朝日賞のみなさん:朝日新聞デジタル

 2024年度の朝日賞を受賞された方々の業績を紹介します。朝日賞は学術、芸術などの分野で傑出した業績をあげ、日本の文化や社会の発展、向上に貢献した人に朝日新聞文化財団から贈られます。正賞は佐藤忠良さん作のブロンズ像、副賞は1件500万円です。

 ■音の喜び、教え子と分かち合う ビオラ奏者・今井信子さん(81)

 音域も音質も人間の声にきわめて近い。華やかな技巧を誇らず、自身よりも他の楽器を豊かに歌わせることを使命とする。そんなビオラという楽器を、人間の本質を探究する至上の相棒とした。

 バイオリンの名手だったが、大学時代にビオラに転向。小澤征爾さんがスイスで創設したアカデミーのほか、ドイツスペインオランダにも教育の拠点を持つ。

 「教えるというより分かち合う感覚。たまにしか会えなくても、すぐに昨日まで一緒に弾いていたような感じになれる。誰かと同じ空気を吸い、一緒に音を出す喜びを、技術より先に若い人たちの心に植え付けておきたいんです」

 平和を希求するカタルーニャ民謡「鳥の歌」の独奏で知られるパブロ・カザルスとも、世代を超えた同志として交流を重ねた。「ビューティフル!」と言う声の、軽くビブラートのかかった柔らかな抑揚。それ自体がもう音楽だったことを、今も深く心に刻んでいる。音楽に携わる人生は、こんなにも誰かを、そして何より自分自身を幸福にすることができるのだと若い世代に伝えたい。好奇心に忠実に走り続ける己の姿を見せることが、何よりの教育だと信じている。(編集委員・吉田純子)

     *

 いまい・のぶこ 1943年、東京都生まれ。桐朋学園大学ジュリアード音楽院などを経て67年にミュンヘン、68年にジュネーブの両国際コンクールで最高位。ベルリン・フィルの定期公演やザルツブルク音楽祭など世界のひのき舞台で活躍する。

 ■米で挑戦20年、SHOGUNに結実 俳優・真田広之さん(64)

 ハリウッドで続けた挑戦の年月は、自身がプロデュース・主演を務めたドラマ「SHOGUN 将軍」という傑作に結実した。米テレビ界の最優秀作を選ぶ昨年のエミー賞で、作品賞(ドラマ部門)や主演男優賞など計18冠を達成。「時が経つにつれてその重みをひしひしと噛(か)み締めています。今回の受賞がアジアの製作・俳優陣の未来にとって、大きな布石となることを祈っています」と語る。

 国際派俳優として、道なき道を切り拓(ひら)いてきた。日本を飛び出すにあたり、自らに課した使命の一つが洋の東西をつなぐことだ。米ディズニー傘下のスタジオが製作した「SHOGUN」は、日本から時代劇の専門家を招くなどしてハリウッドとの「合作」を実現し、高い評価を呼び込んだ。

 「ようやく東西の壁が崩れ、橋が架けられたように思います。今後はその橋をより強く、広くしていければと考えています」

 米国に拠点を移してからの20年間を、「幸いにも素晴らしい作品に恵まれ、スタッフや共演者から多くのことを学びました」と振り返る。「全ての経験や積み重ねが今日に繋(つな)がっているので、諦めずに続けることの大切さを実感しています」(西田理人)

     *

 さなだ・ひろゆき 1960年、東京都生まれ。78年「柳生一族の陰謀」で本格デビュー。日本での主な主演作に「麻雀放浪記」「たそがれ清兵衛」など。「ラストサムライ」出演後、米ロサンゼルスへ。ハリウッドの映画やドラマに数多く出演。

 ■美しい定理、物理と数学を結ぶ 京都大学数理解析研究所教授・緒方芳子さん(48)

