癌に死をもたらす植物ウイルス

ササゲはこんな感じの豆を作る植物です。 / Credit:Canva

近年、がん治療の分野では「免疫療法」という言葉をよく耳にするようになりました。

免疫療法とは、私たちの身体がもともと持つ免疫の仕組みを活用して、がん細胞を攻撃しようとする治療法のことです。

これまで、がんを治療する方法といえば、手術や放射線、化学療法(抗がん剤)が中心でしたが、それらは患者の身体への負担が大きく、副作用も多いという問題がありました。

そこで近年、免疫の力を使ってがんと戦う新しい治療法が注目されているのです。

現在、免疫療法の主な手法として注目されているものには、「免疫チェックポイント阻害薬」という薬剤を使って、がん細胞に対する免疫のブレーキを外す方法があります。

また、患者の免疫細胞を取り出して改造・強化した後、再び体内に戻してがんを攻撃させる「CAR-T細胞療法」も実用化され、非常に良い治療効果を示すケースが現れています。

このように、免疫療法は一部のがんで大きな成果を上げてきましたが、すべてのがんで有効とは言えません。

特に固形がん(しこりを作るタイプのがん)の場合、がん細胞の周囲の環境が免疫細胞の働きを弱めるような仕組みになっているため、免疫がうまく働かないことが多いのです。

そのため、免疫療法がうまく効く「免疫が働きやすい環境」をがんの中に作り出す必要があります。

そこで近年注目されているのが、「腫瘍内免疫療法(in situ免疫療法)」という新しい考え方です。

これは、がんの内部に免疫を活性化させる物質を直接注入し、免疫細胞をその場で目覚めさせるという方法です。

簡単に言えば、腫瘍自体をワクチンのように利用して免疫にがん細胞を認識させるという仕組みです。

実はこのアイデアは、すでに実用化されている治療法にも似たものがあります。

たとえば、「T-VEC(ティーベック)」という改変型ヘルペスウイルスを用いる方法です。

T-VECは腫瘍内に注入されると、がん細胞に感染して破裂させ、その破片が免疫にがんの目印を教えることで免疫を活性化します。

この方法は「腫瘍溶解ウイルス療法」と呼ばれ、特に皮膚がんの一種である悪性黒色腫(メラノーマ)の治療に使われています。

しかし今回注目するササゲモザイクウイルスは、このT-VECとは異なる非常にユニークな方法で免疫を刺激することが分かっています。

まず、ササゲモザイクウイルスは植物に感染するウイルスであり、人間の細胞には感染できません。

つまり、人間にとっては完全に無害なウイルスです。

にもかかわらず、ササゲモザイクウイルスが人体に入ると、免疫系はこれを「未知の異物」と認識して警戒を開始します。

このとき、免疫細胞はウイルスを飲み込み、「これは敵だ」と判断して警戒警報を出します。

その結果、ササゲモザイクウイルスを攻撃するための免疫反応が起き、その過程で近くにいるがん細胞も一緒に免疫の攻撃対象となるのです。

実際に、このササゲモザイクウイルスを使った腫瘍内免疫療法は、マウスのさまざまながんモデルや犬のがん患者で高い治療効果を示しています。

ササゲモザイクウイルスを腫瘍に直接注入すると、まず好中球やマクロファージ、ナチュラルキラー(NK)細胞といった免疫細胞が腫瘍内に集まり、がん細胞を攻撃します。

また、この免疫反応は一度だけで終わるのではなく、B細胞やT細胞という「免疫の記憶」を担う細胞にも働きかけ、長期間にわたってがん細胞を攻撃し続ける能力を獲得させるのです。

つまり、最初に注射した腫瘍だけでなく、身体の他の場所に転移したがん細胞にも攻撃が及ぶ可能性があります。

しかし、ここで重要な疑問が生じます。

それは、「なぜササゲモザイクウイルスだけが、他の植物ウイルスと比べて特に強い免疫反応を引き起こせるのか」という点です。

実は、この研究チームが過去に行った比較実験では、ササゲモザイクウイルスだけが非常に強力な効果を示し、他のよく似た植物ウイルスではそのような効果が見られませんでした。

この「ササゲモザイクウイルスの特別さ」の理由は長い間わからずにいました。

なぜ一部の植物ウイルスだけに特別な抗がん効果があるのか?

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