震える手で叩いた監督室の扉…拙い英語で魂のプレゼン 福田秀平が話した大谷&由伸との"逸話"
シアトル・マリナーズのスペシャルアサインメントコーチ&コンサルタントに就任した元ソフトバンク、ロッテ、くふうハヤテの福田秀平氏が「Full-Count」の単独インタビューに応じた。2月に研修で参加したマリナーズのスプリングトレーニングでの日々や、コーチ就任に至るまでの経緯、異例のキャリアを実現させた英語プレゼンへの挑戦などについて明かした。(取材・文=福谷佑介)
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福田秀平氏が掴んだメジャー球団コーチ就任の裏側
5月に入ったある日の深夜、スマートフォンが鳴った。現役を引退して半年ほど。セカンドキャリアを歩み出し始めたばかりの福田氏に驚きの知らせが舞い込んだ。日本人にとって馴染み深いマリナーズからのコーチ就任のオファー。「やっぱり嬉しかったですし、驚きましたね」。そう語る表情は新たな挑戦への決意に満ちていた。
「現役を辞めた直後でしかできないことをしようって思っていてマネジメントの方々とも話していました。とにかくいろいろな経験をしていきたい、と。まずは海外の野球をもっと幅広い視野で見たかったんです」
福田氏は昨年8月に現役引退を表明し、昨シーズン限りで選手としてのキャリアにピリオドを打った。その後、解説やメディア出演などもこなしていたが、思い描く将来のビジョンは明確だった。もっといろいろな野球を見て、触れて、知ってみたい。そのファーストチョイスがアメリカ、メジャーリーグだった。
幸運にもマリナーズのスプリングトレーニングに研修生として参加する機会を得た。MLBでの経験のない日本人が、研修とはいえ招き入れられること自体が異例のこと。現地で過ごした3週間は刺激に満ち溢れていた。常にメモ帳を持ちながら、さまざまな話に耳を傾けた。
実際の指導の現場で積極的に自分の考えを伝えた。「走塁部門はメジャーのコーチともいろいろ意見交換をさせてもらいました」。アリゾナ州ピオリアでの日々は教わること、学ぶことばかり。逆に現役時代に行っていた練習ドリルを提案すると、それを実際に練習に取り入れてくれたりもした。
「アメリカの野球を見るにつれて、これはちょっと違うなとか、これは日本だからできたことだなとか、アメリカならもっと違うアプローチがあるのかなっていうのを、3週間という短い期間でしたが、勉強することができました」。アメリカ、日本のどちらが良い、という話ではない。それぞれに特徴があり「日本の走者はとんでもなく意識も高いですし、技術は高い」とも感じた。
苦労の連続、英語プレゼンに挑戦
スプリングトレーニングも最終盤、福田氏が震える出来事があった。「コーチ陣のミーティングの中で1日1人、プレゼンをする機会があったんです。『せっかく来たんだからシュウヘイもやってみるか?』って言われてプレゼンをすることになったんです」。英語は満足に喋れないが、いい機会だと捉えてチャレンジすることにした。
準備は苦労の連続だった。「部屋でずっと英語で練習してたら、うるさかったのか、ホテルの隣の部屋から『ドンドン』ってされました……。なので、外で練習したり、日本語を喋れるスタッフに発音を確認したりしました」。スプリングトレーニングの期間中、空き時間を見つけては必死に準備を進めていった。
ただ、その機会はなかなか巡ってこなかった。当初、プレゼンが予定されていた日もプレゼンの前にミーティングは終了。すると、日本語を話せるスタッフがこう背中を押してくれた。「せっかく資料も作ったんだからやろうよ!」。
翌朝、福田氏は意を決して、監督室のドアの前に立った。震える手で扉を叩いた。直談判だった。「10分ください。プレゼンがあると聞いていたので準備しています!」。その機会は研修期間も終わりに迫ってきたタイミングでようやくやってきた。
プレゼンのテーマは「米国と日本の野球文化」だった。「マリナーズの選手ってみんな、ダグアウトのゴミ拾いをするんですよ。それに感動したっていう話をしたんです」。プレゼンの内容も好評だったが、それ以上に福田氏が語った“逸話”がコーチ陣、選手たちの心を掴んだ。
心を掴んだ大谷&山本からの本塁打
プレゼンの最後のオチとして、交えたちょっとした小話。「オオタニとヤマモトの2人から複数のホームランを打ったのは2人しかいないらしい。そのうちの1人がオレだ」」。現役時代には“エースキラー”とも称された福田氏は大谷翔平投手からも、山本由伸投手からも複数の本塁打を打ったことがあった。
いまや米球界で知らぬ者はいないドジャースの2人。周囲が食いつかないはずがない。翌日、プレゼンの話を伝え聞いた選手たちが福田氏のもとに次から次へと殺到した。「マジかよ! 動画見せてくれ!」。大盛り上がりとなり、マイナーの場でもプレゼンを求められた。
3週間の研修期間が終わり、3月半ばに日本に帰国。継続してマリナーズで働きたい希望は持っていたものの、先のことは何も決まっていなかった。「(コーチの話が)なかったら世界中を旅しようって思っていました。野球はヨーロッパにもありますし、ドミニカやキューバにも友人がいる。今まで一緒にやってきた仲間が散らばっているんで、そのツテを頼って勉強しに行こうっていうマインドでした」。研修での姿勢や能力が評価され、福田氏自身が望んでいた最高の形で道が開けた。
「語学の勉強は当たり前ですけど、選手のため、そしてチームのためにいま僕ができることを精一杯取り組んでいきたいと思っています」。すでにコーチとしての日々はスタート。メジャーの試合でベンチに入り、傘下3Aタコマでは一塁ベースコーチも務めた。夢と希望と少しばかりの不安と……。福田秀平が日本人として異例の挑戦をスタートさせた。
(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)