時空の外に存在する量子幾何学を求めて

2022年秋、プリンストン大学の大学院生キャロライナ・フィゲイレドは、とんでもない偶然に出くわした。彼女の計算によると、3つの異なる種類の亜原子粒子がかかわる衝突では、どの組み合わせでも同じ残骸を生み出す結果になるのだ。これは例えるなら、ロンドンと東京とニューヨークの地図にそれぞれグリッド線を引いて重ねてみたら、3都市の電車の駅がすべて同じ座標上にあった、というのに等しいくらい稀なことだ。

「それぞれが非常に異なる[粒子の]理論なのです。それらが関連している理由はまったくありません」とフィゲイレドは言う。

この偶然の現象は、すぐに実は「計略」だったことが判明した。3種の異なる粒子は、正しい見方をすればひとつだったのだ。フィゲイレドと同僚たちは、この計略はある隠れた構造に起因するものであり、それが現実の基底レベルで何が起こっているかを理解する複雑な作業を単純化する可能性があるということに気づいた。

フィゲイレドの博士課程の指導教授であるニーマ・アルカニ=ハメドは、20年近く物理学的思考の新たな方法を探す研究プロジェクトを率いてきた。多くの物理学者は、空間と時間のなかで発生する量子現象という観点から現実を概念化することには行き詰りを感じている。例えば、量子現象という言葉で、宇宙の始まりを説明することはできない。時空の構造が現在のような形では存在していなかった可能性が高いからだ。したがって、アルカニ=ハメドは、時空のなかで量子粒子が動いて相互に影響しあうという従来の考え方は、より深く抽象的な概念の大まかな近似にすぎないのではないか、という疑いをもった。このより深く抽象的な概念は、仮に発見されたとしたら、量子重力と宇宙の起源を語る際に、よりよい言語となる可能性があるものだ。

大きな進展があったのは、13年、アルカニ=ハメドと当時彼の指導を受けていた学生ヤロスラフ・トルンカが、ある特定の粒子の相互作用の結果を予測する、宝石のような幾何学的構造をもつ形状を発見したときだった。彼らはその幾何学的構造を「アンプリチューへドロン(振幅多面体)」と呼ぶことにした。だがこれは、現実世界の粒子には適用できなかった。そこでアルカニ=ハメドとその同僚たちは、それに似ていて、しかも現実に適用可能な形状をさらに探し求めた。

フィゲイレドの言う「計略」は、その粒子物理学の根底にあると思われる抽象的な幾何学的構造を表現する、もうひとつ別の形態だと考えられる。

「彼女たちのプログラムは全体として、時空および量子力学をひと組の新たな原理から解き明かそうというニーマの長年の夢に向かって、わずかながら少しずつ進んでいると言えます」とセバスチャン・ミゼラは言う。ミゼラはニュージャージー州、プリンストン高等研究所で「振幅(アンプリチュード)」の研究を行なっている物理学者だが、今回のフィゲイレドらの研究には参加していない。

サーフェスオロジーは新たな道具

アンプリチューへドロンと同じく、「サーフェスオロジー(表面学)」と名づけられたこの新たな幾何学的手法は、伝統的アプローチを回避することで、量子物理学を効率化しようとするものだ。これまでのやり方では、「ファインマン・ダイアグラム」を用いて、時空のなかを粒子が動く無限の経路をたどる。こうして描かれた粒子たちの衝突の可能性と軌跡は、複雑な方程式へと変換される。だがサーフェスオロジーがあれば、物理学者たちは同じ結果をもっと手早く得ることができるのだ。

「これは非常に大量のファインマン・ダイアグラムを整理するための、自然の枠組みというか、膨大な情報を管理する仕組みを提供してくれます」とブラウン大学の物理学者マーカス・スプラドリンは言う。彼は、このサーフェスオロジーという新たなツールを自分の研究にとり入れている。「これがあれば、情報が指数関数的にコンパクト化できるのです」

