釜本邦茂さん悼む声…杉山隆一さん「2人で点取り9人で守れと言われていた」川淵三郎さん「半世紀たっても彼に近づいた選手なし」
サッカー日本代表として75得点を挙げ、10日に死去した釜本邦茂さんの 訃報(ふほう) を受け、関係者が哀悼の意を表した。
日本代表として歴代最多の75得点を記録した釜本さん(2020年撮影)日本サッカー協会の川淵三郎相談役は「(1964年の)東京五輪の前年、初めて一緒にプレーをして、スピードと本能的なゴール感覚に『これが高校生なの?』と度肝を抜かれました。半世紀たった今も彼に近づいた選手はまだ現れていません。『不世出の選手』という言葉がぴったりな釜本さんでした」とのコメントを発表した。
同協会の宮本恒靖会長は「日本代表は今、メキシコ五輪以来の快挙を目指し、挑戦を続けています。良いしらせをお届けできるようまい進してまいります」との談話を出した。日本代表の森保一監督は広島市内で取材に応じ、「釜本さんのようなストライカーが出てくることで、日本が世界(でタイトル)を取る確率が上がってくると思う。釜本さんを目標に、同じポジションの選手は特にイメージを持って、自らの成長、代表の勝利に貢献してもらいたい」と語った。
日本代表でともに戦った杉山隆一さん 「早いな。やっぱり寂しい。メキシコ五輪では、杉山―釜本というラインで2人で点を取れ、あとは9人で守れ、と言われていた。彼は数多くの技術があるわけじゃないが、ストライカーとしてのセンスがあった。体の強さとメンタル面の強さを持ち合わせていた。彼と争えるような選手は2人と見たことがない」
日本サッカー協会・田嶋幸三名誉会長 「私にとって憧れであり、常に目標にしていた選手でした。恵まれた体格とスピード、ゴールへの嗅覚……。日本人離れしたダイナミックなプレーは、今も多くの人々の目に焼き付いていると思います」
Jリーグチェアマン兼WEリーグチェア・野々村芳和氏 「フィールドで放つ圧倒的な存在感は、日本サッカーの可能性を世界に示し、プロリーグの夢を育み、後のJリーグやWEリーグ創設の原動力となりました。JリーグとWEリーグは理念の実現に向けて手を取り合い、日本サッカーのさらなる発展に尽くしたいと考えております」
試合前、黙とうするG大阪の選手たち(10日)=近藤誠撮影選手ら喪章巻きプレー
10日に亡くなった釜本さんに哀悼の意を表し、この日に行われたJ1リーグ戦では、選手らが喪章を腕に巻いてプレーした。G大阪―岡山戦では試合開始前に黙とうがささげられた。1993年のJリーグ開幕時にG大阪を指揮した釜本さんへの敬意と感謝を胸に、選手たちがピッチを駆けた。