首位タイで最終日へ ザンダー・シャウフェレと日本の関係をおさらい!
◇米国男子◇ベイカレントクラシック Presented by レクサス 3日目(11日)◇横浜CC(神奈川)◇7315yd(パー71)◇雨
ザンダー・シャウフェレがルーツのある日本でのPGAツアーで初勝利のチャンスを手に入れた。4打差の2位から出た雨のムービングデーに「67」をマークして通算12アンダー。「大変な天気だったけど、戦い抜いたことを誇りに思う」とマックス・グレイサーマンを捕らえてトップで並んだ。昨年の「全英オープン」以来となる今季初勝利まであと18ホール。最終日を前に、2021年「東京五輪」金メダリストと日本との関係について振り返る。
シャウフェレの祖父母は台湾で生まれた。祖父は30代のときに国費留学生として東京教育大(現在の筑波大)に入学し、その後は東京・渋谷に在住。今回の来日時も羽田空港で再会し、ハグを交わした。「祖父は91歳。祖母は81歳だったと思う。彼らは身軽で18ホールを歩くのも問題ないと思うよ」と最終日の来場と応援も期待した。
その祖父母を両親に持つ母・ピンイーさんは日本育ちで、日本語がペラペラ。父のステファンさんはドイツ人の父とフランス人の母を持つ。十種競技の陸上選手として五輪出場を目指していたが、不運な交通事故でその夢を絶たれ、その後はゴルフコーチに転身。シャウフェレが米国で生まれる直前の2年間は東京に住み、目黒区駒場にあった60ydほどのドライビングレンジに通って首都圏のコースでプレーもしていた。
コロナ禍で予定よりも1年遅れで行われた五輪で金メダルを獲得した。幼い頃から何度も来日していたが、霞ヶ関カントリー倶楽部でプレーしたのは当時が初めて。通算18アンダーで2位のロリー・サバティーニ(スロバキア)を1打差で振り切り「祖父母はとても喜んでいるはず。日本で松山英樹より僕を応援していたのは彼らだけかもしれない」と笑った。
2021年に結婚したマヤ夫人は父が米国人で、母が沖縄出身の日本人。シャウフェレとはサンディエゴ州立大時代に出会った。ちなみにチームスタッフの兄のニコさんは遠征中の料理担当。食卓には納豆や目玉焼きが並ぶことも。
2024年に株式会社デサント(大阪市浪速区)とウェア契約を結んだ。欧米ではスキーウェアが先行し、着用当初はツアー仲間から「DESCENTE」の発音を聞かれることも度々あったという。(横浜市保土ヶ谷区/桂川洋一)