横浜のマルイ閉店 若者が今、服を買う場所は 40代の記者が探ってみた

 横浜駅東口のマルイシティ横浜が2月末に30年の歴史に幕を閉じた。神奈川県内で最盛期には10店舗あったが、横浜の店舗が閉店したことで、系列は海老名など3店のみとなった。かつて若者ファッション文化の発信を担ったマルイ。だが、横浜の店舗でも近年はアパレルが減り、ホビー系テナントが多くなっていた。マルイで服を買わなくなった若者は、どこで服を購入しているのか。学生時代からマルイを利用してきた40代の記者が探った。

「トレンドつかんでいた」

閉店間近に、マルイシティ横浜に詰めかける来館者ら=2月28日午後5時50分ごろ、横浜市西区

 2月28日午後6時。最後の営業終了を告げる鐘が鳴り、店舗前にいた来店客らから拍手が沸き起こった。直後に始まったセレモニーには約300人が詰めかけ、西浦陽一店長は「マルイシティ横浜を担当することには特別な思いがあった」と述懐。昨年3月に閉店が決まったことに触れ、「残念な気持ちが正直あった」と明かした。

 20年以上マルイで服を購入してきたという男性会社員(51)=横浜市神奈川区=は最終日に駆け付けた。「ハイブランドではなく、ちょうどいい価格帯。その割におしゃれでトレンドをつかんでいたので利用していた」とし、「これからどこで服を買ったらいいのか」と寂しそうに話した。

1996年9月20日の開店時の様子。1日で約14万人が訪れたという=横浜市西区

 丸井グループのホームページなどによると、丸井は家具の月賦販売で創業し、60年に国内で初めてクレジットカードを発行。70年代からは若者向けファッションを扱い、店舗限定の「赤いカード」を世に出した。

 80年代のDC(デザイナーズ・キャラクターズ)ブランドブームの一翼を担い、若者は「赤いカード」で高価な服を購入。渋谷の店舗名を「ヤング館」に変えるなど、「ヤングファッションのマルイ」と親しまれた。

バブル崩壊後、高価なファッションは

 しかし、90年代のバブル崩壊で高価なファッション消費も低迷。丸井も停滞期を迎え、県内でも2000年代には厚木店、横須賀店、小田原店、藤沢店が次々に姿を消した。  代わってデフレ時代には「ユニクロ」などの低価格ファッションへの注目が高まった。08年から09年にかけて「FOREVER21」や「H&M」といった海外ブランドが日本に進出し、ファストファッションがブームとなった。

 カード会員の拡大などに向け、丸井はVISA機能が付き、店舗以外でも使える「エポスカード」を06年に発行。電子商取引(EC)の普及など消費者動向の変化もあり、10年代には、商品を仕入れて販売する「百貨店型」から定期借家契約で家賃収入を得る「ショッピングセンター型」にシフトした。アニメ事業もスタートさせ、店舗では体験を提供する「コト」の売り場を拡大し、アパレルの比重は相対的に下がっていった。エポスカードの会員は現在800万人を超え、ECや家賃払いでも利用されている。

セール時、かつては長蛇の列

 テナント側から見て、客の動向はどう映っているのか。マルイの店舗に長年勤めるアパレル関係者は、「20年前に比べると客の年齢層が上がり、(服売り場では)若いお客さまを見かけることはだいぶ減った」と話す。以前はセール時の開店前には長蛇の列ができたというが、男性は「ファストファッションの台頭などでセールの魅力が薄れ、今は初日でもかつてほど混雑していない」と明かす。物価高騰もあり「若年層が手を出しづらくなっている」とみる。  では、若者は今どこで服を買っているのだろうか。

 「マルイで服を買うという発想がなく、キャラクターグッズを買う場所というイメージが強い」と話すのは、横須賀市在住の大学2年の女子学生(20)。若者向けファッションのテナントが多い横浜駅西口の「横浜ビブレ」や東京・渋谷の「SHIBUYA109」、ネット通販で服を買うことが多いという。茅ケ崎市在住の女性会社員(23)は地元のファストファッションの店や横浜駅から近いルミネ横浜などで購入するという。マルイシティ横浜については「駅から少し離れていたので、食事で利用した程度」と話した。(鴻谷 創)

2018年に閉店したマルイ川崎店
2006年に閉店したマルイ藤沢店
横浜・関内エリアに線路を挟んで建っていた2店舗(1983年撮影)
横須賀中央駅近くにあった店舗(1985年撮影)

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