北朝鮮の大飢饉で母・姉3人死亡、電気のない生活…ポッドキャスト番組で脱北者ら「惨状伝えたい」

 日本で暮らす脱北者らが北朝鮮の実情を語るポッドキャスト番組「同じ空の下~北朝鮮と私~」が始まった。北朝鮮と関わりを持った人が肉声を日本語で伝えるのは珍しく、制作するNGOは「北朝鮮の現状に関心を寄せてほしい」と聴取を呼びかけている。

ポッドキャスト番組の収録で北朝鮮での体験などを語る脱北者のキム・ヨセフさん(2月9日、大阪府内で)=原田拓未撮影

 「(豊かな家庭には)日本の中古家電があったし、庶民の交通手段は日本の中古自転車だった」。大阪府内のマンションで2月に行われた番組収録。2008年、23歳で北朝鮮を逃れたゲストのキム・ヨセフさん(40)は故郷の暮らしを振り返った。13年の来日時に自転車の多さに驚き、「こんなにあるから北朝鮮にもいっぱい来たんだって分かった」と日本語で語り、対談相手の笑いを誘った。

 キムさんによると、少年時代、北朝鮮東部で極貧生活を送った。1990年代の大 飢饉(ききん) で母と姉3人を失い、父、弟とは生き別れた。路上で生活し、山で集めた 薪(まき) や薬草を闇市で売って食いつないだという。

 18歳の頃、父が韓国で生きていると人づてに聞き、「自分も抜け出したい」と脱北を試みた。しかし、中国国境で当局に密告され、失敗。5年後に再度、国を捨てる決意をしたのは自由や豊かさへのあこがれからだ。国境に潜んでいた時、映画「007」や海外ドラマを見た。携帯電話で話す人、夜も明るい街……。そこには、北朝鮮では想像もつかない生活があった。

キム・ヨセフさんの脱北ルート

 08年、国境を流れる豆満江を歩き、中国に渡った。バスや電車を乗り継いで東南アジアに抜け、最後は空路で韓国へ。約9か月がかりで脱出し、父と再会した。

 韓国から日本語を学ぶために1年の予定で訪れた日本での滞在は10年を超えた。大学を卒業し、今は大阪府内に住み、在留許可を更新しながら会社員として働く。

 3年前にはユーチューブチャンネルも始めた。きっかけは、大ヒットした韓国ドラマ「愛の不時着」だった。北朝鮮の軍人と韓国の財閥令嬢との恋愛を描いた作品だが、「良いドラマと理解しつつ、現実は違うという話は経験者としてちゃんと伝えないといけない」と考え、「脱北ユーチューバー」として顔を出して情報発信をするようになった。キムさんは収録で、伝え聞く北朝鮮の現状について「いまだに食べ物に困っていて、明るい電気や、蛇口をひねれば水が流れる生活ができていない」と指摘。「いつか国も変わって、みんなが平等にどこにでも行ける自由を与えられるようになってほしい」と訴えた。

 番組を制作するNGOは、脱北者支援などに取り組もうと昨年発足した大阪市の一般社団法人「Free2Move(自由往来の会)」。1月に始めたポッドキャスト番組(1回約30分)は7月末まで30回の配信を予定する。在日朝鮮人の両親と北朝鮮に渡った後に脱北した広島生まれの女性や朝鮮学校の元教師、日本人ジャーナリストらも出演する。

脱北者日本に200人

 自由往来の会によると、日本には約200人の脱北者がおり、大半は支援団体がある大阪や東京に住んでいる。日本の親戚らに紹介された仕事で生計を立てたり、生活保護を受けたりするケースが目立つ。身元を隠してひっそりと暮らす人も多いという。

 朝鮮半島情勢に詳しい神戸大の木村幹教授は、韓国で盛んな脱北者によるSNS発信が日本でも始まったことについて、「朝鮮総連の在日社会への統制力が落ちていることが背景にあるのではないか」と指摘。「ポッドキャストを通じて脱北者が身近な存在として受け止められれば、近年薄れる北朝鮮への関心が高まるきっかけになるかもしれない」と話す。

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