2025年の視点:「敵失」なしには浮上できない円、地政学リスクの影響も=内田稔氏
[東京 31日] - 米ドル指数の算出対象通貨(ユーロ、円、ポンド、カナダドル、スウェーデンクローナ、スイスフラン)にドルを加えた7通貨を見ると、円は2023年に続き、24年も最も弱かった。特に24年に関しては、日銀を除く6中銀が複数回の利下げを行った一方、日銀だけ計35ベーシスポイント(bp)と小幅ながらも唯一利上げを実施したにもかかわらず、である。
このように円が弱い要因は、名目金利からインフレ率を差し引いた実質金利が、日本では政策金利、長期金利ともに依然としてマイナス圏にある上、他通貨よりも低い点に求められよう。従って25年も海外中銀の利下げと日銀の利上げ継続が見込まれはするが、同様の状況が続く限り、円相場の自律的な反転は期待しづらいと言える。
<広がりをみせる日本のインフレ>
日本の実質金利の行方を考える上で、はじめにインフレの持続性を見ておこう。日本では、消費者物価指数のうち、日銀が参照している生鮮食品を除いた総合指数が32カ月連続して目標の2%を上回っている。国内の総合的な物価動向を示すGDPデフレーターも前期比、前年比とも8・四半期続けてプラスを維持しており、輸入インフレがすでに経済全体に浸透しつつある。日本では拡大が続くインバウンドによって、宿泊サービスや飲食を中心にサービス価格の上昇が見込まれる。また、30余年ぶりの人手不足も相まって、企業も賃上げによる人材確保に注力せざるを得ないであろう。その点、近年、日本企業の業績改善が続くもとで、長らく名目賃金が据え置かれてきた結果、日本の労働分配率は低い。これは、逆に言えば企業に賃上げの余力が残されていることを示唆している。連合も25年度の春闘に関し、定昇相当分を含め5%以上の賃上げを目指す方針を掲げており、賃上げの持続性が見込まれる。総合的にみて25年も2%程度かそれを上回るインフレが続く可能性が高いのではないか。
<慎重な日銀の正常化スタンス>
こうした状況にあっても正常化に向けた慎重姿勢を崩していない日銀が、インフレを助長するおそれがある。実際、24年1月と比べ、消費者物価指数(総合、前年比)の伸びが拡大したのは、先の7つの国・地域の中で日本だけだ。25年は参院選を控え、利上げをけん制する政治的なプレッシャーも想定される。13年の政府と日銀の共同声明「デフレ脱却と持続的な経済成長の実現のための政府・日本銀行の政策連携について」を踏まえると、日銀もこれを全く無視するわけにもいかないだろう。日銀は25年も利上げを続けるとみられるが、年間を通じて0.5%程度の利上げにとどまるとみられ、実質政策金利のプラス転換までは見通せない。
<長期金利上昇でも円高は限定的>
長期金利に関しても、日銀の国債の買い入れ減額が続く上、市場の期待インフレ率の高まりも加わって、さらなる上昇が見込まれる。現在、日本の投資家需要を念頭に1.2─1.3%程度では上昇に歯止めがかかるとみられているが、さらなる上振れリスクも想定すべきだろう。長期金利の上昇は一見すれば円高圧力と映るが、インフレが加速するなら実質ベースでみた長期金利の上昇幅はかなり相殺される。実際、24年も日本の長期金利が年初来で約0.5%も上昇したが、1月よりもインフレ率が0.7%も拡大した結果、実質長期金利はむしろ低下した。このように実質長期金利が低下した国は日本に限られ、円が最も弱かったことと整合的である。
25年、日本の実質金利は政策金利、長期金利ともに上昇するとはみられるが、それでもマイナス圏を脱するとは考えにくく、他通貨より低い状況も続く公算が大きい。その結果、円は依然として弱い通貨のままである可能性が高いと言える。旺盛な家計の対外証券投資意欲や企業の対外直接投資需要に照らせば、140円台前半ではドル/円も下げ渋ると考えられる。反対に、160円絡みでは当局の円買い介入が見込まれる上、貿易赤字が縮小した点にも照らせば、一本調子の円安が進むとも考えにくい。しかし、総合的にみれば直近高値であるドル161円95銭を超える可能性も想定する必要がありそうだ。ユーロ/円も同様に150円台半ばで底堅さをみせる一方で、アップサイドも160円台後半まではあるのではないか。
