5歳で連れ去られた少女、30年ぶりの再会は「夢のようだった」

毎日新聞 2025/11/24 09:00(最終更新 11/24 09:15) 有料記事 2140文字
幼少期のニーナさん(中央)と、彼女を連れ去り養子にしたインドネシア兵の家族ら=本人提供

 ボートに押し込まれた5歳の少女は、岸に残る父や母の姿を必死に追った。泣き叫んでも距離は広がるばかりだった。

 そのとき、兵士が少女の頭を海に沈めた。「これで忘れるだろう」。痛みと恐怖で体が硬直し、少女は意識を失った。

 家族と再会できたのは、それから30年後のことだった。

 <主な内容> ・連れ去られた少女のその後

 ・「母の名前すら忘れていた」

 インドネシア占領下の東ティモール(1975~99年)では、4000人以上の子どもが家族から引き離され、各地に連れ去られた。いまも行方がわからない人が多数いる。

 「盗まれた子どもたち」と呼ばれる彼らの一人が、現在ジャカルタで夫や2人の息子と暮らすニーナ・ピントさん(51)だ。

 79年。村に現れたインドネシア兵は両親に告げた。「この子を連れて行く。邪魔すれば皆殺しにする」

 両親は海岸まで追いすがったが、小さな娘を守るすべはなかった。

 「お父さんのことを忘れないでくれ」。父の叫ぶ声が、幼い記憶に残った。

名前も宗教も奪われた日々

 兵士はニーナさんの名前と宗教を変え、自らの妻子と同居させた。

 午前3時に起こされ、洗濯、掃除、皿洗いをこなす。学校には通ったが、放課後にはアイスキャンディーを売り歩いた。売れなければ夕食はなかった。性暴力も受けた。

 「憎まないように努めてきたけれど、今でも怒りがこみ上げる時がある」。語るうち、涙がほおを伝った。

 故郷について話すことは禁じられ、両親の記憶は少しずつ薄れていった。

 高校卒業後に家を飛び出し、働きながら家庭を築いたが、「いつか家族に会いたい」という思いは消えなかった。

父の執念と長い捜索

 2009年、親族が突然訪ねてきた。「ずっとあなたのことを捜していた」

 その10年以上前から、父は娘の行方を追っていた。残された手がかりは、連れ去った兵士の名前だけ。軍関係者を訪ね歩き、集めたわずかな情報をつなぎ合わせた。

記事の後半では、母との再会の瞬間や、同じ境遇の子どもたちを再び家族につなぐために奮闘するニーナさんの活動、資金や人手の制約が続く現場の様子をお伝えします。

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