消費電力を10億分の1に削減する新型メモリ素材が偶然見つかり夢のメモリの実現がまた一歩進む
データストレージ技術の革新につながる画期的な発見が報告された。ペンシルベニア大学工学部の研究グループは、インジウムセレン化物(In2Se3)を用いることで、次世代メモリ技術として期待される相変化メモリ(PCM)の消費電力を最大10億分の1に削減できる可能性を見出した。この成果は科学誌『Nature』に発表された。
この画期的な発見は、ペンシルベニア大学工学部大学院生のGaurav Modi氏による予期せぬ実験結果から始まった。Modi氏は研究の一環としてIn2Se3ワイヤーに連続的な電流を流していた際、突如としてワイヤーが電気を通さなくなる現象に遭遇した。通常、非晶質化を引き起こすためには電気パルスを与える必要があり、連続電流によって結晶構造が乱れることは想定外だった。この予想外の現象の解明には、その後3年もの歳月を要することとなった。
詳細な分析の結果、研究チームは非晶質化が進行するユニークなメカニズムを発見した。このプロセスは、自然界における雪崩現象に酷似している。最初に、電流によってIn2Se3の層状構造の一部が不安定な状態に押し出される。これは、山頂に積もった雪が微かに動き始める状態に例えられる。この小さな変化が臨界点に達すると、材料全体に急速な変形が伝播していく。
特筆すべきは、この過程で発生する「アコースティックジャーク」と呼ばれる音波の役割だ。変形した領域が衝突する際に生じるこの音波は、地震の際の地殻を伝わる地震波に似た挙動を示す。この波が材料内部を伝播することで、ナノメートルスケールの小さな非晶質領域が連鎖的に結合し、最終的にマイクロメートルスケールという、当初の数千倍の大きさにまで成長する。
この自己伝播型の非晶質化プロセスにより、従来の溶融急冷法で必要とされていた莫大なエネルギーを必要としない。溶融急冷法では材料を溶かすために高温まで加熱し、その後急速に冷却する必要があったが、新しい方法では電流による微細な構造変化が引き金となって自発的に非晶質化が進行する。これにより、消費電力を従来の10億分の1にまで低減できる可能性が示された。
研究チームはこの現象が、In2Se3が持つ複数の特殊な性質の相互作用によって実現されていると説明している。二次元的な層状構造、強誘電性、そして圧電性という三つの性質が組み合わさることで、極めて低いエネルギーで非晶質化を実現する新しい経路が開かれたのである。この発見は、省電力型電子デバイスの開発に向けた新たな研究分野の幕開けを示唆している。
現代のコンピュータシステムは、データの処理と保存に異なる種類のメモリを使い分けている。高速なデータ処理を担うRAM(ランダムアクセスメモリ)は、電源が切れるとデータが消失してしまう揮発性メモリである。一方、データを長期保存するSSDや硬直ディスクは不揮発性だが、処理速度が比較的遅いという特徴がある。この二つの性質を兼ね備えた「ユニバーサル・メモリ」の実現は、コンピュータ科学における長年の夢とされてきた。
相変化メモリ(PCM)は、このユニバーサルメモリの有力な候補として注目を集めている技術である。PCMは、材料の原子配列を結晶状態(整然と並んだ状態)と非晶質状態(ランダムに配置された状態)の間で切り替えることでデータを記録する。これらの状態は電源が切れても保持され、かつ高速な切り替えが可能なため、理想的なメモリとして期待されている。
今回発見されたインジウムセレン化物(In2Se3)の特殊な性質は、PCMの実用化に向けた大きな前進となる可能性を秘めている。この材料は強誘電性と圧電性という二つの重要な特性を併せ持つ。強誘電性により、外部から電場を加えなくても自発的に分極を維持できる。また圧電性によって、電気的な刺激が物理的な変形を引き起こし、その変形が更なる電気的な変化を生み出すという相互作用が可能となる。
これらの特性が組み合わさることで、極めて低いエネルギーで状態変化を引き起こすことが可能となった。従来のPCMでは、材料を溶融点近くまで加熱する必要があったため、大きな電力を必要とした。新しい手法では、わずかな電流で開始される自己伝播的な状態変化により、消費電力を劇的に削減できる。これは、携帯電話やノートパソコンなどの省電力化が求められる携帯デバイスへの応用において、特に重要な意味を持つ。
研究チームのRitesh Agarwal教授は、この発見が単なる技術革新にとどまらない意義を持つと指摘する。複数の物理的性質が協調して働くことで実現される新しい状態変化のメカニズムは、材料科学における新しい研究領域を切り開く可能性がある。これは将来的に、電子デバイスや光学デバイスの低消費電力化に向けた、さらなる技術革新につながる可能性を秘めている。
この研究成果は、持続可能な未来に向けたデジタル技術の発展において重要な一歩となる。省電力かつ高性能なメモリデバイスの実現は、データセンターのエネルギー消費削減から、IoTデバイスの長時間稼働まで、幅広い応用可能性を持つ。今後は、この技術の実用化に向けた更なる研究開発が期待される。
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