<敵失あれば円高も>
為替相場は相対比較であるため、ドルやユーロが大きく下落するといった、言わば「敵失」があれば円の持ち直しも有り得る。その点、ドル/円が大きく下落するとすれば、それは米連邦準備理事会(FRB)が市場の想定を上回る利下げを迫られる場合だろう。
現在、米経済は個人消費が堅調に推移しているが、労働市場は悪化傾向をたどっている。ピーク時に約2倍もあった失業者に対する求人件数は足もとで1倍に迫る。失業率もじわりと上昇しつつあり、いずれもコロナ禍以前の水準よりも悪い。失業率について16─24歳の若年層に限ると、10%の大台に迫りつつある。これはコロナ禍で急上昇した時期を除けば、16年以来8年ぶりの水準である。
インフレにしても、消費者物価指数の約27%を占める帰属家賃が前月比で0.2%台と3年ぶりの低い伸びにとどまった。このまま減衰トレンドをたどる可能性もある。米国経済を巡ってはトランプ次期政権の経済政策の全貌が明らかとなるまで先行きは見通しにくいが、米経済のダウンサイドリスクにも要注意だ。
ユーロについては、フランスとドイツの長期金利の差である独仏スプレッドの拡大が挙げられる。24年12月、格付け会社ムーディーズ・レーティングスがフランスの信用格付けを「Aa3」に引き下げた。これでフィッチ・レーティングス、S&Pグローバル・レーティングを合わせた3社の格付けがすべてダブルAの最下位でそろった。この内、フィッチ・レーティングスは10月に格付け見通しを「安定的」から「ネガティブ」に下げており、シングルAも視界に入ってきた。
バーゼル銀行監督委員会が信用リスクに関して定めている標準的手法によれば、海外ソブリンに対するリスク掛け目はトリプルAやダブルAでは0%だが、シングルAからは20%が適用される。各銀行とも独自のルールを定めることもできるとされているが、格下げリスクが連想される場面があれば、仏国債が敬遠されるおそれもある。その際、既に12年ぶりの水準にある独仏スプレッドが更に拡大すれば、ユーロへの強い下押し圧力となるだろう。
<地政学リスクも重要なテーマに>
このほか25年は、約3年にわたって続いているロシア・ウクライナ情勢が重大な転機を迎える可能性がある。いかなる帰結をみるのか、現時点では極めて不透明ではあるがその動向が注目される。また、中東や台湾海峡を巡る動きも、米国のトランプ次期政権の発足に伴い、流動的となるおそれもある。事前の予測や準備が極めて難しいテーマではあるが、地政学リスクは25年の相場に強い影響をもたらす可能性が高く、要注意だ。
*このコラムは12月27日にLSEGグループのニュース・データ・プラットフォームWorkspaceに掲載されました。当時の情報に基づいています。
編集:宗えりか
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*内田稔氏は高千穂大学商学部教授、株式会社FDAlco外国為替アナリスト、公益財団法人国際通貨研究所客員研究員、証券アナリストジャーナル編集委員会委員、NewsPicks公式コメンテーター(プロピッカー)。慶應義塾大学卒業後、東京銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行し、マーケット業務を歴任。2012年からチーフアナリストを務め、22年4月から高千穂大学商学部准教授、24年4月から現職。J-money誌東京外国為替市場調査では2013年より9年連続個人ランキング1位。国際公認投資アナリスト、日本証券アナリスト協会認定アナリスト、日本テクニカルアナリスト協会認定テクニカルアナリスト、経済学修士(京都産業大学)。YouTubeチャンネル「内田稔教授のマーケットトーク」では解説動画を公開している。
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