気乗りしない名門校からの誘い 監督視察も"拒否"…不快感を覚えたスカウトの言葉

 2007年の大学・社会人ドラフト1巡目でロッテに入団した服部泰卓氏は、貴重な中継ぎ左腕として2013年に51試合登板するなど8年間のプロ野球生活を送った。徳島の川島高時代は最終学年で県大会ベスト4が2度あったが、甲子園出場はならなかった。次のステージで考えたのは大学野球。特待生での進学を強く希望していた。

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 最後の大会を終えた3年夏。頭の中にあったのは、とにかく野球を続けたいという思いだった。「野球で先に進めるのであれば、大学だろうが社会人だろうが、どっちでもいいと思っていたんです。ただ、受験はしたくなかった。そもそも勉強は小学校5年で『やめる』と決めたんです。嫌なことはやりたくない。好きなことだけして、成り立てばいい。好きなのは野球。野球にはプロがある。野球がうまかったら、もしかしたらステップアップできるかもしれないと思ったんです」。

 ただ、高2だった1999年に父・勝さんが死去。病気がちの母・恵子さんは働くことが難しい状況だった。「大学だと経済的に負担がかかる。進路相談の時に『大学に行くなら特待生じゃないと厳しいです』って伝えました。受験じゃなく野球で次のステージに進みたいことは言いましたね」。入学金や学費などが免除される特待生なら、家族の負担も軽減される。一方、特待生は一定のレベルをクリアしていないと選ばれない側面もある。

 少しさかのぼること2000年の高3春。「駒大の四国スカウト担当みたいな人が『今年、左ピッチャーでええのおらんのか?』って、駒大OBが監督をしている徳島県の生光学園高に聞きに行ったらしいんです」。その返答は「今年はいない。ただ来年、鳴門第一の岡本(秀寛=ヤクルト)と池田の十川(雄二=巨人)って左のめちゃくちゃいいピッチャーがいる」というものだったそうだ。そして「川島高校に左手で投げてますよっていうレベルだったら1人いるけど……」という話も出たという。

 その話を聞いて、駒大スカウトがブルペン投球を見に来た。「『うちで面倒を見るよ』みたいなことを言ってくれたんです。それでその時に『僕は父が他界して家庭の理由で、進学するのであれば経済的に特待生じゃないと行けないんです』って言ったんですけど……」。それに対しての回答は衝撃的だった。「『特待生というのは有望な選手を獲るための枠であって、君みたいな選手を獲る枠ではない』って言われて。もっともなんですけど……」。

 そこで駒大進学は1度、立ち消えとなる。「そもそも僕は『駒澤大学に行きたい』とも言っていないのに、その態度はなんなんだぐらいに思っていたんです。行きたくて特待生で獲ってくださいって言っているわけじゃないんですから」。だが、運命は不思議な糸でつながっている。その約1か月後、東都大学野球の春季リーグ戦を終えた駒大・太田誠監督が、四国の高校を視察して回っていた。

立ち投げだけ見て去っていった駒大・太田誠監督

「多分その時点で左ピッチャーを獲れていなかったんでしょうね。香川県の高校を回っているときに、この日だったら『ちょうど見ることができるから投げに来ないか』って言われたんですよ」。後に前人未到の監督通算501勝を達成する、大学球界屈指の名将からの勧誘である。ただ、先日のスカウトとの一件で、駒大サイドにいい印象を持っていなかった服部氏は「高校生の若気の至りで『来ないか』じゃなくて『見に来いよ』って思ったんです」という。

 川島高の監督から「太田監督が見てくれると言ってるけど、どうする?」と聞かれても気が乗らない。「池田高校のように駒澤大学に憧れているわけでもない。『特待生では行けない、獲るレベルじゃない』って言われているし『何のために?』って思っていたんです。だから『どっちでもいいです』って言いました」。これには監督も激怒し「太田監督が言ってくれてるのに、人として失礼。ありえない。どうするんや!」と迫られた。もう「行くしかない」という状況になったそうである。

 授業を終えた放課後、監督の車で1時間半かけて香川県へ。到着した時には、太田監督が視察中の高校の練習が始まっていた。太田監督に挨拶してウオーミングアップを終え、ブルペン入り。「立ち投げして、ちょっとずつ力を入れていったときに太田監督がキャッチャーの後ろに立ったんです」。さあ、アピールをと意気込み「そろそろ肩ができてきたので、あと5球ぐらい全力で投げて、キャッチャーを座らせてピッチングに入ろうかなと思った時に、太田監督が『OK! 分かった! 大丈夫、ありがとう』って言って、打撃練習を見に行ったんです」。まさかの状況に呆然となったのは言うまでもない。

「まだピッチングしてないんですよ。立ち投げだけ3、4球見て、もう帰ってこなかったんです。僕は3、4球の立ち投げを見せるために、1時間半かけて来たのかって……。『ホンマに失礼な人たちやな、駒澤大学っていうところは』って思っていたんです」。そして練習後に、再び太田監督のもとに挨拶に行くと「君、本当に良かった。君は(ワインドアップで)振りかぶりがいい。小さい体を目いっぱい使って打者を圧倒するような雰囲気が凄く良かった。あと、何せ目がいい。目の力が宿っているから凄く良かった」と褒められたそうだ。

「そう言ってくれたんですけど、球のことは何も言わないんですよ。投球を見てないから、そりゃ球のことは言えないなと思いましたね」。数日後、高校の監督を通じて「太田監督が駒大で面倒見るって言っている」という話が届く。1度断られた特待生が進学の条件であることを主張すると「それも含めて駒大が面倒を見るって言っている」と言われたという。

 一気に開けた未来。だが、これですんなりとは駒大進学が決まらない。「僕としては選択肢が1つ増えただけなんですよ。どうしても駒大に行きたいというわけじゃなかったので。特待生で行ける大学の候補が1つ増えたという状況。『分かりました。ちょっと考えます』って言って回答はしなかったんです」。一度は他の大学進学を決断することもあったが、悩みに悩んだ末、最終的に駒大を選んだ。

(尾辻剛 / Go Otsuji)

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