壮絶な身内の裏切り、社員の87%がいなくなり全データが破壊された 原発や防衛省にも採用された高技術企業の2代目、ゼロから奇跡のV字回復
―――会社の事業について教えてください。 社名の通り、横に引く「横引シャッター」の専門メーカーです。 先代社長の父が、従来は上げ下げしていたシャッターを横に開けるよう開発し「横引きシャッター」として特許を取得しました。 皆さんがよく目にするのは、駅の売店やショッピングモールのテナントなどで、閉店後に店内が見えた状態で防犯するタイプのシャッターでしょうか。 でも、その他にも、原子力発電所や造幣局、防衛省、大手自動車メーカーの開発工場など、高いセキュリティや特殊な仕様が求められる施設にも、当社の技術が採用されています。 社員数は現在35名です。決して大きな組織ではありませんが、精鋭たちで北海道から沖縄まで、全国の現場を飛び回っています。 売上は横引シャッター単体で3億円強といったところです。 もともとは、一般的な上下シャッターなどを手掛ける「中央シャッター」という会社が母体で、そこから特殊シャッターに特化した横引シャッターが生まれました。 ―――先代のお父様はどのような方でしたか? 今、自分が親になってみて思うのは、父は良くも悪くも子どもにあまり興味がない人だったということです。 幼い頃の父との思い出といえば、日曜日に家にいる姿か、年に6回ほどあった家族での墓参りくらい。 その帰りに美味しいものを食べに連れて行ってくれるのが、数少ない家族のイベントでした。 だからでしょうか、思春期にありがちな父親への反発や反抗期は、私には全くありませんでした。 が、自由にやんちゃな時代を過ごしていました。 (髪は金髪、左耳には7個のピアスで、高校は出席日数を計算して行っていました) ただ、いわゆる「帝王学」のようなものは、物心ついた頃から自然と教え込まれていました。 難しい経営理論などではなく、「人の話を聞くときは相手の顔を見なさい」「自分が話すときも相手の顔を見なさい」といった基本的な姿勢です。 それが当たり前のこととして育ちました。 社会に出てから、決して当たり前ではないと知り、父の教えがいかに貴重なものだったかを痛感しました。 その時は「帝王学」とは微塵も思っていませんでしたが、間違いなく私の経営者としての礎になっています。