プリンストン大学の大学院生キャロライナ・フィゲイレドは、異なって見える3種の量子粒子がどれもまったく同じ行動をするという、驚くべき偶然に出くわした。

Photograph: Andrea Kane/Institute for Advanced Study

アンプリチューへドロンにおいては、特異な粒子が超対称性として知られるバランスを保つことが求められたが、サーフェスオロジーではそれと違って、もっと現実的で超対称性のない粒子を使う。「それは完全に中立で、超対称性などまったく必要ありません」とスプラドリンは言う。「わたしを含む何人かにとって、それは実に驚くべきことでした」

いま問われているのは、この新たな、粒子物理学に対するどちらかというと原始的な幾何学的アプローチで、理論物理学者たちが時空の枠を完全に超えることができるのか、ということだ。

「わたしたちには、何らかの魔法のようなものを見つけ出す必要がありました。おそらく、これがそうなのではないでしょうか」とペンシルべニア州立大学の物理学者、ジェイコブ・ブールジェリーは言う。「それによってわたしたちが時空を超えることができるかどうかは、わたしにはわかりません。ですが、少なくともそこに通じるドアを、初めて目にすることはできたと思います」

ファインマンの悩み

フィゲイレドが新たな魔法を見つけ出す必要があると初めて感じたのは、パンデミックが収束に近づいたころのことだ。彼女は、50年以上も物理学者たちを悩ませてきたある課題に取り組んでいた。量子粒子が衝突したら何が起こるか、それを予測するという課題だ。1940年代後半、戦後期を代表するもっとも才能ある科学者たちのうちの3人──ジュリアン・シュウィンガー、朝永振一郎、リチャード・ファインマン──は、この荷電粒子に関する問題を解こうと、何年にもわたって努力を続けていた。この試みが最終的に成功すれば、ノーベル賞はまず間違いない。ファインマンの構想が最も視覚的に訴えるものだったため、物理学者たちはみな量子世界について考えるときに、ファインマンの構想を参考にするようになった。

ふたつの量子粒子が出合うと、どんなことでも起こりうる。ふたつは合体してひとつになるかもしれないし、分裂して多数になったり、消滅してしまったり、あるいはそれらが連続して起こるかもしれない。そして実際に起こるのは、ある意味、そういった可能性と他の多くの可能性を組み合わせたものだ。

ファインマン・ダイアグラムは、粒子が時空のなかを動く軌跡を表す線をつなぎあわせることにより、起こる可能性のある事象の跡をたどる。どのダイアグラムも、亜原子粒子が起こす一連の現象の可能性のひとつを表したものであり、その一連の現象が起こる確率を表す「振幅」と呼ばれる数字を求める方程式を示す。十分な振幅を積み上げていけば、それは石になり、建物になり、木になり、人にもなると物理学者たちは考えている。「世界中のあらゆるものの大部分が、そうやって何度も繰り返し起こる現象によってできています」とアルカニ=ハメドは言う。「昔からあるさまざまなもの同士は、すべてお互いにぶつかって弾き合っているのです」

「重力がかかわってくるというヒントがますます増えている」──ニーマ・アルカニ=ハメド/高等研究所

これらの振幅には、不可解な緊張感がつきまとう──これはファインマンとシュウィンガーをはじめとする量子物理学者たちを、数世代にもわたって悩ませてきた問題だ。何時間もかけて黒板に複雑怪奇な粒子軌跡を描いては、おそろしく面倒な公式を評価した挙句、結局どちらの項も相殺されて複雑な式は消滅し、その結果最後に残るのはごくごくシンプルな答えなのだ──古典的な例で言えば、その答えは文字どおり「数字の1」なのである。

「必要とされる努力の量は途方もないものです」とブールジェリーは言う。「そして毎回必ず、導き出される予測はそのあまりのシンプルさでわたしたちをあざ笑うのです」

この奇妙な状況と格闘していたフィゲイレドは、ある日アルカニ=ハメドの講演会に出席する。アルカニ=ハメドはプリンストン高等研究所を代表する理論物理学者で、ファインマン・ダイアグラムを使わずに答えを導き出す新たな方法を探して、長年にわたり研究を続けている人物だった。フィゲレイドはYouTubeで彼が発表している一連の講義にたどりつき、興味をもった。その講義のなかでアルカニ=ハメドは──いくつかの特殊なケースにおいては──粒子が空間内でどのように動いたかを気にすることなしに、粒子衝突が生み出す結果の振幅を一足飛びに求めることができる、と明かしていた。

