【きょうプロ転向4年目】羽生結弦は「自分の人生を主人公として生きている」 フォトグラファーが目撃した表現者の素顔

羽生結弦/はにゅう・ゆづる。1994年12月7日仙台市生まれ。4歳からスケートを始め、14歳でジュニアグランプリファイナル優勝。2014年、ソチ五輪フィギュア男子でアジア勢初の金メダル、18年平昌五輪フィギュア男子で2回目の金メダル。22年に北京五輪出場、7月にプロ転向 Ⓒ矢口亨 この記事の写真をすべて見る

 2022年7月19日に記者会見を開き、競技生活に区切りをつけ、プロフィギュアスケーターとして歩むことを表明した羽生結弦さん。あの日からちょうど3年。「表現者・羽生結弦」はどう変化し、どう深化してきたのだろうか。羽生さんを長年にわたって撮り続けてきた写真家・矢口亨氏に話を聞いた。

【写真】しなやかで美しい…羽生結弦さんがスタジオ撮影で見せた圧倒的表現力

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――羽生さんのプロ転向から3年が経ちました。矢口さんはプロ転向前から競技やアイスショー、そしてスタジオと様々なシチュエーションで羽生さんを撮影しています。その間を振り返って、羽生さんのフィギュアスケートへの向き合い方に変化は感じていますか。

 物理的な観点でお話しすると、競技には「審判員による点数」が評価基準の一つにあります。羽生選手自身のなかにも、「プログラムのなかにあるエレメンツを一つずつクリアしながら全体を滑りきる」という意識が強かったのではないかなと思います。具体的に言うと、競技のときはやはり得点の比重が大きいジャンプにこだわりや熱量、集中力を割いていたような印象がありました。

 プロになってからは、その軸が少し変化したように感じています。一つは、彼自身が見せたいと思うものへの納得度。それにプラスして、スケートを見に来てくださる方がどう感じるのか、どうすれば一人でも多くの人に伝わる表現ができるのか、です。ジャンプも含め、一つひとつのスケーティング技術であったり、スピンの美しさであったり、もっと根本的なことを言えば、姿勢や佇まい、動作一つひとつの美しさをすごく大切にしているのかなと感じます。

――そうした変化を見るなかで、撮影者として視点や心持ちが変わったりはしますか。

 撮る側としては、なんと言えばいいんでしょうか。前は、撮るときにある種の息苦しさみたいなものがありました。競技ということもあり、会場そのものが緊張感で包まれていて、ショートの約3分、フリーの約4分がそれぞれすごく長く感じたことを覚えています。

――プログラムの3分、4分が長く感じたというのは、プレッシャーのようなものなのでしょうか。

 撮影することへのプレッシャーももちろんありますが、それは今もあまり変わっていません。フォトグラファーとして撮影していると、被写体に対して応援する気持ちがどうしても入ってきます。競技で言えば、「どうかうまくいってほしい」「3分間、完璧に滑っているところを見たい」という気持ちが出てくるんです。その意味で時間が長く感じたのかもしれません。

 今は、演技を見ながら自分自身も楽しんでいるからこそ、一つひとつの動作を細かく見られるようになったような気がします。

“優しさ”感じた「Danny Boy」

――印象的だったプログラムはありますか。

 羽生選手にも一度伝えたことがあるんですけど、2024年の「ファンタジー・オン・アイス」の「Danny Boy」に僕はすごく感動したんです。どう表現していいかわからないんですけど、すごく美しくて、何より「ずっとこれを見ていたい」と思ったんですよね。この感覚は競技を撮影していたときにはあまり感じたことがなかったかもしれないです。


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Ⓒ矢口亨

――感想を伝えたとき、羽生さんご本人はどういうリアクションをされたんですか。

 羽生選手の返事を聞いて思ったのは、「届けることを強く意識しているんだな」ということです。表現というのは、土台に自分がいて、それを誰にどう伝えたいかということを逆算して形成されると思うんです。いろんな人に優しさや希望を届けたいと思ったからこそ生まれる身体の美しさや柔らかさが伝わってきました。だから僕は心地よさを感じて、ずっと見ていたいと思ったのかもしれません。

 このとき見た「Danny Boy」は、自分自身が表現したいという気持ちももちろんあるけれど、その表現がもっといろんな人に向いていたのかなという感じがしました。一つひとつの動きに優しさを感じたのは、羽生選手自身のそうした気持ちが演技にも乗っていたからだと思うんです。

