少数与党で再出発 試練の石破首相

 徳俵に足がかかり、踏みとどまっているということだろう。10月27日投開票の衆院選は、「政治とカネ」の問題で厳しい審判が下り、石破茂首相は、勝敗ラインとしていた「自民、公明両党で過半数(233議席)」を超えられなかった。惨敗だが、首相は自公連立の少数与党で第2次政権を発足させる方針だ。

「2000万円問題」で局面一変 国民の怒り再燃

厳しい表情を浮かべる石破首相(自民党総裁)(10月27日、自民党本部で)

 首相らにとっては、「想定外」の事態だった。自民党は10月19~20日の土曜、日曜日で衆院選の情勢調査を行っていた。週明け月曜日の21日、首相らに報告された調査結果は、自公で250議席を超えるというものだった。自民党は小選挙区で約160議席を計算しており、首相らは接戦となっている約30選挙区をてこ入れすれば、自公で過半数は維持できると予想していた。

 だが、23日、共産党の機関紙「赤旗」で、自民党が衆院選候補者の党支部に2000万円を支給したことが掲載され、状況は一変した。

 自民党は15日の衆院選公示前、公認候補が代表を務める党支部に、政党交付金から500万円の「公認料」、1500万円の「活動費」の計2000万円を支給した。その後、政治資金問題を理由に、非公認とした候補者10人の支部にも「党勢拡大のための活動費」として、同額の2000万円を支出したことが明らかになったのだ。「非公認というけじめは見せかけだ」という批判を招いた。政党交付金の原資は税金であることから、「政治資金規正法違反事件を反省していない」と見られ、国民の怒りは再燃。これが惨敗を決定的にした。

険しい表情の公明党・石井代表(10月27日、東京都内で)

 結局、自民党は小選挙区で、予測から30減の132議席。比例も振るわず、計191議席に終わった。「2000万円問題」がトドメになり、接戦区をすべて落とすという最悪の想定に近い結果だった。公明党も石井啓一代表をはじめとして小選挙区で7人が落選し、24議席に落ち込んだ。与党は自公で計215議席、過半数を18議席も下回った。

首相指名選挙 30年ぶりの決選投票へ

 自民党の小泉進次郎選挙対策委員長は投開票翌日の28日、「責任は選対委員長にある」として、辞任した。

 首相は自公連立を維持し、首相指名選挙に臨む構えだ。選挙前から56議席も減らしながら、自民党は比較第1党であることを守れたからだろう。カギは首相指名選挙の仕組みにある。

 衆院選後の特別国会は11月11日に召集され、首相指名選挙が行われる。衆院規則で首相指名選挙では、有効投票の過半数を得た議員が首相に指名されると決まっている。過半数を得る議員がいない場合には、上位2人の決選投票が行われる。決選投票では、過半数を得なくても、多数を得た方が指名される。

笑顔を見せる立憲民主党・野田代表(10月27日、東京都内で)

 無所属を含めると野党側は250議席を占めるが、最大の立憲民主党は148議席。日本維新の会(38議席)や国民民主党(28議席)などの協力を得ないと過半数に届かない。維新の馬場伸幸代表、国民の玉木雄一郎代表は共に立民代表の野田佳彦元首相を野党統一候補とすることには否定的だ。野党統一候補ができなければ、首相指名選挙の1回目の投票で過半数に届く候補はなく、1994年以来、30年ぶりの決選投票になるだろう。決選投票では、過半数に達しなくても、多数を得た方が指名されるので、石破氏が首相に指名される可能性は高いとみられる。

過去には「40日抗争」も勃発

 衆院の首相指名選挙で決選投票になったのは、直近の94年を含め過去に4例ある。うち2回は終戦後の48年と53年、吉田茂内閣時代のことだ。

 79年には、10月の衆院選で自民党が過半数割れの敗北を喫したことで、党内反主流派の福田、三木派らが、大平正芳首相の退陣を求めた「40日抗争」が始まり、11月の首相指名選挙では、自民党から大平氏と反主流派の福田赳夫氏の2人が立つ異常事態になった。大平、福田両氏の決選投票となり、大平氏が17票差で首相に指名され、第2次大平内閣が発足した。

 辛うじて政権を維持した大平氏だったが、翌80年5月、反主流派の造反で、社会党が提出した大平内閣不信任決議が可決。大平氏は衆院を解散した。不信任案に賛成した野党側も可決されるとは思っていなかったため、「ハプニング解散」と呼ばれた。史上初めての衆参同日選となったが、大平氏は選挙中に倒れ、入院。6月12日、急性心不全で死去した。22日、自民党は首相の死で「弔い合戦」となった同日選を大勝する。

苦悩する石破政権 来春以降が正念場に

 石破氏が首相指名選挙を乗り切れたとしても、待ち受けるのは大平氏より厳しい状況だろう。大平氏は追加公認で過半数を確保できたが、石破氏には、そうしたメドはない。来年夏には次の政治決戦となる都議選、参院選が控えている。国民や維新に連立や閣外協力を呼びかけても、その前に応じる可能性は低い。政策ごとに連携する「部分連合」で協力を求めていくしかないだろう。

 当面の最重要課題は今年度補正予算と来年度予算の編成、成立だ。国民生活に大きく影響することから、国民や維新の要求を受け入れることで、協力してもらうことは可能だろう。焦点は来年度予算と関連法案が成立する来年春以降の展開だ。都議選、参院選を前にして、内閣不信任決議案が提出されるかもしれない。このままでは否決は困難だろう。可決の場合、首相は総辞職か、衆院を解散するのか。きわめて難しい判断になる。解散なら、大平氏の際のように衆参同日選になる可能性もある。

 野党からの不信任案以外にも、自民党内から首相では参院選を戦えないとして、倒閣運動が起きる可能性もある。いずれにしても、政権運営は綱渡りのような状態で、政治の流動化は避けられないだろう。

「徳俵」の首相 踏みとどまれるか

 ただ、日本を取り巻く環境は内外共に厳しくなっており、防衛増税や能動的サイバー防御の関連法案など、先送りにできない課題がある。政治空白は許されない。

 徳俵とは相撲の土俵上に円を形作る20の俵のうち、東西南北の四方に俵一つ分外側に配置されたものだ。外にずらして設置するのは、屋外に土俵を作っていた時代、雨で土俵の中にたまる水や泥を外にはき出すためだった。俵の幅である約10センチ分、外に張り出している。その分、土俵が広くなり、攻め込まれた力士が得をするので、「徳俵」と呼ばれたという説もある。

 石破首相は自ら掲げた勝敗ラインを達成できなかったのだから、本当は責任を取るべきだろう。ただ、この難局で、自民党内には積極的に後継の名乗りを上げようとする動きはない。かといって野党側も政権交代の準備は整っていない。政治空白を作らず、喫緊の課題に現実的に対応するため、当面は続投する。厳しい審判を下した国民に首相が許される唯一の理由だろう。本来なら押し出されているはずなのに、土俵際、徳俵に足がかかり、俵一つのわずかな余地でぎりぎり踏みとどまっているような状態なのだ。もはや、批判の多い持論の具体化にこだわる余裕はない。目の前の現実政治に向き合い、仕事に取り組むべきだ。できないのなら、「死に体」となるほかない。

 政治部編集委員。1989年入社。首相官邸や与野党、外務省など長年にわたり、永田町や霞が関で取材を続けている。「保守の旅路 伊吹文明」(中央公論新社)では聞き手を務めた。

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