Illustration: Señor Salme for Quanta Magazine

この基本的な論理要件を満たすリバースエンジニアリング的解答を伴うアルカニ=ハメドのショートカット理論の話を聞いて、代替的手段が存在するのではないかというフィゲイレドの疑いは確信に変わった。「こういった非常にシンプルな手段を求めることで、望む答えが手に入るかもしれないのです。それはまさに画期的な発見でした」と彼女は言う。

フィゲイレドは定期的にプリンストンのキャンパスから高等研究所まで30分の道のりを歩いて通い、アルカニ=ハメドの研究に参加するようになった。彼はダイエットコークをがぶ飲みしながら尽きせぬ熱意で物理を語る、生まれついての物理学の申し子だ。

アルカニ=ハメドとその共同研究者たちは、1700年代後期に物理学界を揺るがしたような、思考上の大転換を起こそうと目論んでいる。ジョゼフ=ルイ・ラグランジュはいかなる自然の力や法則も発見したわけでもないが、物理学者なら誰でもその名を知っている。彼は、アイザック・ニュートンのようなやり方で作用とそれに等しい反作用を苦労して計算せずとも、未来を予測できるかもしれないことを示してみせた。従来の方法の代わりにラグランジュは、物体がたどるさまざまな径路に要するエネルギーを比較し、そのなかで最もエネルギーが少ない経路を確認することで、ある物体がどのような経路をたどるかを予測しようとしたのだ。ラグランジュの方法は、当時は単に数学的な便宜にすぎないと考えられていたが、宇宙を倒れていくドミノの駒の連続とみるニュートンの機械的な見方が物理学に課した縛りを緩めたと言える。それから2世紀が経った後、ラグランジュの考え方はファインマンに、量子力学の根本的なランダム性に対応可能な、より柔軟な枠組みをもたらしたのだった。

量子力学を再構築する

いまでは多くの振幅研究者たちが、量子物理学の再構築が、次なる物理学革命──すなわち量子重力と時空の起源に関する理論──への基礎を固めてくれることを期待している。

プリンストン高等研究所のニーマ・アルカニ=ハメドは、10年以上にわたり、空間や時間、量子力学に直接言及することなしに量子物理学を説明する新たな数学的言語を開発しようと研究を続けている。

Photograph: Maximilien Brice/Julien Marius Ordan

小規模な革命は、すでにいくつか起きている。そのひとつは、00年代半ばにルース・ブリットフレディ・カチャゾ、ボー・フェン、エドワード・ウィッテンらが発見した「再帰関係」だ。この方程式(漸化式)のおかげで、物理学者たちはファインマン・ダイアグラムの数百ページ分の内容をわずか数行に凝縮することができるようになった。

それとほぼ同じころ、アルカニ=ハメドも粒子物理学にかんする新たな概念上の視点を探す研究に加わった。いくつかの思考実験の末、時空が真に十分な根拠をもつ物理的概念であるとは言えないのではないか、という疑念を抱くようになったためである。彼とトルンカがアンプリチューへドロンを発見したのは、その数年後のことだった。

アンプリチューヘドロンは、相互作用にかかわる粒子の数と方向を符号化した、曲線的な形状をもつ幾何学定子的構造だ。その体積は、その相互作用の振幅を表す。この体積は、その相互作用が発生するさまざまな経路を示すすべてのファインマン・ダイアグラムの振幅の総計に等しいが、このAケースでは、それらの時空の力学をまったく考慮せずに答えが算出できる。この計算に必要なのは、相互作用の前と後に存在する粒子の運動量のリストだけだ。

「わたしたちには、何らかの魔法のようなものを見つけ出す必要がありました。おそらく、これがそうなのではないでしょうか」──ジェイコブ・ブールジェリー/ペンシルベニア州立大学

「どのような散乱が起こったとしても、それは実在する構造に制御されています」と、ペンシルべニア大学で量子重力を研究する物理学者、ヴィジェイ・バラスブラマニアンは言う。「時空のことを気にかける必要はありません」

