何があった? 1ホール「14」で発多ヤマト“撃沈” 日本ツアーの最多打数は…

◇国内男子◇ISPS HANDA 夏の決戦・誰が一番強いんだトーナメント 3日目(23日)◇北海道ブルックスCC(北海道)◇7286yd(パー72)◇晴れ(観衆1110人)

プロ4年目の発多(はった)ヤマトが後半の3番パー4で、1ホールのツアーワースト4位ストローク「14」をたたいて“撃沈”した。

まず、ティショットを右の林に打ち込んだ。フェアウェイ方向に戻せず、さらに右サイドの4番ホール方面に出したものの、3打目で高い木を越えることができず、再び林の中へ…。そこから修正が全く効かず「OBも2発ありました」と、ホールアウトまでに実に12オン2パットを要した。

発多は「パニくってしまって…」と当時の心境を吐露した。この日は通算7アンダー33位からインスタートし、直前の2番まで6バーディのチャージ。通算13アンダーと上位を狙える位置まで浮上していただけに、ショックは大きい。

「ティショットを林に入れた時に『ワンチャン、ボギーで上がれるかも…』と思ってしまった。アンプレの処置をしていたら、ダブルボギーでいけたと思うのに」とジャッジミスだったことを説明。”14打“までの間には、幼少時の父親との練習風景が脳裏をよぎった。「バンカーから出すことができず、父親に『後ろに出していいかな』と聞いたけど『ダメ』と言われて…。その時、36回打ったんですけど…それを思い出しました」とこぼした。

競技ゴルフでの1ホール14は「初めてです」と肩を落とす。取材を受けながら「皆さん、これを書くんですよね?ぜひ書いてください。その方がちゃんと反省できますから」。本名は八太大和(はった・やまと)だが、スターになりたくて芸能関連の大物プロデューサーに登録名を考えてもらった26歳の新鋭が味わった苦しみ。この日は「78」で最終的に通算1アンダーの63位まで後退した。「あんなことをして、まだアンダーでいられるのが不思議です」と気を取り直し、最終日に臨む。(北海道苫小牧市/加藤裕一)

<国内男子ツアー:1ホール最多ストローク>(データの残る1985年以降) 1/42/鈴木規夫/1987年「東海クラシック」2R 9番パー4=スコアを誤って記入したことによる 2/19/立山光弘/2006年「アコムインターナショナル」1R 8番パー3 3/15/島村正行/1985年「九州オープン」1R 2番パー5

4/14/発多ヤマト/2025年「ISPS HANDA 夏の決戦・誰が一番強いんだトーナメント」3R 3番パー4

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