中畑清が篠塚和典に涙で感謝した、1989年日本シリーズでの現役最終打席「ありがとう、シノ」

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

中畑清×篠塚和典 スペシャル対談(5)

(対談4を読む:同期のふたりが明かすドラフト1位をめぐる裏話 厳しかった伊東キャンプには「感謝」>>)

 巨人のレジェンドOBである篠塚和典氏と中畑清氏による対談。その5回目は、1987年に繰り広げたセ・リーグの首位打者争いや、最も印象深い優勝、中畑氏の現役最終打席の裏に合った篠塚氏のある進言について振り返ってもらった。

1989年の日本シリーズ第7戦、現役最終打席でホームランを放った中畑氏 photo by Sankei Visual

【落合、正田との首位打者争い】

――1987年のシーズン、中畑さんと篠塚さんは、落合博満さん(当時、中日移籍1年目)や正田耕三さん(広島)と熾烈な首位打者争いを繰り広げました。この時は、お互いのことを意識していましたか?

中畑清(以下:中畑) 自分は首位打者を狙える打率を残していたのですが、ケガをして途中で離脱してしまったんです。規定打席に到達するため、ケガから復帰後は打席数を稼ぐために1番で起用されていましたが、残り5試合で打率を落としてしまいました。シノは、最終的に正田と争っていたよな。

篠塚和典(以下:篠塚) 最終的にはそうですね。ただ、落合さんとの差もほとんどなかったですよ。中畑さんからは、「落合には絶対に首位打者を獲らせるなよ」って励ましてもらいました。でも、中畑さんも(首位打者を獲る)チャンスがありましたからね。

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中畑 残り5試合の時点で巨人が優勝し、気持ちが切れちゃった部分もあったかもしれない。理由にならないんだけどね。残り5試合で、1試合ごとに1本でもヒットを打って規定打席に達すれば首位打者を獲れたと思うのですが、5試合ノーヒットでしたから(最終的な打率は.321。落合は.331)。

篠塚 最終的に僕と正田が同率(.333)で首位打者を分け合いました。確か、正田は最後の打席でセーフティーバントを決めたんです。

中畑 他人事だからあまり見てないな(笑)。自分は優勝して緊張の糸が切れていたね。首位打者よりも日本シリーズのほうに気持ちが傾いているところもあったし。やっぱり、消化試合になるとチーム全体が緩むし、そういう雰囲気のなかでは自分の場合は無理だった。どちらかというとノリで勝負するタイプだから。

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  • 千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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