パキスタン押し上げた「核の力」 大国を差し置き仲介役 アメリカとイランの停戦まとめる
アメリカとイランの戦闘終結に向け、南アジアのイスラム教国パキスタンが巧妙な外交力を見せている。3月後半から急きょ仲介に乗り出し、4月7日には2週間の停戦をまとめた。先進7カ国(G7)や中国といった大国を差し置いて、パキスタンが予想外の役回りを演じているのはなぜか。アメリカ、イラン双方と長年培ったパイプがあったことに加え、本来なら仲介を担うはずのカタールなど湾岸諸国がイランからの攻撃で紛争に巻き込まれた事情もあった。そして、もう一つの重要な要因が、核保有国としての影響力だ。(時事総合研究所客員研究員 杉山文彦)
アメリカとイスラエルは2026年2月末、イランへの軍事作戦に踏み切った。理由の一つはイランの核開発だが、その核開発は実は、パキスタンの技術が基になった可能性がある。
話は52年前にさかのぼる。カシミール地方の帰属などを巡ってパキスタンと3度戦火を交えたインドが1974年5月、初の地下核実験を行った。インドはアメリカ、(旧)ソ連、イギリス、フランス、中国に次ぎ、世界で6番目の核保有国となった。
これに大きな衝撃を受けたのが、3度とも印パ戦争に敗れていたパキスタンだった。宿敵インドが核兵器を手にするなら、自分たちもそうしなければ、もう勝ち目はない。当時のズルフィカル・アリ・ブット首相はこう宣言した。
「草や葉をはみ、いくら飢えてでも自前の核を持つ。その爆弾は単なる兵器ではない。まさにわれわれの生き残りのカギになる」
イスラム圏初の核保有国
その言葉に、オランダにあるウラン濃縮大手ウレンコ社の下請け企業に勤めていたパキスタン人の冶金学者アブトルカディル・カーン博士が呼応した。ウラン濃縮に使う遠心分離機の設計図などをウレンコ社から盗み出した博士は、帰国して政府の核開発チームを率いた。
インドが98年5月に2度目の核実験を行うと、カーン博士は同月中にすぐ核実験を成功させて対抗した。パキスタンでは「核開発の父」と英雄視された。
パキスタンの核実験は、インド以上に余波が大きかった。イスラム世界で初めての核保有国となったからだ。中東各国の独裁体制やテロリストへの核拡散を警戒する事実上の核保有国イスラエルにも戦慄(せんりつ)が走った。
カーン博士は、欧米やイスラエルだけが核兵器を独占するのは不当であり、それ以外の国も核保有を許されるべきだという考えを抱いており、80年代から「核の闇市場」と呼ばれる拡散ネットワークを築いた。イランのほか、北朝鮮やリビアに関連技術などを提供した疑いで2004年、パキスタン当局に拘束された。自ら国営テレビで、核拡散に関与したと告白している。
遠心分離機4000台提供か
拡散先のイランが国際原子力機関(IAEA)に未申告で十数年にわたり核開発計画を進めていることが、反体制組織によって02年8月に暴露された。IAEAもイランが中部ナタンズにウラン濃縮施設を、西部アラクに重水炉を建設していたと確認した。
中東ニュースのサイト「ミドルイーストアイ」(本部ロンドン)によると、イランのラフサンジャニ元大統領は15年のインタビューで、「パキスタンはわれわれに中古の遠心分離機4000台を提供した」と証言。86~01年にかけて必要な部品を供与され、イラン人科学者6人がパキスタン国内の研究機関で訓練を受けたとも述べている。
イランとサウジアラビアの間で板挟み
「イスラムの核」を持つパキスタンに、他の中東の国も接触を図った。その一つが経済苦のパキスタンを長年、財政支援してきた産油国サウジアラビアだ。
両国は25年9月、「戦略的相互防衛協定」を締結した。協定には「いずれかの国に対するいかなる侵略も、両国への侵略と見なされる」という条項が盛り込まれた。これは専門家の間で、サウジアラビア有事の際、パキスタンが「核の傘」を提供し得るという意味だと解釈されている。
この協定締結が結果として、パキスタンを今回の紛争で仲介役に押し上げた。アジア経 済研究所の研究者、⼯藤太地氏は最近の論考で、「戦争が激化して、湾岸諸国とりわけ相互防衛協定を結ぶサウジアラビアが参戦した場合に、パキスタン自身が戦争に巻き込まれる事態を強く警戒していた」と指摘している。
実際、アメリカとイスラエルの攻撃を受けたイランは、サウジアラビアを含む親米の湾岸産油国の石油施設などを攻撃した。もしサウジアラビアがこれに反撃すれば、パキスタンは防衛協定に基づき、イランと戦わざるを得ない事態も想定された。つまりパキスタンはイランとサウジアラビアの間で板挟みになったのだ。
「ならず者」の汚名返上なるか
パキスタンの人口は約2億6000万人で、このうち15%に当たる4000万人前後は、イランと同じイスラム教シーア派の信者だ。イランと戦えば、シーア派住民の反発が強まり、国内が政情不安に陥る恐れもあった。
そこでパキスタンは、軍トップのムニール参謀長が中心となり、アメリカとイランの仲介を買って出た。ムニール氏はアメリカのトランプ大統領と懇意で、トランプ氏から「お気に入りの元帥」と呼ばれ、25年中にホワイトハウスを2度訪問した。陸軍士官候補生だったときに日本の陸上自衛隊富士学校で訓練を受けた経験を持ち、イランの精鋭軍事組織「革命防衛隊」とも友好関係にある。こうした幅広い国際的な人脈を生かし、ムニール氏は戦闘終結に向けた交渉の橋渡し役を慎重に担っている。
1979年のイラン革命後から半世紀近く断交しているアメリカ、イランの両国が、公式の場で直接協議したのは初めてだ。26年4月7日に結ばれた停戦は、当初の2週間を超えて6週間が経った5月18日時点でも辛うじて維持されている。世界的なエネルギー危機を招いたこの紛争を収拾に導けば、テロ支援疑惑と経済不振で「ならず者国家」「破綻国家」の汚名を着せられていたパキスタンが、一転して国際的な名声を博すかもしれない。
「核爆弾製造への競争」再燃?
ただ、戦闘が終結した場合、イランが核武装に傾斜するのではないかと懸念する見方も出始めた。
イスラム体制を樹立した最高指導者ホメイニ師(故人)はファトワ(宗教令)を布告し、核兵器は「イスラムの教えに背く」と保有を禁じた。後継者アリ・ハメネイ師もそれに倣ったが、アメリカとイスラエルの軍事作戦によって殺害された。イランでは、核抑止力の必要性が取り沙汰される中、革命防衛隊が主導する強硬派が新指導部を形成している。現在の最高指導者モジタバ・ハメネイ師はまだ公の場に姿を見せていない。
米誌フォーブズ日本版は4月16日、イランで「(外部からの支援を受けて)核爆弾製造への競争が再び始まるかもしれない」と報じた。「イスラムの核」を持つパキスタンの動向が、さらなる注目を集めるかもしれない。