そして、独裁者はいなくなった アサド政権最後の首相が語る12日間
取材に応じるシリアのムハンマド・ジャラリ元首相=ダマスカスで2025年11月25日午後5時58分、金子淳撮影
父子2代でシリアを独裁的に統治したアサド政権は昨年12月、反体制派による大規模攻勢を受け、わずか12日間で瓦解(がかい)した。
その「本当の理由」とは何か。恐怖政治の実態とは。最後の首相を務めたムハンマド・ジャラリ氏(56)が、内幕を赤裸々に証言した。
「特定の宗派に依存していたことが、独裁政権の強みだったが、結局それが弱点になった。まともな組織が構築されていなかった」。ジャラリ氏は、厳しい表情で当時を振り返った。
優勢、一気に反転
シリア内戦は2011年、民主化要求運動「アラブの春」で各地でデモが始まったのがきっかけだった。
アサド政権は武力を用いて徹底的にデモを弾圧。反体制派と13年間に及ぶ内戦に突入した。
政権側の支配地域は一時、国土の3割まで減少したが、15年にロシアが軍事介入したのを機に押し返し、約7割まで支配地域を拡大。
シャラア暫定大統領が率いる「ハヤト・タハリール・シャム」(HTS)などの反体制派は、北西部イドリブ県に追い込まれた。
ジャラリ氏によると、首相に就任した24年9月以降、閣議ではアッバス国防相(当時)が「反体制派の活動が激化しているが、状況はすべて把握しており、コントロールしている」と報告していた。
イドリブには約2万人の政権軍が展開しており、深刻な問題とは認識されていなかったという。
だが、昨年11月27日にHTSの大規模攻勢が始まると、北部アレッポや中部ハマなどの主要都市が次々と陥落した。アサド政権軍は兵士の大半が逃亡し、首都ダマスカスも一夜にして制圧された。
なくなった「戦う理由」
ジャラリ氏は政府軍の逃走について、アサド前大統領が軍の要職を自身と同じイスラム教少数派のアラウィ派で固めていたことが影響したと考えている。
軍の上級将校は…