優秀な犯罪捜査官、株式投資で失敗…天才ニュートンが持つ別の顔
ニュートンは「象牙の塔」に引きこもるだけの学者ではなかった。仮説を立て、情報を収集し、分析する。その並外れた能力は一見、学問とは遠い分野でも発揮された。
それは「犯罪捜査」だった。
前後編の後編です<リンゴの逸話は本当? 「神に近付いた」天才の生涯>からつづく
ニュートンに届いた奇妙な依頼
英ケンブリッジ大学で研究生活を送るアイザック・ニュートンに、奇妙な依頼が舞い込んだ。1695年、52歳の時だ。イングランドの貨幣や紙幣を製造・管理する王立造幣局の「監事」(Warden、監視人、番人)になってほしいとの要請だった。当時の造幣局は「ロンドン塔」の中にあった。
財政や経済の知識はほぼ皆無だった。しかし当時のニュートンは英国最大級の知識人とみなされており、白羽の矢が立ったのだ。
翌96年に正式に監事に就任したニュートンは、貨幣改鋳に力を注ぐとともに、「偽造通貨」対策にも取り組む。17世紀末のロンドンではニセ金が大量に流通していたからだ。
無理もない。当時はまだ近代的な警察組織が存在しなかった。ロンドン警視庁(スコットランドヤード)が設立されたのは、ニュートンの死後100年以上たった1829年である。国家を揺るがす経済事件は造幣局が担当し、その「主任捜査官」が造幣局監事だった。
ただ、この犯罪は訴追が難しかった。死刑が適用される場合もあるため、裁判所もよほどの証拠がない限り有罪判決を出さない。こうして偽造は野放し状態になっていた。
なぜ通貨偽造は死刑相当の大罪なのか。
「国の通貨には君主の肖像が描かれています。このため、偽造は国王に対する『大逆罪』の一形態とみなされたのです。それは当時、十分に死刑に値する行為でした」
近代犯罪史に詳しい社会史学者で、英ノーサンプトン大学上級講師のドルー・グレイ博士(61)はそう説明する。
ニュートンが持っていた捜査のセンス
この状況下でニュートンに課せられたのは、悪名高き偽造職人ウィリアム・チャロナーの起訴だった。
チャロナーはもともと漆職人だったが、やがて貴金属の加工を手掛ける鍛冶職人のもとでニセ金を作る技術を学んだ。金属板を硬貨の形にくりぬき、図柄を刻み、本物そっくりの偽造硬貨を製造した。だが、犯罪に関与した証拠や証言を得るのは難しかった。
チャロナーはニュートンの能力を…