AIと量子はスーパーコンピューターの力を飛躍的に高めるか? :ジャック・ドンガラに聞く
かつては閉鎖的な科学研究領域だった高性能スーパーコンピューティング(HPC)は、いまやますます複雑化する人工知能(AI)モデルをトレーニングするための戦略的リソースとなっている。こうしたAIとHPCの融合は、これらのテクノロジーそのものを再定義するだけでなく、知識の創出方法も変革し、世界中で戦略上重要な位置を占めている。
HPCの進化の行方を議論するために、『WIRED』は2025年7月、米国のコンピューター科学者ジャック・ドンガラに話を聞いた。ドンガラは過去40年にわたってHPCのソフトウェア開発に大きな貢献を果たし、21年には、コンピューターサイエンス分野のノーベル賞とも称される権威あるチューリング賞を受賞した人物だ。インタビューは、ドイツのリンダウで開催された第74回ノーベル賞受賞者会議で行なった。この会議には多くのノーベル賞受賞者とともに、世界中から600人を超える新進気鋭の科学者が参加した。
第74回ノーベル賞受賞者会議で登壇したジャック・ドンガラ
(インタビューは、内容を明瞭にし、記事の長さを調整するために編集されている)
──今後数年のうちに、AIと量子コンピューティングは、科学やテクノロジーの発展においてどんな役割を果たすようになりますか?
ジャック・ドンガラ:AIはすでに、科学において重要な役割を果たしていると言っていいでしょう。科学的発見に役立てるために、AIはさまざまな方法で利用されています。コンピューティングに関しては、物事の動きを近似的に把握するために使われています。つまり、AIは近似値を得るための手段であり、その後、従来の技術を用いてその近似値を精緻化していけると考えています。
現在、モデリングとシミュレーションには伝統的な手法があり、それらはコンピューター上で実行されます。非常に複雑な問題を抱えた場合、その解の計算方法を理解するために、スーパーコンピューターに頼ることになります。AIの利用によって、それがより速く、より正確に、より効率的になるわけです。
AIは科学を超えた影響も及ぼし、登場した当時のインターネットよりも重要な存在になるでしょう。わたしたちの行動に広く浸透し、わたしたちがまだ気づいていないさまざまな方法で活用されるようになるでしょう。インターネットが過去15年、20年で果たしてきた役割よりも、はるかに大きな役割を果たすようになると思います。
量子コンピューティングも興味深いものです。すばらしい研究分野ですが、まだ道のりは長いと感じています。ハードウェアは常にソフトウェアより先に登場するため、量子コンピューターの見本はすでにありますが、非常に原始的なものです。従来のデジタルコンピューターでは、計算を実行して答えを得ることが想定されています。それに対して、量子コンピューターは解が存在する確率分布を示してくれます。そして、これを量子コンピューター上で何度も実行すると、問題に対する複数の潜在的な解が提示されますが、答えそのものは得られません。ですから、デジタルコンピューターとは違います。
量子コンピューターの現在地
──量子コンピューティングは、過剰に宣伝されているだけなのでしょうか?
残念ながら、過剰に評価されているとは感じています。量子技術に対する過剰な期待があります。そういう場合、往々にして、人々は大いに興奮した末に約束されたことが何ひとつ実現しないと、興奮は跡形もなく消えてしまいます。
以前もそういうことがありました。AIはそうしたサイクルを経て立ち直ってきました。そしていま、AIは現実のものとなっています。人々はAIを活用し、その生産性を高め、今後AIは、わたしたち全員にとって非常に重要な役割を果たすようになるでしょう。量子技術も人々に落胆され無視されるような冬の時代を経験する必要があると思います。その後、その活用方法や、従来の技術と競争力をもたせる方法を考え出す賢い人々が現れるでしょう。
解決しなければならない問題がたくさんあります。量子コンピューターは非常に不安定になりやすいのです。計算の脆弱性ゆえに故障しやすく、多くの「欠陥」を抱えるでしょう。そうした故障に対する耐性を高めるまでは、期待どおりの性能を発揮するのは難しくなります。量子コンピューターがノートパソコンに搭載される日が来るとは思えません。間違っているかもしれませんが、わたしの生きているうちには実現しないでしょう。
量子コンピューターにも量子アルゴリズムが必要ですが、いまはまだ、量子コンピューター上でうまく実行できるアルゴリズムがほとんどありません。つまり、量子コンピューティングはまだ初期の段階で、量子コンピューターを利用するインフラも同様です。量子アルゴリズムや量子ソフトウェアなど、わたしたちが手にしているテクノロジーはすべて非常に原始的なものなです。
──従来のシステムから量子システムへの移行があるとすれば、それはいつ頃起こると思いますか?