――24年の「ファンタジー・オン・アイス」というと、プロに転向してから少し時間が経った時期です。その間に羽生さんは「プロローグ」(22年)、「GIFT」(23年)、「RE_PRAY」(23~24年)と単独アイスショーを重ねてきました。そのなかで感じた変化はありますか。

「プロローグ」は、ショーの構成も含め、競技時代の感覚を踏襲していたと思います。これまで羽生選手が歩んできた足跡になぞっていましたよね。「GIFT」はDisney+の配信でしか見られていないのですが、競技時代から応援してくれたファンの方たちに対するものでもあったのかな、とも思っています。そういう面で言うと、「春よ、来い」も「Danny Boy」と同じくずっと見ていたいと思うプログラムでした。

――「春よ、来い」は22年の北京オリンピックのエキシビションも印象的でした。

 僕個人の感想になりますが、北京のときは優しさや人を癒やすといった要素の一方で、羽生選手自身に向けられている比重も大きかったのかなと思っています。具体的には、羽生結弦という人生や北京での悔しさ、そこに挑戦した自分自身、などです。あのときの「春よ、来い」もすごくきれいで、とても優しかったんですけれど、同時に苦しさみたいなものを感じる瞬間もありました。

――プロ転向後も、いろいろな場面で「春よ、来い」を演じています。

 最近でいえば、「The First Skate」(7月5日、ゼビオアリーナ仙台)で見ましたが、やっぱり柔らかさみたいなものを強く感じました。「春よ、来い」は激しい表情や動きをする場面もありますが、そのなかにも、滑らかさや優しい柔らかい感じが加わっているように思います。


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――これまで撮影を重ねてきたなかで感じる羽生さんの凄みや深みを教えてください。

 うまく言語化するのが難しいんですけど、清潔感が圧倒的だと思います。濁りがないと言えばいいんでしょうか。彼がリンクに立つと、そこがすごく神聖な場所に感じられるんです。その尊さを言い表すとすれば、清潔感なのかな、と。

――その清潔感は、どういうところからにじむものですか。

 羽生選手の姿を見ていると、普段の生活や練習のときから自分を律して、いろんなものを制限したり、規則正しい生活を続けたりしていることが伝わってくるんです。誰も見ていない場所であっても一人でしっかり練習をこなしていく。ショーを見てくださる方や届けたい人たちのために何が必要かを常に考えているからこそ、成し得ることだと思います。

 毎日の丁寧な積み重ねが体形や振る舞い、外見に出てくると思うのですが、羽生選手からはその凄みを圧倒的に感じるんです。だから羽生選手の演技は美しくて、質の良いものだけがまとう特別な雰囲気を持っているのかなと思います。

 それはアイスショーのショーアップされた会場でも、それ以外の場所でも変わりません。昨年9月に羽生選手が出演した能登半島復興支援チャリティー演技会でより強く感じました。

――能登の演技会には、オフィシャルカメラマンとして練習の様子から密着されていたんですよね。

 改めて振り返ると、あの演技会はあらゆる面で普段と異なる環境でもありました。ライトはアイスリンクの照明をそのまま使いましたし、輪島の若手和太鼓チームとの共演も初めての試みです。限られた準備期間のなかで、羽生選手をはじめ参加した一人ひとりが精いっぱい取り組んでいることが伝わってきました。

 オープニングの和太鼓との共演もフィナーレの「ケセラセラ」も、集まった4人のスケーターが話し合いながら作り上げていく姿を見ていました。本番前日の練習では、夜が近づいて各自練習を終えて引き揚げていくなかで、羽生選手が一人残っていたことを覚えています。

――ギリギリまで練習を続けていたんですね。

 太鼓のリズムに自分のスケートを合わせるのが難しいようで、ずっと残って練習していました。正直、僕らにはわからないズレなんです。僕なんかは、見た感じ「すごい」と思うんですけど、すごく細かい、本人だからこそわかるものがあるようでした。

 この演技会は、石川県内のアイスリンクを使うこともあって、現地での観覧は石川、富山、福井の各県に住む地元の小学生たちに限っていました。だから、ほとんどの人は配信を通して視聴することになります。そうしたなかで演技を通して伝えることがいかに難しいかを、誰よりも羽生選手自身がわかっていたからこそギリギリまで練習を続けていたんだと思います。

「伝える」ということには、とても大きなコストがかかります。その努力を怠らないからこそ、羽生選手の演技には気高さや清潔感、ピュアさが生まれて、いろんな人の心に深く入るのかもしれません。


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――矢口さんはスケートだけでなく、スタジオでも羽生さんを撮影されています。プロになられてから表現の幅や引き出しがより増えている印象がありますが、フォトグラファーの視点にはどう映っていますか。

