【高市発言で日中緊迫】「向こうがイチャモンを付けてきたら…」尖閣国有化問題の運命を決めた菅義偉の一言〈前駐中国大使が回想〉(文春オンライン)|dメニューニュース
「台湾有事」をめぐる高市早苗首相の発言をきっかけに、中国との関係が緊迫している。過去に日中関係が悪化したケースでは、どう沈静化させたのか。前駐中国大使・垂秀夫氏が、「尖閣諸島国有化」(2012年)当時の 内幕を明かした (聞き手 城山英巳・北海道大学大学院教授)。
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「席を蹴って帰ってこい」
私は公使として北京の大使館に勤務していましたから、その後に起きた大規模な反日暴動を目の当たりにしました。各地で日系のスーパーや工場が大きな被害を受け、中には明らかに中国共産党主導と見られるデモもありました。例えば北京では、日本大使館周辺で数百メートルにわたって柵が設置され、その内側でデモが行われていましたが、柵の外側には誰もいません。しかもデモ隊の話す言葉は北京語ではなく河北弁。地方から動員されて弁当をもらい、大使館に投げつける卵やペットボトルも準備されていた。組織的な動員だったのでしょう。
垂秀夫氏は、毅然とした態度で中国外交部と向き合った外交官として知られる ©文藝春秋◇
これ以降、日中関係は冷え込み、両国の首脳が公式会談を行うことはなかった。2年半ぶりとなる首脳会談が行われたのは2014年11月10日。安倍晋三総理がAPECのために北京を訪問した際のことだ。その3日前に日中双方が「四つの合意文書」を発表。「尖閣諸島」の名前を明記した上で、「緊張状態」が生じていることについて「異なる見解を有している」と記され、首脳会談の環境が整った。
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合意文書の最終調整は、谷内正太郎国家安全保障局長が楊潔篪国務委員と交渉しましたが、実質的に主導したのは秋葉剛男外務省国際法局長(現・国家安全保障局長)のチームです。秋葉さんがこの件で菅義偉官房長官から呼び出される時には、官房総務課長だった私も常に呼ばれていましたが、秋葉さんが最終交渉に向けて訪中する直前、菅さんがこう言って送り出したので驚きました。
「向こうがイチャモンを付けてきたら、席を蹴って帰ってこい」
交渉が成立しなければ、安倍・習近平会談はなくなるわけですから、菅さんとしては、まとめたくて仕方なかったはず。でも「絶対にまとめてこい」とは言わなかった。政治家・菅義偉の凄味を感じた瞬間でした。逆に、これで秋葉さんはまとめざるを得なくなったと思いました。
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垂氏が渡したメモ
秋葉さんの交渉相手は外交部アジア局長の孔鉉佑氏(前駐日大使)でした。ただ、彼は習近平氏と直接意思疎通できる立場ではなく、マンデート(トップから委任された権限)がありません。交渉の席で決められず、その都度、持ち帰って外交部長の王毅氏やその上の楊潔篪氏にお伺いを立て、場合によっては習近平弁公室まで上げなければならない。現場レベルの合意を「アドリブ合意」と言いますが、これはことごとく反故にされ、なかなか折り合えなかったようです。私は北京にいた元部下に連絡して、秋葉さんに「絶対相手は降りるから、もうちょっと頑張ってください」とメモを入れてもらいました。帰国した秋葉さんは私に、「いや、もうダメかなと思う瞬間はあったよ」と言っていました。ただ、ここまで来た以上、中国側もまとめたがっているのは、東京にいる私には手に取るようにわかりました。
11月10日、首脳会談が実現した日に、秋葉さんは帰国。菅さんは大喜びです。秋葉さんと私、市川恵一秘書官(現・内閣官房副長官補)を呼んで分厚いステーキをご馳走してくれ、自分は一滴もお酒を飲まないのに、「この店で一番高いワインを開けろ」と振舞っていただきました。この日は深夜まで過ごし、4人で肩を組んで記念撮影。破顔一笑した菅さんの顔は忘れられません。
※垂氏の連載「 駐中国大使、かく戦えり 」の 第3回「尖閣諸島のために戦略的臥薪嘗胆を 」全文(約1万1000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(「 駐中国大使、かく戦えり 」全8回公開中)。また、本連載は『 日中外交秘録 垂秀夫駐中国大使の闘い 』として、一冊まとめられました。
(垂 秀夫/文藝春秋 2024年4月号)