現在、世界中に多くのスーパーコンピューティング・センターがあり、それらは非常に強力なデジタルコンピューターです。デジタルコンピューターはパフォーマンスを向上させるために、いわゆるアクセラレーターで強化されることがあります。現在のアクセラレーターはGPU、つまりグラフィックス・プロセッシング・ユニットです。GPUはある特定の処理を非常に得意としていて、それだけを非常にうまく実行します。そのために設計されています。昔はグラフィックス処理のためにそれが重要でしたが、いまはGPUを活用して計算処理ニーズの一部を満たせるようにリファクタリングをしています。
将来は、CPUとGPUをほかのデバイスで拡張していくことになると思います。おそらく量子もそこに追加される新たなデバイスのひとつになるでしょう。人間の脳の働きを再現したニューロモルフィック・コンピューティングのようなものになるでしょう。
そして、光コンピューターもあります。光を照射し、その光を干渉させるのです。その干渉こそが一般に、コンピューターに実行させたい計算そのものになります。2本の光線を取り込み、そのそれぞれの光線に数値が符号化されていて、この計算装置の中で光線が相互に作用し合うと、それらの数値を増幅した出力が生成される光コンピューターを想像してみてください。それが光のスピードで、信じられないほど速く起きるわけです。
これはCPU、GPU、量子コンピューター、ニューロモルフィック・コンピューターといったものに組み込めるデバイスです。おそらくこれらはすべて組み合わせることができるでしょう。
中国は独自のチップを設計している
──中国、米国、そのほかの国々とのあいだに現在生じている地政学的な競争は、テクノロジーの開発と共有にどんな影響を与えていますか?
米国は、コンピューティング技術の中国への輸出をある程度制限しています。例えば、NVIDIAの特定の部品は中国での販売が認められていません。でも実際は、それらは中国の周辺地域に販売されていて、中国の同僚を訪ねてコンピューターの内部を見ると、Nvidiaの製品がたくさん使われています。つまり非公式な経路があるということです。
一方、中国は、欧米の技術を購入する方針から自国のテクノロジーに投資する方針へと転換し、そのために必要な研究投資を増やしています。ただし、おそらくこの制限が逆効果となり、中国では従来よりもはるかに厳格に管理可能な部品の開発が加速しています。
中国はまた、自国のスーパーコンピューターに関する情報を広く公表しないことにしています。その外観や潜在能力や実績はわかっていますが、それらのコンピューターがわたしたちのマシンとどう違うのかを、非常に厳密な方法でベンチマークし比較できる指標はありません。中国には極めて性能の高いマシンがあり、それはおそらく米国がもつ最重要マシンと同等の性能です。
中国のマシンは、中国で発明され考案されたテクノロジーをもとに構築されていて、中国は独自のチップを設計しています。欧米のコンピューターで使われているチップと張り合っているのです。そして、人々は「チップはどこで製造されているのか?」と尋ねます。欧米で使われている大部分のチップは、台湾積体電路製造(TSMC)が製造しています。中国にはテクノロジーはありますが、それはTSMCのものより1、2世代遅れています。でも、じきに追いつくでしょう。
中国のチップの一部も台湾で製造されているのではないかと思います。中国人の友人に「君のチップはどこで製造されたの?」と尋ねると、中国だと答えます。「台湾で製造されたのでは?」と問いただすと、「台湾は中国の一部だ」という答えが返ってくるのです。
第74回ノーベル賞受賞者会議会場、ボーデン湖の湖岸にて。
──AIの進化に伴って、プログラマーや開発者の役割はどのように変化しますか? 今後は、自然言語だけを使ってソフトウェアを書くようになりますか?
プログラム開発で時間のかかる工程を減らすうえで、AIは非常に重要な役割を果たすと思います。AIはほかのプログラムに関する入手可能なすべての情報を集めて、それを統合して、発展させることができます。以前、あるAIのシステムに特定のタスクを実行するソフトウェアを書くようにと命令した際には、その優れた仕事ぶりに大いに感心させられました。そして、別のプロンプトで「この種のコンピューター向けに最適化してください」と指示すれば、さらに調整でき、それも非常によい仕事をしてくれます。将来的には、言葉でAIに内容を説明し、その機能を実行するプログラムをAIに書かせることがますます増えていくでしょう。
もちろん限界はありますし、ハルシネーション(もっともらしい誤情報)や間違った結果がもたらされることには注意しなければなりません。ただ、AIが生成する解法を検証するためのチェック機能を組み込み、それをその解法の精度を測定する手段として利用することはできるかもしれません。問題が起きる可能性には注意すべきですが、この分野で歩みを進めていくべきだと思います。
(Originally published on wired.it, Translated by Miho Michimoto/LIBERedited by Nobuko Igari)
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