この驚くべき発見のせいで、新たな人々がこの研究に参入し始めた。だがアンプリチューヘドロンは、エキゾチックなパートナー粒子があってこそ成り立つ粒子理論、すなわち超対称性と呼ばれる単純化されたバランスを前提とした理論でしか通用しなかった(一般的には、ひとつの量子「理論」は、ひとつの特定の粒子群のために設定された特定のルールを記述するものだ。したがって量子理論は無数にあり、実在する粒子を説明する理論もあれば、仮想上の粒子を説明する理論もあるわけだ)。

「ひょっとして、いま目にしている驚くべき現象は、現実世界とは何のかかわりもないのかもしれない、と少し疑わしい気持ちになります」と、のちに研究グループに加わることになる物理学者のジュリオ・サルヴァトーリは言っている。

第二の形状「アソシアヘドロン」

現在プリンストン高等研究所およびマックス・プランク物理学研究所で物理学を研究しているジュリオ・サルヴァトーリは、量子予測を立てるのに現行の方法よりはるかに効率的な方法であるサーフェシオロジーの開発に力を貸した。

Photograph: Credit: Viktoria Vasilenko

その後数年の間に、アルカニ=ハメドのチームは、同様の機能をもつ第二の形状「アソシアへドロン」を確認した。その側面は平らで、その体積は、研究がしやすい単純化された量子理論において粒子に対する散乱振幅を決定する。この理論における粒子は「色荷(カラー)」と呼ばれるタイプの電荷を帯びており、これは現実世界の原子核内にあるクォークやグルーオンが帯びている電荷と同じものである(この電荷は実際の色とは何の関係もないが、電荷が結びついて色のない複合粒子をつくり出す方法の数学的操作が、赤と緑と青の光が合わさって白をつくり出す仕組みに似ていることから、「色荷」と名づけられた)。

この理論の粒子には、超対称のパートナーとなる粒子が存在しない。このため、アソシアへドロンは現実世界への大きな一歩を示すことになったと言える。だが、この形状は亜原子粒子現象のごくごく短い連鎖の振幅を生み出しただけで、そこからはほんの部分的な答えしか得られなかった。

画期的な発見がすぐそこまで近づいていると感じたアルカニ=ハメドは、オックスフォード大学で若い物理学者のサルヴァトーリとハドレイ・フロストをスカウトした。このふたりは数学者のピエール=ギー・プラモンドンおよびヒュー・トーマスとともに、アソシアへドロンの奇妙な形に対する理解を進めようと独立して研究を進めていた。19年、彼らはこれらの振幅すべてに通じる幾何学的経路を探し始めた。

その直後にパンデミックが発生した。チームはわたしたちの存在する時空を離れ、Zoomというデジタル空間のなかで仕事を始めた。その2年後、彼らは量子物理学を説明する第二の革命的方法を携えて、再び世間に姿を現すことになる。

表面上の曲線

彼らは、たいていの場合は多数の枝分かれと結合を繰り返すような、もっと複雑な時空の経路から生じる振幅を発生させるにはどうすればいいか、という課題に取り組んでいた。このような場合、アソシアへドロンの量を計算する方法はまだはっきりとわかってはいなかった。

「その根底にある深遠な原理が何なのか、わたしたちははっきりと説明することができませんでした」とフロストは言う。

アルカニ=ハメドは、背景に90年代のTVドラマ「ツイン・ピークス」を流しながら仕事をするのが常だった。彼はこのドラマの謎めいた雰囲気をことのほか気に入っていて、数カ月にわたり何十回も繰り返し流しながら、さまざまな形状やダイアグラムをいじって過ごした。「あのドラマでは、あらゆる種類の狂気じみた登場人物たちが、実に奇妙な謎を解こうと必死になる。わたしも同じことをしていたのです」と、ある日の午後、彼はZoom越しにわたしに語った。その背景には、デジタルで作成されたブラック・ロッジの赤いカーテンが垂れ下がっていた。ブラック・ロッジは、「ツイン・ピークス」ユニバースのなかにありながら時空の外にある場所だ。

