ヒトの脳細胞でコンピューター処理:真鍋大度が探る生命知能の可能性

ヒトの脳細胞にコンピューター処理をさせたアート作品

細胞に10秒間、さまざまなジャンルの音楽を認識させ、それらをクラシック、テクノ、ノイズといったジャンルに分類させる実験。聴かせた直後1秒間の活動データを使って分類した結果、精度は40.8%。聴かせている最中の10秒間の活動データを使って分類した結果、精度は90%。

よくある分類問題の実験で、正直、性能も驚くほどのものはない。

この実験で注目すべきは精度ではなく、学習に使われているプロセッサの種類だ。実は生体プロセッサ「Brain Processing Unit(BPU)」、平たく言えば人間の脳細胞を使って学習をさせていたのだ。

この実験は「細胞の耳」(2025)というアート作品として、アーティストの真鍋大度、東京大学 生産技術研究所准教授の池内与志穂(よしほ)、ソフトバンク 先端技術研究所による完全予約制の展覧会『Brain Processing Unit -生命とコンピューターが融合する未来-』で1週間だけ展示された。

展覧会では、このほかにも2作品が展示された。

2つ目の作品は「神経細胞による自律型ロボット制御実験」(2025)。柵で囲まれた空間にいる四つ足のロボット犬をBPUに制御させるというもの。ロボット犬は、休んでいたかと思うと突然、起き上がって歩き出したり、柵の近くまで行くと、後退りをして向きを変えたりと生き物的な動きをする。

ロボット犬は背中に2色のマーカーを搭載。脳オルガノイドには視覚がないため、ロボットの位置と障害物の情報を電気信号としてリアルタイムで入力する必要があった。今回は会場と東京大学生産技術研究所のBPUを専用線で接続し、BPUからの信号でロボット犬を操縦。障害物があると刺激が減少し、衝突直前には消失。この仕組みにより、電気刺激が報酬、減少が罰となり、脳神経細胞が自然に障害物回避を学習する。動き回っていたかと思うと、突然、休んでしまったりする動きが生き物っぽさを感じさせる。

©️ SoftBank Corp.

3つ目の作品は『生命とリズム』(2025)。

真鍋は、「脳オルガノイドに一定期間リズミカルな刺激を与えると、その後も自律的にリズムを刻み続ける」と聞いたことをきっかけに本作を制作。リズムへの普遍的な人間の反応の起源を探求した。

さらに、脳オルガノイドの応答を電気刺激としてフィードバックする実験を実施。このループにより、神経細胞は自身の生成したリズムを認識し、新たなリズムを生み出す循環的な過程が生まれる。真鍋は、これがRNN(リカレントニューラルネットワーク)に似た構造をもちながらも、生体神経回路特有の非線形な相互作用とノイズによって、より複雑で予測不能な振る舞いを示している可能性を指摘する。

「生命とリズム」(2025)。「細胞の耳」と似た方法で脳オルガノイドにリズミカルなビートを聴かせ、その応答や自発的な活動変化を継続的に観察・聴取。これにより、生命システムにおけるリズムの学習と生成の過程を提示した。真鍋は本作を通じて、人はなぜ音楽を聴くと思わず体を揺らすのか──このような普遍的な人間の反応の起源を、最も基礎的な生命の単位である神経細胞から探求したかったという。

©️ SoftBank Corp.

ソフトバンク 先端技術研究所の30年ビジョン「Brain Processing Unit」

ソフトバンク 先端技術研究所(SoftBank R&D)は、「新しい技術を社会実装するための研究・開発を行う組織」としてソフトバンクが22年に創設。5Gの次に来る6G通信や量子コンピューティング、AIなど数年後に社会実装されるであろうテクノロジーの研究が主業務になっている。本プロジェクトは、それらとは少し違って、約30年後くらいの未来社会を考える先端「ビジョン」のプロジェクトとして数年前から進められてきた。

23年には山梨県の清春芸術村で行なわれた真鍋大度個展「EXPERIMENT」のなかで、ラットの脳細胞にブロック崩しに似たゲームのプレイ方法を学習させた作品「Cells: A Generation」(2023)を展示。ラケットをボールにうまく当てることができると脳細胞に報酬を与え、当てられないと罰となる刺激を与えるかたちで脳細胞にゲームを学習させ、学習している様子や脳細胞の中で起きていることを映像化し展示した作品だ。

2023年山梨県の清春芸術村内、安藤忠雄設計の光の美術館で行なわれた真鍋大度個展「EXPERIMENT」では脳をテーマにした作品を2つ展示。左の「dissonant imaginary」はfMRIに入った人の脳活動から映像を生成した作品。右の「Cells: A Generation」は、今回の展示の前奏曲となるラットの脳細胞を使って学習させた作品。

©️ SoftBank Corp.

