うぐらい、周囲も進路先に苦労している印象もありましたし、大学に入った時は僕もJリーガーになりたかったんですけど、3年から4年に上がるタイミングで進路を考えていた時に、横河(武蔵野FC)から話をもらったので、そこにチャレンジしようと決めました。

 横河も世界を股にかけてシステムを展開している素晴らしい企業ですし、仕事をしながらサッカーするという環境にチャレンジしようということで、入社しました。横河では仕事をフルタイムでやって、サッカーは夕方から練習する形でしたし、僕は営業部隊にいて、出張もたくさんあったので、なかなか練習に出られないこともありましたね」

――横河武蔵野FCでサッカーにも真剣に取り組む中で、社業はもちろんしっかりやりながらという、そのデュエル生活を続けられたことは、今のスカウト業に生きている部分もありますか?

 「本当に大きく生きています。仕事をフルでやるようになってから、よりサッカーが好きになりました。『サッカーって面白いな』ということをより感じましたし、ビジネスの中で人と接する時は、サッカーと関係のない世界で、ちゃんと順序立てて、筋道を通してやらないといけないわけで、そういうスキルは確実に磨かれました。

 一方でサッカー界での人脈という意味でも、当時のチームメイトでファジアーノ岡山に行った中島健太や、明治大の監督になられた池上(寿之)さんとか、今もサッカー界に関わられている方がいっぱいいるので、そこも凄く生きているのかなと思います」

明治大学の池上寿之監督(最前列中央)

――実際に今も横河の社員として、平日は普通に働かれているんですよね?

 「はい。一応、営業部隊のあるセクションの責任者をやっていますね。まあ、バリバリ働いています(笑)」

――そうですよね。名刺を拝見すると、『インダストリー統括本部 第2営業本部 マテリアル営業部 鉄鋼営業グループ 担当部長』と。これはちゃんと仕事をしないといけない人の肩書ですね(笑)。

 「そうですね(笑)。月曜日から金曜日までフルで仕事をしています。4月から本社に戻ってきたんですけど、それまでは鹿嶋に単身赴任していて、その前は千葉に単身赴任していました。今は本社で全国を担当する立場になったので、来週も月曜日は甲府に行って、火曜日は岡山に行って、水曜日は本社でと、飛び回っています」

――もちろんヴァンフォーレとファジアーノを見に行くわけではないですよね(笑)。

 「はい。サッカーは関係ないです(笑)」

――それで土曜日と日曜日は高校生の試合を見に行くと。お休みはないですね。

 「はい。休みはないですね(笑)」

――2014年から法政大学のサッカー部に関わられていると思うのですが、どういう経緯からのスタートだったんですか?

 「当時、監督に就任されたカズさん(長山一也/現・松本山雅FCコーチ)と照井(博康)総監督が選手の獲得の重要性を話されていた中で、僕の名前を挙げてくださったみたいで、ちょうど自分も現役を引退したタイミングだったんですね。引退したら1年間はゆっくりしようと決めていて、その次を考えていたタイミングでお声かけいただいたというのが1つです。

 カズさんとはもともと仲が良くて、カズさんがカターレ富山の選手だった時には、僕も富山に行ったら一緒にゴハンを食べたりしましたし、普段からいろいろな話をしていた中で、カズさんが将来指導者をやりたいと言っていたので、『じゃあ法政の監督、頑張ってくださいよ。そうなったら僕も協力しますから』みたいな話はしていたんです。まさか本当にそうなるとはまったく思っていなかったですけど(笑)、そういう経緯もあったので、お声かけいただいて、家族と相談したうえで、『じゃあ、やろう』と決めました」

現在は松本山雅でトップチームコーチを務めている長山一也監督

――最初からスカウトとして入られたということですか?

 「そうです。『スカウトをやってほしい』ということでした。もちろんやったこともないですし、『何で僕に』と考えても、ただ“人となり”を見ていただけだと思います(笑)」

――そうなると、最初はスカウトがどういうことをするのかもわからないですよね?

 「わからないですよ。本当にわからないです(笑)。だから、最初はお世話になった母校の武南高校の大山(照人)先生に、『こういうことをすることになりました』とご挨拶しに行って、『ああ、そうか』と。たまたまコーチの津島(公人)が武南と法政の同期でもあったので、そこで『誰が良かった?』と聞かれて、『あの子いいじゃん。何年生なの?』と聞いたのが紺野和也(現・アビスパ福岡)ですね。

 最初はノウハウもわからなかったですけど、そこで生きたのが社会人の経験です。僕は営業畑で仕事をしているので、上の立場の人と交渉する場もあって、そこで割り切って仕事をすることは当たり前の世界だったので、その次に見に行った浦和ユースは大槻(毅/現・ファジアーノ岡山コーチ)さんが監督をやられていましたけど、ずかずか歩いていって、『こういうことをやるようになりました』と挨拶させてもらいましたね。

 スカウトもそういう目上の人たちと、そういう形で接するのが役割ですし、何もわからないなりにも人脈を作って、いろいろな情報をもらえるようにならないといけないというのは何となく理解していたので、そこは良かったんじゃないかなと思っています」

――スカウトについて手取り足取り教えてくれる人なんていないわけで、自分で何とかするしかないですよね。

 「本当にそうですね。カズさんが関東大学リーグの試合を見に行った時に、プロのスカウトの人たちの中に僕がスッと入っていって、その人たちと雑談している姿を見たらしく、それに驚いていたとは本人から聞きました。

 活動当初は斉藤和夫さん(現・ジェフユナイテッド千葉スカウト担当)、今は浦和のスカウトをされている長山(郁夫)さん、町田の丸山(竜平)さん、甲府の森(淳)さん、鹿島の椎本(邦一)さん、そのほかにもたくさんのスカウトの方に良くしてもらいましたし、特に明治の井澤(千秋)さんには凄くお世話になりましたね。

 井澤さんはいろいろな方に『彼は法政のスカウトだから』と僕を紹介してくださったんです。それが本当にありがたくて、『自分もああなりたいな』と思ったので、今は自分も知らない人同士を紹介したりしますけど、それは井澤さんの姿を見て学んだことですね。本当にいろいろな方にご紹介いただいて、人脈を広げていった部分はあったと思います。それでもうグイグイ入り込んでいく感じですよね」

――大学でスカウトに当たっている方って、だいたいコーチと兼任の方が多い印象なんですけど、野木さんはスカウト専任ですよね。それは結構珍しいですか?

……

1979年8月18日生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社。学生時代からヘビーな視聴者だった「Foot!」ではAD、ディレクター、プロデューサーとすべてを経験。2021年からフリーランスとして活動中。昔は現場、TV中継含めて年間1000試合ぐらい見ていたこともありました。サッカー大好き!

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