 個人的には、柔らかくて優しい表情が増えたように感じています。最初にスタジオで撮ったのは23年12月。報知新聞社から出版した『写真集 羽生結弦』のために、ポートレート撮影の時間を20分いただきました。

 そのときの写真が僕はすごく好きで。羽生選手の表情が鋭くて強いんですよ。羽生選手自身の気持ちだったり、人間性みたいなものが出ていたなと感じています。

――撮影時はどういう気持ちで向き合っていたんですか。

 撮影の前に羽生選手から「どういう写真がいいの?」と聞かれたんです。確かそのときは、「素材じゃない羽生くんをお願いします」って返したと思います。

――素材じゃないとは。

 当時インタビューか何かで、羽生選手が自分のことを素材というふうに表現していたんです。だから僕は素材じゃない羽生くんを撮ってみたいなと思って、そう伝えました。

――「素材じゃない」表現で生まれたのが写真集にも収録されているカットなんですね。

 羽生選手から「じゃあ素を見せればいいの?」って返ってきて、そのあとに出てきた表情なんです。羽生選手を撮影していると、ちっちゃい虎と対峙してるみたいな感覚になるんですよ。

 スタジオの方からも、「矢口さんと羽生さんの現場は格闘技みたいですね」と言われたことがあります。羽生選手も自由に動くし、「撮れるでしょ」と挑まれている感じもあって、確かに戦っているような気持ちがありました。

 でも、今はちょっと違いますね。今年4月にも撮影させていただきましたが、スタイリストさんと会話したり、自然に笑ったり。彼自身も撮影の現場を楽しんでくれているのかな、と感じる瞬間が増えました。

――羽生さん自身もスタジオでの撮影の感覚をつかんできたということでしょうか。

 たぶん、一緒に仕事をしている仲間だっていう意識がより強くなっているんだと思います。撮影だけでなく、アイスショーなどでもいろんなクリエーターの方と関わると思うので、そのなかで生まれた変化なのかもしれません。

 でも、僕が接していなかっただけで、そうした意識や興味というのはもともと羽生選手自身が持っていたものだとも思います。


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――改めて、羽生結弦さんとはどんな被写体ですか。

「自分の人生を主人公として生きている人」だと感じています。先ほどの清潔感というのもそうで、自分が主人公だと思っていたら、主人公的な行動や発言をしますよね。もちろん全員がそうする必要はありませんが、日々の振る舞いがあるからこそ、羽生選手のまとう雰囲気や表現につながっていると思います。

 撮影現場でも彼が入ってくると空気が一変するし、衣装に着替えたときのギャップを目の当たりにするたびに、「主人公っぽいな」と感じます。そして彼自身もそれを引き受けたうえで、カメラの前でそう振る舞っていると思うんです。

――撮影を重ねるなかで、関係性に変化はありましたか。

 僕自身は今も昔も「気を使いすぎないこと」を心がけています。羽生選手のすごさはいつも感じているし、尊敬するところもたくさんあります。でも、僕自身はできるだけフラットでいたいんです。

 今年4月には屋外でも撮影させていただいたのですが、今までにない感じだと思いました。素の表情というか、肩の力がすっと抜けた感じというか。それが彼自身の変化なのか、フォトグラファーとの関係性によって生まれたものなのかは、まだわからないところではあります。

 羽生選手自身が僕の撮影をどう感じているか直接聞いたことはありませんが、最近は撮影の際に提案をくれることもあり、真摯に向き合ってくれているんだなと感じます。だからこそ僕も羽生選手に甘えず、もっと準備しなければいけないという気持ちがより強くなりました。

■矢口亨/やぐち・とおる。山形県上山市出身。報知新聞社のフォトグラファーとして2010年サッカー南アW杯、12年ロンドン五輪や21年東京五輪などを取材。プロ野球フィギュアスケートは19~20年シーズンから担当。23年2月に報知新聞社を退社し独立。フリーランスのフォトグラファーとして活躍。『ジャイアンツ小林誠司 Photo Book』、写真集『羽生結弦2019-2020』『羽生結弦2021-2022』などを手がける。Instagram:toru.yaguchi

(構成/AERA編集部・福井しほ)

【特集:羽生結弦さん プロ転向4年目】

#01  羽生結弦の飽くなき表現への欲求 「自分の実力のなさみたいなことはずっと感じています」

#02 羽生結弦が発し続けた「忘れないで」というメッセージ 他者を思い、心を寄せてきた姿勢と行動

#03 羽生結弦は「自分の人生を主人公として生きている」 フォトグラファーが目撃した表現者の素顔

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