だが、今回の「Brain Processing Unit(BPU)」では、ラットではなくヒトの脳細胞を使うことになった。真鍋曰く「ラットの細胞と比較すると、ヒトの脳細胞は格段に高い性能を示す」と言う。

脳オルガノイド:iPS細胞からつくり出すミニチュア脳組織

もちろん、ヒトの脳細胞と言っても、話題のブレイン・マシン・インターフェイス(BMI)で脳内に直接信号を送ったわけでもなければ、人間の頭を切り開いて取り出してきたわけでもない。どんな細胞にでも分化する幹細胞からつくり出したものだ。よくSFに出てくるクローン人間は、1人の人間を丸ごとつくり出すが、そうではなく脳内の細胞だけをつくり出したもの、と想像してもらうとわかりやすいかも知れない。

あまり知られていないが、日本は幹細胞から脳細胞をつくり出すことにおいてはパイオニアで、08年にはマウスとヒトのES細胞から、大脳皮質に似た層状構造のある球状体を生み出している。最近、先端医療の世界ではiPS細胞を分化させてつくる三次元のミニチュア臓器、「オルガノイド」を作製する技術が急速に発展している。この技術は、疾患モデルの構築や創薬スクリーニング、再生医療への応用など、多岐にわたる研究領域で活用されている。

ほかの臓器と比べると複雑なため、培養には時間がかかるが、この10年ほどの間に脳のオルガノイドをつくる技術も急速に発展した。現在では大脳、中脳、小脳、視床など、脳の各部位のオルガノイドをつくり分けることも可能になってきた。

今回の真鍋の作品は「大脳オルガノイド」を使用している。

iPS細胞を分化させてつくるミニチュア脳組織「脳オルガノイド」。直径数mmから1cmほどの大きさで、神経細胞に加えて、神経細胞の生存を助けるグリア細胞などが含まれ層のような構造なども再現されている。

©️ Tomoya Duenki

神経細胞を軸索で接続してつくった組織

大きさにして約1cmほどの小さな組織で、十数cmほどある人の脳と比べるとサイズも小さければ、限られた種類の細胞しかない単純な組織だ。いま、この「脳オルガノイド」の性能を向上させるさまざまな研究が世界中で行なわれている。いくつかの脳オルガノイド同士を直接くっつけて脳に近づけようとする研究もあるが、池内与志穂の研究室では、脳の異なる領域が融合せず、軸索という神経の突起でつなげられている構造を重視している。

脳オルガノイドを小さな容器の中で培養しておくと、そこから細さ数ミクロンの軸索という神経細胞の突起が伸びていく。この軸索を別の脳オルガノイドに接続させたものを池内は「コネクトイド」と呼び、「脳の特定の領域内の局所的な回路と、領域間の巨視的な回路の両方を模すことができる」と考えている。

細い通路が用意された型の両端に脳オルガノイドを入れて培養を続けると、脳オルガノイドから伸びてきた軸索という神経細胞の突起によって複数の脳オルガノイドを接続できる。東京大学 生産技術研究所准教授の池内与志穂は、これを「コネクトイド」と呼び、今回の研究に用いている。

©️ Tomoya Duenki

同じ種類の脳オルガノイドを神経でつないだだけで、より複雑な人間の脳とはかなり構造が異なるが、それでもこの人工的な組織を使って簡単な情報処理ができる。

脳オルガノイドは、「電極アレイ」と呼ばれる電気的な信号を検出して記録したり、電気的な刺激を与えるための装置上に置かれ、電気を使ってコンピューターと通信ができる。池内の研究所とソフトバンク 先端技術研究所は、この仕組みを使って単体の脳オルガノイド、2個の脳オルガノイドをつないだもの、3個の脳オルガノイドをつないだもので、刺激を学習させ分類などをさせてみたところ、コネクトイドは単体の脳オルガノイドよりも刺激に対してよく反応することや、1個よりは2個、2個よりは3個のほうが識別精度が高くなり、学習のスピードも速くなることを確認。研究成果として発表している。

