戦力構想外は"覚悟していた" 14年間「嫌いにならなかった」…武田翔太のラストメッセージ

 飽くなき探究心で14年間突き進んできた右腕らしい言葉だった。右肘にメスを入れて1年半。野球を嫌いになったことなんてなかった。

 ソフトバンクは1日、武田翔太投手に対して来季の契約を結ばない旨を伝えたと発表した。

 ルーキーイヤーの2012年、彗星のごとく現れた右腕は11試合に登板して8勝、防御率1.07という出色の成績をマーク。2014年からは2年連続で2桁勝利を挙げた。誰もが新たなエースの誕生を信じて疑わなかったが、待ち受けていたのは怪我との闘いだった。2024年4月には「右肘内側側副靭帯再建術および鏡視下肘関節形成術」、いわゆるトミー・ジョン手術を受けたことが発表された。復帰まで1年以上の時間を要する大けがに見舞われ、通算66勝を誇る背番号18はキャリアの岐路に立たされた。

 昨年4月から1年以上のリハビリ生活を経て、今年6月に4軍戦で実戦復帰。8月からは2軍に舞台を移して腕を振った。ウエスタン・リーグでは6試合に登板して1勝2敗、防御率4.43。人知れず闘っていたのは、右肘を襲う神経症状だった。

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続きの内容は

・辛いリハビリ中に武田が抱いた「意外な感情」 ・現役続行の裏に隠された「もう一つの理由」

・川崎宗則氏が武田に伝えた「野球の原点」

 実は手術した時点では、もう少し早く実戦復帰できる算段だった。しかし、右腕の状態は思うように上がってこなかった。悪天候で気圧が低い日には、目を覚ました瞬間から傷口がうずいた。神経症状は頻繁に現れ、2歳になった愛息を抱っこする時も、使うのは左腕だけだった。同じくトミー・ジョン手術を受けたチームメートから「早すぎますよ」と言われるほど、ハイペースで調整を進めた。前のめりな姿勢を最後まで貫き通したのは、本気で1軍昇格を目指していた証だった。

 リハビリ中に辛かったことを問われると「それは正直ない。悲観的になっても何も生まれないし、前向きでした」とキッパリ言い切る。プロ14年目で受けた戦力構想外の通告。今後については「現役を続けます。そうじゃないと手術をしたことも、この1年半も否定することになるから」と即答した。武田を突き動かす思いは、いつも明確。誰よりも野球が好きだからだ。

「野球が楽しくなくなったらやめますけど。ホークスに14年もいて、野球を嫌いになることもあるのかなと思ったし、そんな出来事もたくさんあったと思う。でも、嫌いにはならなかった。だからこの先も一生ないと思うんですよね。がむしゃらにやっていた1年目、2桁勝った2年間、そして今年のシーズン…。常に成長できる楽しみを感じながらやってこられたので」

 怪我に悩んでも、逆風にさらされても、どんな時も前向きに取り組んできた。やると決めたら、とことんまで極める。そのスタイルは、野球と出会った時から何も変わっていない。「継続力って自分に言い聞かせてきた。何かをやるにしても、血反吐を吐くような努力じゃないと、その後が続かないから」。自分を疑ったことはない。「『あいつダメやろ』と言われても関係ない。俺がやることだから」。ただひたすらに信じた道を突き進んできた。

 原点は中学時代にあった。野球教室にやってきたのは川崎宗則氏。天真爛漫なキャラクターでホークスを照らした“太陽”のような存在だ。「楽しいからやる。それはムネさんから教えてもらったことです。一番思い出に残っていますね」。10代だった右腕の脳裏に今も残る光景。野球が好きだという気持ちが何よりもの原動力だ。2017年には川崎氏とチームメートになり、感謝を伝えた日のことは今でも覚えている。44歳になった今も現役を続ける先輩は、武田が進みたい道でもある。

 昨オフには米ノースカロライナ州にあるトレーニング施設で鍛錬を積んだ。感じたことのない刺激は、自身の価値観を激変させた。「日本にもアメリカにも良さはあるけど、肌で感じたのは(アメリカが)8年くらい先をいっているなと。もう一花咲かせるために、誰よりも詳しくなってやろうと思ってやってきた」。同学年でもあるドジャースのタイラー・グラスノー投手とも対面し、連絡先を交換。英語の論文を自ら翻訳してヒントを探した。本気で目指した1軍復帰。14年間、チャンスをくれた球団には感謝しかない。

「(来季構想外というのは)覚悟していました。今年1年にかけていたし、それ以上に肘が全快した時にステップアップできるような準備もしていました。ホークスには本当にお世話になりました。だからこそ『あいつちゃんと投げられているな』って姿を見せたいです。自分が納得できるまで何回転んでも、立ち上がればいいですから」

 もう1つ、右腕が現役を続けたい理由がある。14年間、支えてくれた人たちの存在だ。「これだけ長くやっていたらファンの人たちの顔も名前も覚えますからね。応援してくれる人がいる限りは続けたいです」。電話越しの声は清々しい。最後にファンへのメッセージをお願いした。

「ホークスでの14年間。たくさん応援してもらい、ありがとうございました。よくないことも多かったし、もっとちゃんとやれっていう気持ちにもさせてしまったと思うけど。そういうトゲのある言葉も、いいピッチングをして『よかったね』って言ってもらえることも、全部が宝物なので。これからどうなるかわからないけど、野球が好きなもの同士、もっと楽しんでいけるように。本当にありがとうございました」

 もう1度、スポットライトが当たるマウンドへ――。これからも走り続ける。野球こそが、武田翔太の全てだ。

(竹村岳 / Gaku Takemura)

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