ロシア人初の女性大学教授、ポアンカレ予想、村上春樹の名訳。意志強く、自分らしく生きるには? 今月読みたい本(第19回)

『ポアンカレ予想 ―世紀の謎を掛けた数学者、解き明かした数学者―』 著者:ジョージ・G・スピーロ 訳者: 鍛原多惠子、坂井星之、塩原通緒、松井信彦 監修者:志摩亜希子、永瀬輝男 出版社:早川書房(ハヤカワ文庫NF) 発売日:2011年4月8日

価格:990円(税込)

【概要】 現代数学を代表する分野、トポロジーを独力で創りあげた天才数学者が遺した、ポアンカレ予想。並みいる数学者たちがそれに立ち向かっては敗れ、いつしかそれは100万ドルが掛けられる難題とみなされていた。しかし経験と知識は蓄積され、100年が経ち、リッチ・フローという武器をひっ下げた、謎めいた数学者ペレルマンが大胆不敵な解答を示したが、数学界はさらなる激震に襲われる……知に汗握る出色の数学ノンフィクション

 先のマンローの短編小説「あまりに幸せ」には、ロシア人数学者グレゴリー・ペレルマンが約100年後に解くことになる数学の難問「ポアンカレ予想」を提起したアンリ・ポアンカレ(1854~1912年没)が登場する。

 ソフィアが投宿するホテルを早朝訪れ、ベルリンのヴァイエルシュトラス教授の振る舞いについて愚痴をこぼすシーンだ。彼は、数学者仲間のソフィアになぜ愚痴をこぼしに来たのか? 

 数学の難問を提起した人、それを解いた人。その間を繋ぐ数学界の目覚ましき人々を描いて、19~20世紀の数学者列伝にもなっている本書の前半部分で、その背景を知ることができる。

 事の起こりは、科学を大いに奨励していたスェーデン&ノルウェー王であるオスカルⅡ世が、1989年の年頭に迎える還暦を何で祝うか、記念行事を模索したことだった。祖国スェーデンで精力的に活動していた数学者ミッタク=レフラーが懸賞金付きの論文募集を提案する。

 ミッタク=レフラーは、自分の案は一石三丁だと考えた。王子のころ数学の成績がとてもよかったオスカル王の科学好き、北欧の存在感、数学界における自分の位置。三つを同時にアピールできる。案は王に了承された。

 問題は4問用意され、3年後の締切までに12件の応募がある。審査団には欧州数学界の重鎮であるパリのシャルル・エルミートやベルリンのワイエルシュトラス(「あまりに幸せ」のソフィアの恩師ヴァイエルシュトラスと同一人物。以後の記述は、本書のこの表記に従う)などに入ってもらう。

 オスカル王は1989年の誕生日の前日、ストックホルム城で当選者の名前が入った封筒を開封、アンリ・ポアンカレの名前を読み上げる。

 ミッタク=レフラーは自分が編集長を務める「アクタ・マテマティカ」の助手に、ポアンカレの論文を掲載する準備を進めるよう命じる。助手は極めて誠実な仕事をした。そして欠陥を発見する。

 ポアンカレは頭を抱え、注釈を書き始めるが、さらにまずいことに、自ら深刻な欠陥を発見してしまう。その年の終わり、ポアンカレは論文の印刷中止を申し出たが、見本刷りはもう少数の関係者に送られた後だった。

 事を大事(おおごと)にしないため、「若干の誤り」という名目のもと回収が始まる。ミッタク=レフラーは恩師ワイエスシュトラス教授の健康を気遣ったのか、やはり若干の誤りで通した。しかし、若干の誤りどころではない欠陥があったと知り、生真面目なワイエルシトラスは怒りに燃える。

 ワイエルシュトラスは数学者の誇りにかけて、ミッタク=レフラーやエルミートやポアンカレのように、事を穏便に収めるつもりはなかった。注釈の付いた質問状(ようは抗議文である)を、オスカル王宛てに送る。

 その内容は、受賞が決まった後で、論文を書いた本人が論文に変更を加えて発表するなどもってのほかウンヌンカンヌン、ポアンカレには証明を丸ごと省く悪い癖があってウンヌンカンヌン、審査員であるこちらが非難される筋合いはなくウンヌンカンヌン、と、まあ、ウンヌンカンヌンが延々と続く長文だった。

「あまりに幸せ」のシーンから再度引用すれば、ポアンカレはワイエルシュトラス教授に対する愚痴を一通りこぼした後、将来ワイエルシュトラスの名は忘れられても、自分の名は輝いているだろうと捨て台詞のようなものを残して辞去していく。この予想は実際、そうなったように素人の目には映る。

 ポアンカレが発表した論文は膨大な数にのぼるらしい。珈琲を飲んで眠れなくなった夜、廊下を行ったり来たりしているとき、バスに乗り込もとしているとき、彼はよく閃いた。そのどれもこれも論文にした。

 本書の著者によれば、数学、数理物理学、天体力学など各分野で重要な基本原理を確立したポアンカレは「既存の数学分野をすべて完全に理解していた最後の数学者のひとりだった」らしい。

 著者はもう一人に、ゲッティンゲン大学のダーフィト・ヒルベルトという人物の名を挙げる。この二人が亡くなって以降、数学界では分野の枝分かれが急速に進んだ。「ひとりの数学者が自分の専門外について理解することは望めなくなった」のだ。

 ポアンカレは58歳で突然の死を迎えた。19世紀は万能の天才の時代だった。彼の死は、知の巨人がいた時代の終焉だったのかもしれない。

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