こうした研究を積み重ねて発見させていけば、今後、数十年の間に、脳オルガノイドをベースにしたプロセッサが、CPUやGPUといった既存のプロセッサや量子コンピューターで使われるQPU(Quantum Processing Unit)を補完する、新たなプロセッサとして台頭すると確証したのだろう。ソフトバンク 先端技術研究所は、この脳オルガノイドを用いた情報処理の技術をBrain Processing Unit(BPU)と呼び、メディアの発表会も行なった。

デジタルプロセッサとまったく異なる性質

発表会ではBPUには3つの強みがあると紹介された。1つは消費電力が圧倒的に小さいこと。例えば19年まで活躍し、かつて世界トップクラスに輝いた日本のスーパーコンピューター「京(けい)」の消費電力は1,270万ワットだが、場合によってはそれに負けない処理ができる人間の脳の消費電力はおよそ20Wと概算されている。およそ64万分の1の消費電力だ。

より少ないデータから学習できることもBPUの特徴で、BPUが1の情報で学習できる内容がデジタルプロセッサーの場合には100万倍のデータが必要なこともあるという。また、想定していない未知の状況に対応する能力も高く、BPUならわずか数Wの消費電力で対応できるが、デジタルプロセッサーの場合にはその1兆倍ほどかかることがあるという。

もちろん、いいことばかりではない。まず脳オルガノイドの細胞が死なないように培養できる環境を整えておく必要がある。今回の真鍋の展覧会でも、この問題があったため実際の脳オルガノイドは駒場にある東京大学の池内のラボで管理され、同ラボと恵比寿の展示会場の間をソフトバンクの高速専用線でつないで処理を行なった。

もうひとつ、真鍋はラットの脳細胞でつくった作品のときから「ずっと学習をさせていると途中で疲れてパフォーマンスが落ちたり、処理をサボり始めてしまったり、日によって調子がよかったり悪かったりする」と述べていた。これは脳オルガノイドでも同じで、ソフトバンク 先端技術研究所の研究員、杉村聡太も「個体差が大きく、同じ個体でも日によって今日は調子がいいものと悪いものなどバラツキが大きかった」と認めている。展示ではあらかじめ用意してある予備の脳オルガノイドも含め、その日、最も反応がよいものを選んで使っていたという。

専門家が考える生命知能の価値と可能性

展覧会初日には、ブレイン・マシン・インターフェイスの研究や脳オルガノイドを使って認知症の研究をする学者など、脳神経科学研究の専門家やアーティストたちを集めて今回の展覧会について話し合うトークイベントも行なわれた。

展覧会に合わせてトークイベントも行なわれた。第1部「脳神経科学研究の最前線 - BPUの実現性」は池内がMCを務め、ラットの作品で真鍋に協力した東京大学大学院情報理工学系研究科教授の高橋宏知、ブレイン・マシン・インターフェイスを研究する東京科学大学細胞生理学分野准教授の平 理一郎、脳オルガノイドを用いて認知症の研究をする慶應義塾大学再生医療リサーチセンター特任講師の嶋田弘子、ソフトバンク 先端技術研究所研究員の杉村 聡太と真鍋大度が登壇。第2部「脳神経科学が拓く新たな表現の世界」では、グローブエイト代表で経済キャスター/ビジネスジャーナリストの瀧口友里奈がMCを務め、Ars Electronicaの小川絵美子、アーティストで慶應義塾大学教授の脇田 玲、真鍋大度が登壇した。

©️ SoftBank Corp.

