スカイライン、GT-R、シルビアが泣いている…トヨタの最大のライバルだった「走りの日産」が道を間違えた瞬間 それでも私が「希望がないわけではない」と考えるワケ
12月23日、日産自動車と本田技研工業は、経営統合に向けて本格的な協議に入ると発表した。自動車ライターの大音安弘さんは「日産は常に新たな価値の創造を行ってきた。今こそ自身をかえりみる必要があるのではないか」という――。
写真=時事通信フォト
ホンダ、日産、三菱3社共同会見での日産自動車の内田誠社長
日産自動車とホンダが経営統合に向けて本格的に協議を進めるとの一報は、当初は誤報と思ってしまったほどの衝撃的なニュースだった。それは、国内2位の日産が非常に厳しい状況下に置かれていることを明確に物語るものだった。
今回は、日産自動車の変化をクルマ好きの目線で振り返りたい。
まずは日本での現状を見てみよう。2024年の上半期の国内販売では、4位のコンパクトカー「ノート」が最高で、6位にミニバン「セレナ」が入る。人気のSUVも「エクストレイル」の20位が最高だ。上位50位までに入るモデルは、たった4車種しかないのだ。
しかし、それも当然の結果だ。何しろ現在の日産の登録車は、
コンパクトカー「ノート」シリーズ(「オーラ」含む)
コンパクトSUV「キックス」
ミッドサイズSUV「エクストレイル」
ミッドサイズミニバン「セレナ」
ラージミニバン「エルグランド」
ミッドサイズセダン「スカイライン」
スポーツカーの「GT-R」と「フェアレディZ」
EVコンパクトハッチバック「リーフ」とEVミッドサイズSUV「アリア」
と極めて少ないのだ。
さらに現行型スカイラインはセダン不況とはいえ10年目を迎える。高級ミニバンブームの先駆者であるエルグランドも現行が14年目に突入している。さらに人気車であるGT-RやフェアレディZは、生産台数の問題から、欲しくとも購入することができない状況である。GT-Rも改良を重ねて進化しているが、発売より17年が経過したロングライフモデルである。
現状、国内ではノートとセレナ頼みとなっており、多くの顧客のニーズに応えられる体制ではないのだ。その上、24年に関しては、改良や仕様の追加はあったものの、フルモデルチェンジや全く新しいクルマの投入もなかった。
人気カテゴリーで競うことができない圧倒的な商品不足こそが、「現場に売るクルマがない」と言われる実態である。
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走りにこだわることは、クルマ好き頼みの戦略ではと思うかもしれない。しかし、それは正しくもあり、間違ってもいる。
世の中では、クルマ好きではなく必要に迫られて運転する人の方が多い。ただ、運転する楽しさは、運転のしやすさにもつながるものでもあるため、結果として、良いクルマと評価されるわけだ。もちろん、「このクルマに乗ってみたい」という素直な思いも、クルマ好きを育てるきっかけになる。
クルマ好きの目線で見ると、80年代から90年代のトヨタ車は、「カローラレビン」、「スプリンタートレノ」、「セリカ」などのスポーツカーもFF車に切り替えていた。そのため、日産が古典的なFRにこだわったことは、結果として「スポーツカーはFRが良い」という固定概念が強かった当時のファンの心を捉えることにもなっただろう。
もちろん、トレンドを作り出すことにも成功しており、マーチをベースとしたレトロデザインカーである「Be-1」、「PAO」、「フィガロ」のパイクカーシリーズは、後の軽自動車を中心に盛り上がるレトロモダンなクルマたちのブームにも繋がっている。
愛くるしいフェイスのBe-1(1987年発売)。レトロなデザインで「パイクカー」と呼ばれる分野の先駆けとなった。日産の”とんがった”個性を感じさせる一台。
迷走の中でも光った技術屋の矜持
大きく流れが変わったのは、90年代以降だろう。法規改正でボディサイズと自動車税の相関性がなくなったこともあり、バブル期に開発された日産のクルマは、大型化かつ高級化にシフト。さらにデザイン面でも、アメリカ市場を意識したものが増えた。
しかしそれらの車はバブル崩壊後の日本人の顧客のニーズに合わないものだった。
特に大きな失敗だったのが、尻下がりのデザインの採用だ。その代表例が第9世代の「U13型ブルーバード」と「レパードJ.フェリー」であり、いずれも北米拠点のデザイン部の作品であった。
バブルは崩壊していてもクルマ業界はまだまだ元気だった1992年に登場したレパードJ.フェリー。独特の「垂れ尻」デザインは美しいが、ユーザーの好みが分かれた。
その反動からか、90年後半から00年代に投入された日産車は、直線的なデザインが多かったが、こちらも野暮ったいものが多く、迷走を感じさせるものであった。
ただ厳しい状況下に置かれた中でも、ヒット作もあった。1996年には、上級ステーションワゴン「ステージア」を投入。ゆとりのある大型ワゴンという売り出しは大いに人気を博した。
