〈皇族方の「成長」〉生物学はロイヤルの教養であり「帝王学」だった 悠仁さまと昭和天皇 少年時代のセミやトンボ、チョウの「昆虫標本」に共通点

秋篠宮家の長男、悠仁さまが18歳の成年を迎えた。男性皇族の成年は1985年の秋篠宮さま以来39年ぶり=2024年7月、秋篠宮邸、宮内庁提供 この記事の写真をすべて見る

 秋篠宮家の長男の悠仁さまは昨年に18歳になり、今春からは大学生に。若さが輝く皇族方の「あのとき」を振り返る(この記事は「AERA dot.」に2024年9月8日に掲載した記事の再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。

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 秋篠宮家の長男、悠仁さまが9月6日、18歳の成年を迎えた。高校3年生の悠仁さまは、卒業まで宮中行事に参加する予定はないものの、8月には京都で開催された国際昆虫学会議に出席された。トンボの研究成果が論文として発表され、「研究者」としての学びを深めている悠仁さまのご様子は、生物学者として知られた昭和天皇の少年時代にも重なる。  

 秋篠宮さまはトンボを手に持ち、もうすぐ2歳になる幼い悠仁さまの前に持ってきた。

 ちょっと力を入れただけで傷んでしまうほど薄いトンボの羽を、ちいさな悠仁さまは指の腹でそっとつまみ、満足そうな表情を浮かべた。

 2008年8月、秋篠宮ご一家が栃木県の那須御用邸に滞在されたときの様子だ。

 当時、皇室の事情に詳しい人物は、このときの様子を映像で見て、

「2歳にもならない悠仁さまが、トンボの羽を傷つけないように注意深く受け取っている。さすが、天皇家の生物学者としてのDNAを受け継いでいる」

 と、感心した様子で話していた。

 この頃の悠仁さまについて、秋篠宮妃の紀子さまは、こう話している。

「夏ごろからでしょうか、庭にいる小さな虫,バッタやカマキリなどを見つけて、上手に捕まえては手で持ったり、袖に乗せたりして、よく観察しておりました」  

悠仁さまがお茶の水女子大学付属小の1年生のときに、「宮内庁職員組合文化祭美術展」に出品した昆虫標本「夏の思い出」。手書きで、「日本のヤンマ」「日本のアゲハチョウ」「日本のセミ 日本には35種のセミがいます」などと説明が添えられている=2013年、宮内庁庁舎、JMPA

 悠仁さまが生物への関心を深めていく様子は、宮内庁内で開催される「宮内庁職員組合文化祭美術展」の出品作からもうかがえる。

 お茶の水女子大学付属小の1年生だった2013年には、皇居や赤坂御用地などで採集したトンボやセミ、アゲハチョウの標本を「夏の思い出」と題して出品。標本には手書きで、「日本のヤンマ」「日本のアゲハチョウ」「日本のセミ 日本には35種のセミがいます」などと説明が添えられてあり、標本の下には、「ウチワヤンマ」「Sinictinogomphus clavatus」というように和名と学名で書かれたラベルもあった。

 悠仁さまは、チョウの羽の鱗粉(りんぷん)が落ちないよう、丁寧に作業していたという。

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悠仁さま
2025/03/03/ 10:00
那須御用邸の嚶鳴亭近くを散策する昭和天皇と香淳皇后=1984年、栃木県

 生物学者として知られた昭和天皇も、幼少期に「昆虫と植物」と表題をつけた昆虫標本を作製している。東京都立川市にある「昭和天皇記念館」には、「採集者 裕仁」と自筆のラベルが添えられた実物が展示されている。

 同館の副館長で、『昭和天皇実録』の編修にも携わった学芸員の梶田明宏さんによれば、昭和天皇が学習院初等科6年生のときに、学校の夏の自由研究として塩原のセミやトンボを採集して作られたものだという。

宮内庁が所蔵する、昭和天皇が学習院初等科6年生だった1913年に作製した昆虫標本「昆虫と植物」。セミが似た色の樹木にとまって姿を隠したり、翅を広げて飛んだりと、工夫をこらして生態を表現している。現在は昭和天皇記念館に展示(写真提供・「昭和天皇記念館」)

「樹皮の周りにセミを配したり、植物の花に何種類ものチョウがとまっていたり、周囲を飛んでいたりしているように貼付された標本。専門家の解説によれば、樹液や花の蜜、葉や茎の液汁を吸って栄養をとるチョウやカメムシ、セミといった自然界の食物連鎖の一端が巧みに表現されているようです」   

 海洋生物や植物の分類学者としても知られた昭和天皇は、公務の合間に皇居・吹上御苑に開設された「生物学御研究所」や御用邸で、変形菌、クラゲの仲間であるヒドロ虫類をはじめとする海洋生物、皇居・那須・須崎の植物などの研究をライフワークとして続けた。その業績から、「分類学の父」と言われるカール・リンネの名前を冠したロンドン・リンネ協会の名誉会員となり、ロンドン王立協会の会員にも選ばれている。

「昭和天皇は自身の記者会見で、生物学研究は小さいときから『三つ子の魂百まで』の結果とおっしゃられています。実際、『昭和天皇実録』には、ご幼少の頃より箱根や伊香保などでは昆虫採集を、沼津や葉山の海岸では貝殻ひろいをさかんに行われ、そうして集められた昆虫や貝の名前を図鑑で調べ、分類・整理して標本作りを熱心にされていたことが書かれています」(梶田さん)

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