真鍋とともに2年間、脳オルガノイドのプロジェクトにかかわってきたソフトバンク 先端技術研究所の研究員、杉村聡太は「それまで自分が扱ってきたコンピューターは、主にあらかじめ指示を与えるなどしてルール化された環境で情報処理を行なうものだったが、BPUはルールのないところにルールをつくって物事を進めることができるのではないかと期待している」と言い、おそらくこれまでのコンピューターが応用できなかったような新しい分野で活用されるのではないかという見解を述べた。

ラットの作品で真鍋に協力した、「知性とは何か」を研究している東京大学大学院情報理工学系研究科教授の高橋宏知も、これまでのコンピューターとは用途が変わってくることを強調する。

「正答率9割の電卓は誰も使わない。電卓は間違いを起こさないことを期待されているが、ヒトの脳は必ず間違いを犯すものだし、ヒトの脳は間違いを犯すことが許されている。人工知能は絶対に間違わない正確さが求められる自動化の技術。これに対して生命知能は自律化の技術」だと言う。

「人工知能は、将棋とか囲碁にしても、ガッチリしたルールのなかでは凄いパフォーマンスを発揮する。人間の脳はそこではかなわない。でも、人間は間違いを犯しながらも、自分でルールをつくり出す。例えば将棋や囲碁には、多くの人々が魅了されているけれど、これらのゲームのルールは人間がつくった。そこに生命知能の魅力を感じる。人工知能は芸術を感じられるかというと、ぼくはそれは無理だと思う」と語る。

真鍋も脳オルガノイドの細胞ごとの個性や絶頂、不調といったパフォーマンスの波といったところに、これまで彼が扱ってきたコンピューターとは異なる魅力を感じているという。

いずれは自分の分身で作品をつくりたい

真鍋はよくデジタルアート作品をつくるアーティストだと思われている。確かに彼は自らコンピュータープログラムを書くプログラマーでもあるのでそう思われていることがよくある。しかし、彼がこれまで手掛けてきた仕事を掘り下げてみると、少し違うことがわかる。コンピューターでプログラムしたものというと、必ず毎回同じ結果が得られるものを想像しがちだが、真鍋はそこに例えばダンサーの動きだったり、物理的な仕組みなど「予測不能」な要素を絡めてくる。

展覧会の作品を説明する真鍋(写真左)と池内(写真右)。

Photograph: NOBI HAYASHI

トークでも「予測ができないものが好き。ただし、自分の好みと合わなければ嫌だ。期待にはある程度応えてほしいが、予想は裏切って欲しい」と述べていた。

そう考えると、『WIRED』が初めて取り上げた08年の「electric stimulus to face」以来、彼の試みは一貫している。

真鍋にとって、人体最大のミステリーである脳は、重要な題材のひとつとなっており、これまでにも自らがfMRIに入って記録した視覚野の脳活動をダンス映像に変換する「morphecore」(2020)や、ソフトバンク 先端技術研究所の協力で開催された真鍋大度個展「EXPERIMENT」でラットの脳細胞の作品と一緒に展示されたfMRIで音楽に反応した脳の反応を映像化した「dissonant imaginary」(2018-2022, Daito Manabe + Kamitani Lab, Kyoto University and ATR)などいくつかの作品をつくっていた。

そうした紆余曲折を経てたどり着いたのが「脳オルガノイド」だ。今回の展覧会は限られた期間のなかで制作し、実際に作品づくりに使えるのかや、どんなことができそうなのかを探る実験的な要素が大きかったという真鍋。しかし、そのなかでも常にもち続けている根源的な問いのひとつである「自分の趣味嗜好の原点とは何か?」に迫る作品がつくれたという。

そんな真鍋が今後やってみたいのが、自らのiPS細胞からつくった「脳オルガノイド」で作品をつくることだ。ほかのオルガノイドと比べても脳オルガノイドは培養に時間がかかるため、今回はそれがかなわず医療目的などで使われている細胞を使ったという。

「自分自身の細胞を使ったとなると作品がもつ意味合いがまた大きく変わってくる。早く自分自身の分身と作品をつくってみたい」と期待を寄せる。また、自分の脳オルガノイドとほかのアーティストの脳オルガノイドを接続した「コネクトイド」の可能性にも興味を示していた。

一方、ソフトバンク 先端技術研究所は現状の「脳オルガノイド」は「人間の成長でいうと赤ちゃんよりも前の段階」との認識で「今後の培養技術、解析技術と共に高度化が期待できる」とし、いまから30年後くらいには未知環境への適応や「0→1」でのクリエイティビティ創出など、従来のプロセッサが担えなかった領域での活用ができるのではと期待を寄せている。

(Edited by Erina Anscomb)

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