1997年の初代「エルグランド」は高級ミニバンの元祖であり、トヨタ・アルファードよりも5年も早いデビューであった。ユーテリティコンパクトカー「キューブ」も、1998年に登場し、大成功。2000年デビューの「エクストレイル」は手頃なSUVとして若者の取り込みにも成功している。
時代に埋もれた“迷作”の多い時期でもあるが、それらの車から、新たな価値の創造に挑む日産の新車開発チームたちの奮闘が感じられたのは間違いない。
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かつての日産は、間違いなくトヨタの強力なライバルであった。「トヨタ・カローラ」には「サニー」を。「トヨタ・コロナ」には「ブルーバード」という風に、主力車種には対抗馬が必ず存在し、熾烈な争いを続けてきた。そして、日産には、独自の武器を持つクルマが存在した。その代表格が、スカイラインだろう。
スカイラインは、元々は日産が吸収合併したプリンス自動車の看板モデルであった。モータースポーツでの数々の金字塔はもちろん、初代から開発に携わり7代目終盤まで開発主査を務めたカリスマエンジニアの桜井眞一郎氏によるこだわりのクルマ作りが熱狂的なファンを生んだ。歴代モデルを乗り継いできたユーザーは多い。
画像提供=日産自動車
1972年発売の4代目スカイライン・C110型。「ケンメリ」の愛称で親しまれた。累計販売台数は66万台という大ヒットを記録した。
そのスカイラインに代表されるように、トヨタに数の勝負でこそ負けるが、定期的に乗り換えてくれる熱烈なファンを持つことこそが日産の強みだった。その魅力の根っことなっていたのは、運転して楽しいクルマにあったと筆者は考える。日産車は、常にどのモデルも走りの良さに定評があった。
そのクルマ作りを象徴するのが、1980年代から取り組みを始めた「901運動」だ。これは90年代までに運動性能で世界一の車づくりを目標とした運動だ。
飛ぶように売れた500万円超のスポーツカー
背景には、トヨタの高級車を中心とした「ハイソカーブーム」の影響で、ライバルに奪われたシェアの回復が狙いだった。
興味深いのは日産が行ったクルマ作りは、トヨタより豪華なクルマや流行最先端ではなく、ユーザーの心に響く走りの良さに注力したことだった。当時の日産の姿勢を物語っているといえよう。
901活動は、結果として多くの名車を送り出した。その代表格が、「初代シーマ」だ。バブル期に相応しい高級セダンながら、その走りは豪快そのもの。加速のよさが社会的に成功したクルマ好きたちを虜にしたのである。
さらに第2世代となるGT-Rが復活した。R32型スカイラインGT-Rは、国産車としてはトップクラスとなる500万円前後という価格帯ながら、1世代で4万台以上を売り上げた。
画像提供=日産自動車
8代目スカイライン・R32型は1989年に発売。画像の「GTS-t TypeM」は全国の走り屋を熱狂させただけでなく、一般のクルマ好きにも「手軽に楽しめる高性能GTカー」として人気を博した。これをベースに生まれた高性能モデルが、R32型GT-Rだ。
さらにはモータースポーツでは、全日本ツーリングカー選手権で、90年の初出場から93年まで29連勝という偉業を残している。
スポーツカー「シルビア」の全盛期もこの頃だ。発売当時は、その美しいスタイルからデートカーとしても重宝されたが、走り屋からも愛されたクルマである。
画像提供=日産自動車
「アートフォース・シルビア」のキャッチコピーとともに1988年に登場した5代目シルビア。美しいスタイリングとFR車ならではの走りの良さが評判に。
もちろん、大衆車でも手抜かりはない。FR車よりも走りが劣るとされてきたFF車も大きく進化させた。その代表格が初代「プリメーラ」だ。欧州車を強く意識して開発され、彼の地でも高い評価を得ている。またコンパクトカー「マーチ」も走りの良さで愛された一台だ。
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近年の悲惨な状況は、大規模な車種リストラ後の対応だろう。不人気車を中心に大胆なリストラを行うまでは良かったが、売れている車種だけに開発・販売を絞るだけで、全体として車種が減り、抜け落ちたピースを埋めることはしなかった。
結果として、客離れを呼んでしまった。この影響は長年の日産ユーザーにも及んだ。会社の基盤となる顧客層を失うことにもつながった。
さらにこの状況下で、スカイラインやエルグランドなどの利益率の高いクルマの磨き上げを行わなかったことは、大きな失策と言わざるを得ない。
日産は、多くのヒット車を育てきれず、葬ってきた。その過去を振り返り、自身をかえりみる必要があるのではないだろうか。
電動化技術や自動運転化技術など、伝統の技術力が失われたわけではない。「NISMOロードカー」に代表される走りへのこだわりもある。希望がないわけではないのだ。もっとユーザー目線にたった日産車らしいクルマ作りの復活を望みたい。