 私たちの身の回りの物質はミクロな粒子が多数集まって形づくられる。磁石になる、熱が伝わるといったマクロな現象をミクロな法則から厳密な数学として具現化する。数理物理学者として数々の命題を定式化した。

 学部時代、ミクロな力学「量子力学」の本に魅了された。「量子力学こそこの世の法則。全てをそこから導きたいと思った」。無限を扱う作用素環(さようそかん)論を使い、物理の非自明な現象を示す。初めて「分かった」と腑(ふ)に落ちた。物理学で博士号をとり、数学の道へ進んだ。

 マクロの世界で量子性が失われることを示した「フォン・ノイマンの問題」を解決した。物質の状態を探るトポロジカル相の研究では、分類するためのラベル「緒方インデックス」を導出した。

 物理学者から「我々のあいまいな見通しを美しい定理にする」と評される。最先端の物性の本質を数学で読み解き、物理と数学のかけ橋となっている。朝日賞を女性数学者として初受賞する。

 数学の魅力は「パズルのピースがピッタリあう快感」だという。紙とペンで一度証明すれば正しさは永遠に保証される。深遠な数学の世界に眠る次のピースを求め、歩みを進める。(石倉徹也)

     *

 おがた・よしこ 1976年大阪府生まれ。2004年東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。九州大助教、東大数理科学研究科教授を経て、23年京都大数理解析研究所教授。21年アンリ・ポアンカレ賞、22年日本数学会賞秋季賞、24年猿橋賞。

 ■高純度の結晶、世界の研究加速 物質・材料研究機構理事、谷口尚さん(65) 物質・材料研究機構特命研究員、渡辺賢司さん(62)

 炭素原子が蜂の巣のような六角形状で結合しているグラフェン。原子1個分の厚さしかなく、軽くしなやかで格段に強い。また電子がとても変わったふるまいをするので、新しい物理現象の宝庫だ。

 だがあまりに薄いため平らに保ちにくい。このグラフェンを載せる最適な「土台」となり、世界中の研究を加速させたのが、谷口尚さんと渡辺賢司さんが生み出す高純度の六方晶(ろっぽうしょう)窒化ホウ素(h―BN)の結晶だ。

 この結晶を用いると電子のふるまいを正確に測れる。グラフェン2枚を重ねると超伝導になるなどの新発見に貢献した。今では30カ国の500を超す研究グループに提供されている。

 所属する物質・材料研究機構(NIMS)の高圧装置で、4万気圧と1600度の高温をかけて10日がかりでh―BNを生成する。「不純物を除去する溶媒などの検討を重ねた」と谷口さん。いまも試行錯誤を続けている。

 共著論文は累計2300本、被引用件数は6万近い。なかでも著名なネイチャー、サイエンス両誌の掲載が200本を超すなど、「もっとも多作な結晶研究者」と呼ばれている。(伊藤隆太郎)

     *

 たにぐち・たかし 1959年東京都生まれ。東京工業大学大学院材料科学専攻博士課程修了。同大助手をへて、89年に旧無機材質研究所=現物質・材料研究機構(NIMS)=に入り、超高圧力下の物質合成を研究。2023年から同理事。

     *

 わたなべ・けんじ 1962年山梨県生まれ。北海道大学大学院理学研究科博士課程単位取得退学。沖電気工業をへて、94年に旧無機材質研究所に入所。NIMS電子セラミックスグループ主席研究員をへて2023年から同特命研究員。

 ■選考委員

 中村史郎=委員長(朝日新聞文化財団理事長・朝日新聞社代表取締役会長)

 青柳正規(多摩美術大学理事長)

 伊東豊雄(建築家)

 稲葉カヨ(国立研究開発法人日本医療研究開発機構監事)

 上野千鶴子(社会学者)

 梶田隆章(東京大学卓越教授)

 榊裕之(奈良国立大学機構理事長)

 野田秀樹(演出家・俳優)

☆坂尻顕吾(朝日新聞社執行役員編集担当)

 ☆は新任

関連記事: