見過ごされてきた「ヒトメタニューモウイルス」、中国で感染拡大。公衆衛生への影響は?

世界でも数少ない「ヒトメタニューモウイルス(hMPV)」の研究に特化した研究室で室長を務めるジョン・ウィリアムズは、これまで疑り深い医師たちにhMPVの存在を理解してもらうため、多くの時間を費やしてきた。そんななか、中国北部でのhMPVウイルス流行が大きな警戒感を呼び起こしたとき、ウィリアムズは複雑な思いを抱いた。ずっと見過ごされてきた公衆衛生上の重大な問題が、ようやく真剣に受け止められるようになったからだ。

hMPVは24年前、急性呼吸器感染症の原因となるウイルスの特徴を明らかにしようとしたオランダの科学者グループによって、初めて特定された。しかしそれ以降、hMPVはインフルエンザ新型コロナウイルス(COVID-19)、呼吸器合胞体ウイルス(RSV)と並んで、季節ごとに世界的な流行をおこす呼吸器系ウイルスのひとつであるにもかかわらず、その認知度は著しく低いままだった。

「北米や南半球では冬季に流行し、熱帯地方では雨季に流行します」とウィリアムズは語る。「一般的には、まずRSVが流行し、次にインフルエンザの大きなピークが来て、その後にhMPVのピークを迎えます。この3つは互いに続いているようなものなのです」

感染力は高いが、強毒性ではない

国際ウイルス学者連合(グローバル・ウイルス・ネットワーク)のチーフ・メディカル・オフィサーであるステン・ベルムンドは、hMPVが新型コロナウイルスやインフルエンザと同程度のパンデミックを引き起こさないことは明確にしておくべきだと語る。

hMPVは感染力が強いため、5歳までにほとんどの子どもが感染する。ただし大多数の健康な子どもや成人には、ウイルスは軽い風邪として現れるだけだという。また、新型コロナウイルスやインフルエンザのように変異や進化をすることもない。つまり、これまでのhMPVへの感染レベルに応じて、免疫レベルが周期的に増減するものの、免疫システムが変異する新形態のウイルスを撃退する方法を継続的に学習する必要はないのだ。

最近、中国で感染者が急増しているのは、中国政府がSARS-CoV-2を抑制するために「ゼロコロナ政策」を導入した結果だとウィリアムズは感じている。3年近くも社会的な交流が制限され、子どもたちの免疫レベルが低下したせいだろうと。

「中国はほかの国よりもずっと長く新型コロナウイルス予防策を取っていました。解除後、再び(社会を)開放したとき、感染しやすくなったのです」とウィリアムズは語る。「おそらくそのせいでしょう。hMPVが特別に強毒性のウイルス株ということではないです」

認知されるまでの長い道のり

米国におけるhMPVの感染レベルは現在低い。CDCの最新データによると、週単位で実施される呼吸器系ウイルス関連の陽性検査では2%未満だ。インフルエンザが19%、新型コロナウイルスが7%だが、パンデミック後の2022~23年の冬には、米国でもhMPV感染が急増していた。

23年初頭、全米各地の医師が慌てふためいてウィリアムズのところに電話をしてきたという。入院患者(主に幼児、75歳以上、免疫不全の患者)たちにhMPV検査をしたところ陽性だったというのだ。しかし、この結果はウィリアムズにとっては予想外ではなかった。

その10年前、ウィリアムズは権威ある医学ジャーナルの『New England Journal of Medicine』に、入院中の小児患者で確認される感染症のなかで、hMPVはRSVに次いで2番目に多いことを示す画期的な論文を発表していた。

また、08年発表の、4年間のニューヨークでの研究によると、hMPVは高齢者が入院する原因としてRSVやインフルエンザと同程度に多く、ICU入室率や死亡率も同程度であることが明らかにされていた。肺炎の症状で入院した成人を対象とした別の全国調査でも、hMPVの発生頻度はRSVと同程度で、インフルエンザにもほぼ匹敵することが示されていた。

ウィリアムズによると、ほかの多くの呼吸器系ウイルスと同様、hMPVは慢性肺疾患、あるいは喘息やがんなどの既往症のある人に影響を与える傾向があるという。それにもかかわらず、多くの医師がhMPVの脅威に気づいていないと語る。その大きな理由が、比較的最近まで学術研究以外で誰もhMPVの検査をしてこなかったからだという。

