日米戦争の勝敗は「山本五十六の撃墜」で決まった…「アメリカ軍に暗号がバレていた疑惑」の答え(プレジデントオンライン)

■あまりにも貧弱だった日本軍の情報機関  アメリカ海軍の暗号解読班は、わずか2週間余の間にどうして暗号が解読できたのか。結局、日本の戦史家たちは昭和18年1月にガダルカナル奪回に向かった潜水艦(伊一号など)が陸岸で座礁したり沈められたりしたが、アメリカ側はこれらの潜水艦のなかから乱数表を抜きとり、それを参考にしながら新しい暗号を解読していったと推測している。  暗号に対する考え方、それを解読するシステムなど、日本とアメリカとの間には大きな開きがあったのだ。  山本五十六の戦死は、アメリカ側の情報戦争の勝利だった。  太平洋戦争の終わったあと、アメリカ政府は戦略爆撃調査団を日本に派遣した。この調査団は日本軍の指揮官たちを次つぎに呼び、その軍事戦略がどのようなものであったかを探った。  むろんアメリカ軍の爆撃が日本にどのような損害を与えたか、それは投下した資本(軍事力)に対してどれだけの利益(軍事的効果)が上がったかを調べて納税者を納得させるのが本旨であったが、そのついでに情報機関についても調べ上げてみて、あまりにも貧弱なことに驚いてしまった。  調査団の報告書には次のように書かれている。  「この度の戦争の全般を通じていえることは、情報要員訓練計画の皆無が、日本の情報活動を阻害していたことである。日本では、陸軍大学校や航空将校養成学校にも、情報学級もなければ特殊な情報課程もなく、わずかに情報訓練も行なわれたこともあったが、それは戦術や戦史、通信課程の付随的なものに過ぎなかった。従って情報任務を与えられた将校たちは、戦塵の間に自分で新任務を会得する以外になかった」 ■アメリカの実力を知らないまま戦争へ  日本は情報収集・解析システムについて、まったく何の考えもなかった。陸軍に限っていえば、参謀本部にはたしかに情報部があったが、ここではつねに「ドイツからの情報は正しい」「ソ連からの情報は誤り」という思いこみだけがあり、アメリカやイギリスの情報は開戦後でさえ軽視されてきた。  参謀本部の英米班長・大屋角造が戦後になって、参謀本部の情報はつねに対ソ戦に主力を置くものであり、それが対アメリカ重点に切りかえられて、本格的に情報収集を行うようになったのは、昭和18年後期からだったと述懐している。  つまりアメリカという国の実像など知らぬままに、そしてその国力も正確に理解せずに戦っていたのだ。ガダルカナルであれほどの消耗戦に入り、そのうえアメリカの海兵隊員の士気の高さや物量の豊富さに驚き、しかしそれを客観的に分析することなしに作戦計画は練られていた。  昭和18年に入っても、参謀本部作戦部には、ニューギニアやソロモン諸島の島々の正確な地図がなかったという。ガリ版刷りの素図をもとに戦闘命令がだされていた。これでは赤紙一枚で送られた日本軍の兵士は、まさに消耗品あつかいだったということになる。 ---------- 保阪 正康(ほさか・まさやす) ノンフィクション作家 1939年北海道生まれ。同志社大学文学部卒業。編集者などを経てノンフィクション作家となる。近現代史の実証的研究をつづけ、これまで延べ4000人から証言を得ている。著書に『死なう団事件 軍国主義下のカルト教団』(角川文庫)、『令和を生きるための昭和史入門』(文春新書)、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)、『対立軸の昭和史 社会党はなぜ消滅したのか』(河出新書)などがある。 ----------

ノンフィクション作家 保阪 正康

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