ナイジェリアのキリスト教系学校で生徒・教師300人以上誘拐 生徒50人が脱出

画像提供, AFP via Getty Images

画像説明, 武装勢力が生徒を誘拐した後のキリスト教系学校(ナイジェリア西部ナイジャ州)

リチャード・カゴエ(ナイロビ)、ウェダエリ・チベルシ

ナイジェリア西部ナイジャ州で21日、キリスト教系学校が武装勢力に襲われ、10代の生徒315人と教師12人が誘拐される事件があり、ナイジェリア・キリスト教協会(CAN)は23日、生徒50人が21日から22日にかけて脱出したと明らかにした。

CANの声明によると、脱出した子供たちは、家族のもとへ戻ったという。

ナイジャ州パピリの現地警察によると、21日午前2時ごろ、武装集団がセント・メアリー学校を襲撃し、多数の生徒や教師を拉致した。当初は生徒303人と教師12人が連れ去られたと言われていたが、後に生徒315人、教師12人と判明した。

当局は残る子供265人と教師12人を救出するため、軍隊主導の大規模な捜索救助作戦を実施している。

ナイジャ州のモハメド・ウマル・ボンゴ知事は22日、「今は非難合戦をしている場合ではない」として、州内の学校閉鎖を発表した。

ナイジャ州での襲撃に続き、北西部ケビ州では24日に寄宿学校から生徒20人が誘拐される事件が起きた。生徒は全員、イスラム教徒とされる。

現地当局は現在、すべての中等学校と大学の閉鎖を命じている。

これまでにナイジェリアのケビ、ナイジャ、カツィナ、ヨベ、クワラ各州の州当局が、襲撃事件を警戒し、州内の学校の閉鎖を命令している。

18日夜には、中西部クワラ州エルクでキリスト使徒教会が礼拝中に銃撃され、少なくとも2人が死亡、38人が誘拐された。

この事件についてクワラ州の知事は23日、拉致された全員が23日に解放されたと明らかにした。

セント・メアリー学校など各地で相次ぐ事件を受けて、キリスト教カトリック教会の指導者、ローマ教皇レオ14世は23日、「非常に深い悲しみ」を表明して拉致被害者の解放を求め、当局に迅速な対応を促した。

セント・メアリー学校に通う娘が被害を免れたというドミニク・アダムさんはBBCに「みんな弱っている(中略)誰もが不意を突かれた」と話した。

動揺した様子の女性は涙ながらに、6歳と13歳の姪が誘拐されたとBBCに話し、「ただ家に帰ってきてほしい」と強調した。

軍隊と警察、さらには地元の自警団が、武装集団が使用したとされる近隣の森林や遠隔地のルートを捜索している。

ナイジャ州当局によると、セント・メアリー学校は、攻撃のリスクが高まっているという情報に基づく寄宿施設閉鎖命令に対応していなかった。この指摘について、学校はコメントしていない。

ナイジェリアでは多くの地域で、「山賊」と呼ばれる集団による身代金目的の誘拐が深刻な問題になっている。犯罪組織への資金供給を断つため、身代金の支払いは違法とされているものの、その効果はほとんど出ていない。

ナイジェリアのボラ・ティヌブ大統領は、国内で相次ぐ襲撃事件に対応するため、南アフリカでの主要20カ国(G20)首脳会議を含む外遊を延期した。

ナイジェリア国内の治安状況については、ドナルド・トランプ米大統領を筆頭にアメリカの保守派の間で、ナイジェリアでキリスト教徒が迫害されているとの主張がなされている。ワシントンの活動家や政治家はここ数カ月、ナイジェリアでイスラム過激派が体系的にキリスト教徒を標的にしていると主張してきた。ナイジェリア政府はこれを否定している。

トランプ氏は今月1日、ナイジェリア政府が「キリスト教徒の殺害を許し続けるなら」、ナイジェリアに「銃を乱射しながら」軍隊を送ると発言した。

これに対してナイジェリア政府は、キリスト教徒が迫害されているという主張を「現実の重大な歪曲」と反論した。

ナイジェリア当局の一人は、「テロリストは、自分の殺人的イデオロギーを拒否する者は誰でも攻撃する。イスラム教徒、キリスト教徒、信仰を持たない者も同じだ」と述べた。

ナイジェリア北東部では、ジハード(イスラム聖戦)主義グループが10年以上にわたり政府と戦っている。

暴力状況を監視する組織によると、この争いでは攻撃の大半がイスラム教徒が多数を占める国の北部で起きているため、被害者のほとんどはイスラム教徒だという。

ナイジェリア中部では遊牧民と農民の衝突が頻発している。遊牧民の多くはイスラム教徒で、農民の多くはキリスト教徒。しかし、専門家によると、この対立は宗教的なものではなく、水や土地などの資源争いが理由のほとんどだという。

イスラム過激派組織ボコ・ハラムは2014年、ナイジェリア北東部の町チボクで学校から少女276人を拉致した。この事件は国際的な注目を集め、アメリカの当時のファーストレディ、ミシェル・オバマさんなどが、少女たちの帰還を求める世界的なキャンペーンを展開した。その後、被害者の多くは脱出するか解放されたが、約100人は依然として行方不明だ。

関連記事: