鳥の飛翔に学ぶ、未来の航空機を安定飛行に導く仕組み
プリンストン大学の暖かな夏の朝、航空宇宙エンジニアのエイミー・ウィッサは大学のヘリポートでリモコン飛行機を飛ばす準備をしていた。しかし、これはただの模型飛行機ではなかった。ウィッサと彼女のチームは、翼の上部に、3列の薄くて柔軟なプラスチック製のフラップを、テープを蝶番にして慎重に取りつけていた。
幅1.5mの飛行機は、小型フライト・コンピューターの指示に従い空中に浮上した。そして、徐々に機首を上げ、揚力を失って不安定化する「失速」と呼ばれる状態になるまでテスト飛行を繰り返した。機体に搭載されたセンサーから送られてくるデータにより、ウィッサはフラップのおかげで失速がより穏やかに起きるようになり、機首がより高い角度に達したときにのみ生じるようになったことを観察した。フラップは揚力の急低下を防ぎ、全体的な安定性を向上させていた。
この実験は、もともと空中の達人である鳥からヒントを得たものだった。数年前、プリンストン大学の大学院の授業で、ウィッサは突風の中を飛ぶカツオドリのビデオを偶然見つけた。彼女は鳥の翼の下にある小さな羽毛が、普段と違う形で飛び出しているのに気づいた。鳥の体を流線形にする大きな外側の羽や飛行用の風切羽とは異なり、これらの雨覆羽(coverts、あまおおいばね)は小さく柔らかく、屋根板が重なり合うように層状に並んでいる。通常の飛行中は平らなままだが、鳥が急旋回や着陸したりすると、この雨覆羽がわずかに持ち上がり、鳥が乱気流を制御するのに役立つ。
Courtesy of The Feather Atlas/US Fish & Wildlife Service
「鳥の飛行を機敏にし、操縦性を高めている要素を、わたしたちのエンジニアリング・システムの改良に使えないかと考え始めました」と、ウィッサの元教え子で、現在はカリフォルニアのエンジニアリング・コンサルティング会社Exponentで航空宇宙エンジニアとして働くジルギス・セドキーは言う。
失速や制御不能による航空機事故は、特に民間航空では比較的まれだが、大惨事になることもある。パイロットのミス、機械的な問題、乱気流はすべて、航空機の失速や制御不能を引き起こし、空から墜落する可能性がある。
ウィッサと彼女のチームは、複数列の雨覆羽がどのように機能するかを調べ、小さく柔軟なプラスチック製フラップを用いてその効果を再現した。これによって生物にヒントを得た設計が航空機の安定性を向上させることを実証し、将来的にこのような設計を実物大の飛行機に展開するための基礎をつくったのだ。
機械的に制御される従来の飛行機の翼のフラッペロンとは異なり、彼女のチームのフラップは翼幅の上部に沿って付けられ、センサーやアクチュエーターを必要とせずに気流に応じて自由に動く。そのため、鳥の翼の雨覆羽とよく似ている。ウィッサの模型飛行機では、乱気流や高い迎え角に遭遇すると、フラップが自動的に持ち上がり、気流を微妙に調整して安定性と揚力を高めた。
鳥に魅了された先駆者たち
この研究は、鳥から航空飛行のインスピレーションを得るという、豊かだが近年は途絶えていた伝統の上に成り立っている。15世紀後半、レオナルド・ダ・ヴィンチは鳥の翼の動きに着想を得た飛行機械のスケッチを始めた。19世紀後半には、オットー・リリエンタールのような科学者が鳥の翼の形をもとにグライダーを製作した。リリエンタールはまた、鳥の飛行を航空産業にどう応用できるかについての詳細な研究を記録し、ライト兄弟を含む後の技術者たちに大きな影響を与えた。これらの先駆者たちが鳥に魅了された理由は明らかだった。「人間として、飛ぶものを見たこともないのに、どうやって飛べると思うか」だと、オランダのフローニンゲン大学の実験生物学者で、この研究に関わっていないデイヴィッド・レンティンクは述べている。
しかし時が経つにつれ、航空宇宙エンジニアたちは自然を観察する必要性がなくなったと考えるようになった。何百万もの飛翔昆虫、1,400種以上のコウモリ、1万種以上の鳥類がいるが、ほとんどの飛行種は研究されていない。「名前、産む卵、生息地はわかっても、どう飛ぶのかはわかっていない」とレンティンクは言う。彼はこれを、大きな機会損失だと強調する。動物の飛行を研究することで、研究者は既成概念にとらわれない発想ができるからだ。飛行中に動物が新しい物理的条件にどう遭遇し適応するかについて、新たな視点をもたらす可能性があるのだ。
フラップの配置と数が生み出す効果
ウィッサは、過去の研究が雨覆羽に着想を得た単一のフラップと気流への寄与について検討していたことに気づいた。しかし鳥は雨覆羽を一列だけ持っているのではなく、相互に影響し合う複数列の雨覆羽を持っている。これらの相互作用、気流への影響の背後にある物理学、そしてフラップを航空機に組み込む方法について理解しようとする研究は、ほとんど実施されてこなかった。
ウィッサのチームはまず、翼の上面の異なる位置に蝶番付きのフラップを1枚設置した。風洞を使って、翼周辺の空気力学的な力と気流速度を測定した。「フラップを異なる場所に配置したところ、気流が明確に変化し、揚力に利点をもたらしたのです」とセドキーは説明する。フラップを増やすだけで、これらの効果を増幅できることに気づいたのだ。
次にチームは、空気力学的利点を増幅できるかを確かめるため、複数列のフラップの研究を始めた。そして、フラップを追加することで特定の気流メカニズムが強化されることがわかった。実際の試作機でこの効果をテストするため、取り付けに適した素材について検討した。雨覆羽の自然な硬さと質量を再現するため、軽量で柔軟性のあるプラスチックフィルムを使用することに決めた。「生物学から工学へのアイデア移行を、シンプルにすることが目的でした」とウィッサは話す。フラップは模型飛行機にテープで慎重に取り付けられ、素材と配置が適切であることを確認した。硬すぎたり重すぎたりすると、フラップが開かなくなるためだ。
ウィッサとその同僚たちは、短い滑走路に緊急着陸する場合や突風に遭遇した場合など、特定の状況でフラップをテストした。翼が入ってくる空気に対して高い角度にあるときの制御維持は、安定性だけでなく、航空機が失速するのを防ぐためにも重要だ。風洞と試作機でフラップをテストしたところ、フラップがない場合と比較して揚力が最大45%向上し、抵抗が約31%減少し、失速の原因となる急な揚力喪失を防ぐのに役立つことがわかった。
プリンストン大学の試験場でフラップを装着した模型飛行機。
革新を実装する長い道のり
これらの発見は航空業界の将来にとって非常に重要な意味を持つ可能性がある。気候変動は、気象条件をより予測不可能で厳しいものにしている。過去40年間で、極端な乱気流の発生頻度は55%増加した。乗客の安全を確保するため、航空機はより耐久性を高め、安定性と乗客の安全を損なうことなく、厳しい状況下でも機敏に操縦できるようにならなければならない。
同時に、航空交通量は増加し続けている。燃料技術の革新だけに頼ることなく、航空機の効率を高め、飛行の脱炭素化に貢献できる技術革新を探求することが、極めて重要になっているのだ。こうした自然な特性を生かした進歩によって、複雑な電子システムに依存せずに実現できる可能性がある。
しかし、こうした技術を商業的に採用するまでの道のりは困難だ。これはほかの多くの動物にヒントを得た技術にも当てはまる。例えば1980年代、科学者たちはサメの体を覆うリブレットと呼ばれる小さな突起が、水中を進む際の抵抗を減らすことを発見した。同様のデザインを航空機に応用すれば、燃料消費を大幅に削減できるのではないかと考えられた。1997年、研究者たちはサメ肌スタイルのリブレットが航空機の抵抗を約10%削減できることを数値化した。しかし、実際の航空機での商業試験は2016年まで始まらなかった。
ドイツの航空宇宙企業Lufthansa Technikは、最終的にサメの皮から着想を得た航空機表面技術「AeroSHARK」を開発した。「現在、7つの航空会社の25機の航空機が当社のサメ肌技術で改良されており、その数は着実に増加しています」とLufthansa Technikの広報担当レア・クリンゲは述べている。彼女によると、このような技術革新には数十年にわたる研究が必要であり、運航を妨げることなく既存の機体に新しいソリューションを統合することは、大きな課題であり続けている。
これらの羽にヒントを得たフラップを大規模に展開する場合、「どのような素材でフラップを作るか、あるいはどのように翼に適切に取り付けるかという、いくつかの技術的・実装上の課題があります」とウィッサは言う。このような革新技術の展開は、実験で使用した小型試作機にプラスチックフィルムを追加するほど単純ではない。
モントリオールのETS大学の航空宇宙エンジニア、ルクサンドラ・ボテズは、「革新的なソリューションを商業レベルで統合しようとすると、複雑で学際的なものになってしまうことがよくあります」と話す。航空機は様々な安全試験や認証プロセスを経なければならず、それには数年かかる場合もある。ボテズはまた、現代の航空機のほとんどは以前のモデルの段階的改良で製造されており、メーカーは既存の設計から大きく逸脱することに消極的だと指摘している。
斬新なアイデアがもたらす革新
しかしレンティンクは、商業的な拡張性だけに焦点を当てるのは間違ったアプローチだと主張する。明確な拡張性を持つ革新だけが重視されるなら、研究者は既成概念を超える発想をしなくなる。「航空宇宙で真のイノベーションを起こしたいなら、このような圧倒的に斬新なアイデアを生み出す必要があります」と彼は言う。最終用途に近づきすぎると、エンジニアの新しいものを創造する能力が制限される。彼は、雨覆羽にヒントを得たフラップは現在の形では直ちに応用できるものではおそらくないと考えている。「しかしそれを批判とは考えていない。研究者が重要なアイデアを開発し、応用に向けた技術的パイプラインでさらに発展させることができるのだと考えている」
『WIRED』が取材した科学者たちは、航空機設計の未来は自然からインスピレーションを得続ける必要があると強調する。鳥は人間が作り出したどんなものよりも機敏で高性能、操縦性に優れている。「予測不可能な条件下でも効率的かつ適応力のある飛行ができる航空機をつくりたいなら、次世代設計に鳥の飛行の側面を取り入れることは避けられないでしょう」とセドキーは言う。
大型商業機に採用されなくても、これらの羽にヒントを得たイノベーションは小型航空機にとって画期的な可能性を秘めているとウィッサは考えている。小型航空機は荷物配達や都市空中モビリティなど、航空の未来で重要な役割を果たすと予想されている。例えば、空飛ぶタクシーサービスの開発に取り組む複数のスタートアップがある。このような航空機は狭いスペースでの離着陸が必要になるだろう。これらのイノベーションは、高角度操縦時の揚力と制御を向上させる可能性がある。
「航空機が小型化するにつれて、突風、強風、乱気流などの環境要因の影響を受けやすくなります」とウィッサは説明する。これらのフラップを装備することで、未来の小型飛行機は「航空機を空から放り出しかねないレベルの突風」にも対処できるようになるかもしれない。
(Originally published on wired.com, translated by Emi Urabe, edited by Mamiko Nakano)
※『WIRED』による航空の関連記事はこちら。
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