「医学界でさえ、hMPVがこれほど一般的な感染症だということを、多くの医師が認識していませんでした」とウィリアムズは指摘する。「臨床検査が普及するにつれて、『先週、ICUでhMPV感染患者を診ました。本当に存在するんですね。いままで信じていませんでした』と驚きを伝えてくる医師が増えてきました。やはり実際の症例を目にするまでは、この感染症が社会に及ぼす影響の大きさを、完全には理解できないのでしょう」

過去にもhMPVの感染拡大は何度も起きていたはずだが、それを見過ごしていたか、インフルエンザと誤認していたのだろうとベルムンドは指摘する。新型コロナウイルスの流行がもたらした成果の一つは、循環呼吸器系ウイルスのサーベイランス(監視体制)強化の必要性が認識されたことだという。その結果、疫学者たちが初めてhMPVの症例数を正確に把握できるようになったと、ベルムンドは説明する。

「中国は呼吸器系ウイルスの分子診断が極めて進歩しており、ほかの多くの国々を上回る規模で公衆衛生サーベイランスを実施しています」とバーマンドは語る。「中国がこの分野で特に優れた取り組みをしているからこそ、メタニューモウイルスが私たちの従来の認識をはるかに超えて一般的な感染症だということが明らかになったのです」

安価な検査がまだない

ウィリアムズは、最近のhMPVへの関心の急速な高まりは、公衆衛生にとってもいい結果をもたらすだろうと考えている。現在、hMPVはいわゆる「マルチプレックス・パネル」と呼ばれる、最大25種類の呼吸器系ウイルスの存在をチェックする診断法の一部としてしか検出できない。費用は患者ひとりあたり約200ドルかかるという。これは、救急外来の医師が病気の乳幼児を入院させるか帰宅させるかを決定するための投資としては価値があるが、一般の医師にとっては法外な金額である場合が多い。

「インフルエンザやコロナ、そしてRSVには手ごろな値段の検査があるので、どこの臨床医でも実施できます」とウィリアムズは語る。「しかし、hMPVには安価な検査がありません。複数のウイルスを評価する複雑な診断パネルがあるだけで、一般の診療所での入手は困難です」

hMPV検査が低コストで実現するのではないかという期待はある。ベルムンドによると、マサチューセッツ州のレイゴン研究所は、呼吸器系ウイルス検査の価格を患者ひとりあたり6ドル以下にしようと取り組んでおり、最終目標は1ドル以下に引き下げることだという。

ワクチン開発は加速

同様に、hMPVの認知度が高まったことで、もうひとつの効果があった。それは、ワクチンを迅速に開発することに対して、より強いインセンティブが生じたことだ。現時点では、hMPVに対して認可されたワクチンはないが、過去2年間に候補ワクチンが続々と誕生し、初期段階の臨床試験に入っている。

昨夏、オックスフォード大学の研究者らはモデルナと提携して、RSVとhMPVの混合ワクチンの臨床試験を始めた。同大学でワクチン・グループを率いる、感染・免疫学教授のアンドリュー・ポラードは、既存のワクチンにhMPVを加えることが、追加予防接種を実施するうえで最も現実的な方法だと語る。

「RSVとhMPVを同じワクチンにできれば、注射針を増やすことなく、より多くの呼吸器疾患の入院患者に対応できます」とポラードは言う。「しかし、その前にhMPVに対するワクチン接種をどのくらいの頻度ですべきかを調べる必要があります。数年に一度のワクチン接種で免疫ができるのであれば、RSVとの混合ワクチンは可能でしょう」

いずれにしても、hMPVが突然関心を集めたことは、重要な進展だとベルムンドは語る。このウイルスが次のパンデミックを引き起こすことはないだろう。しかし、それでも非常に多くの人を苦しめており、公衆衛生システムにとって大きな負担となっている。そして長い間認識されなかったことだが、免疫力の低下した人々にとっては、命を脅かす存在にもなりうるのだ。

「メタニューモウイルスは致死率こそ高くありませんが、極めて一般的なウイルスです」とバーマンドは指摘する。「長年にわたり相当数の風邪の原因となってきたことで、莫大な経済的損失を生み出してきました。そして時には、人命さえも奪ってきたのです」

(Originally published on wired.com, translated by Miki Anzai, edited by Mamiko Nakano)

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