何度も行き止まりにぶち当たった後、研究者たちは一歩下がって考えてみることにした。彼らはすでに理解が進んでいる、より単純な相互作用現象に立ち戻ったのだ。そこでは、振幅は形状の体積から導き出されることがわかっていた。その形状は多項式──高校の数学で学ぶ複数の項の合計を表す方程式──によって定義されることがわかった。しかし彼らが気づいたのは、これらの多項式が、表面でねじれたり曲がったりしているカーブに対応しているという点で、特別の多項式だということだ。こうして、彼らはサーフェスオロジーという新たな手法の核心となる「表面」に偶然出くわしたのだった。彼らはこの新たな手法を使って、粒子の衝突を予測してみることにした。

サーフェスオロジー ──新たな予測ツール 粒子物理学はさまざまな現象の振幅──基本的にはそれが起こる確率──を予測し計測する学問である。ふたつの粒子が衝突し合って3つの粒子を生み出す振幅を予測するために、物理学者たちは通常この過程が時空のなかで発生しうるあらゆる方法を図式化する。これがファインマン・ダイアグラムとして知られる図式だ。サーフェスオロジーは、このダイアグラムをさらに効率的に表す新たな方法である。

Illustration: Mark Belan for Quanta Magazine

その予測の仕組みは次のとおりだ。例えば、ふたつの粒子が衝突し、その残骸から3つの粒子が生まれる確率を計算する必要があるとする。まず、任意のファインマン・ダイアグラム──どの図でもよい──を用いて、この5個の粒子がかかわる相互作用を表す。その図には、ふたつの入ってくる粒子と、3つの出ていく粒子の軌道が描かれる。次にその軌道の線を太くして表面を形成し、その表面に曲線を描きすべての接合点を調べる。この時点で、計算は時空を離れ、もう粒子が軌道にしたがって動いたり衝突したりすることについては考えなくなる。その代わりに、曲線──表面の構造を記録するもの──が主要な動作主体となる。

各曲線は、一連の左折または右折の連続として描かれる。この連続をより小さなつながりへと分解するさまざまな方法のすべてを列挙することにより、ひとつの数学的表現が生成される──これが特別な多項式のひとつである。この多項式をすべての曲線に適用し、さらにいくつかの実験データを用いることで、5つの粒子の相互作用の振幅を計算することが可能になる。一般人にとっては、この説明でもかなり複雑すぎるように思える。だが量子物理学者にとっては簡単な計算だ。

「これは小学5年生にも教えることができるような方程式です」とスプラドリンは言う。「曲線の集合を見て、それらがお互いの周りを回るにつれてどう交差するかを数えることができるのです」

研究者たちは、この手順があらゆる振幅に対して有効であることに気づいた。それは、彼らがこれまで解析するのにおおいに苦しめられてきた、長く複雑な現象についても効力を発揮したのだ。より複雑な相互作用を引き起こす、分裂と合体を繰り返す粒子たちは、この手法では曲線が周回する穴のあいた表面の形で表現されるが、基本的な計算手順に変わりはない。彼らはまた、曲線がアソシアへドロンで言う表面に等しいことにも気付き、アソシアへドロンとサーフェスオロジーは同じ数学のふたつの鏡映であるという結論に達したのだった。

ただ、サーフェスオロジーの秘密のポイントは、表面に現れた蛇のようにのたくる曲線のそれぞれが、無尽蔵のファインマン・ダイアグラムに置き換え可能だということだ。スプラドリンはそれを、10進法になぞらえて説明してくれた。例えば7,312という数字は、たった4つの数字で表すことができるのに、ひとつずつチェックマークをつけるなら数千個のチェックマークが必要になる。サーフェスオロジーは振幅を表すのに、10進法の数字を使うのと同じような手法を使う。つまり、粒子間の相互作用を、より抽象的で神秘的ではあるがはるかに効率的な方法で表すのだ。「それは言わば『古物理学』とでもいうようなものです」とフロストは言う。「ですが、そこからこのすべての考え方が生まれるのです」

サーフェスオロジーの力

衝突する粒子の数が多ければ多いほど、曲線は効率性が高くなることを示す。

23年9月、チームはこの発見を総計108ページにおよぶ2本プレプリント論文[編注:査読前の論文]として発表した。こうして、この新たな発見は現実世界に向かって大きな一歩を踏み出した。だが、まだ完全に目的地に到達したとは言えなかった。彼らが取り組んでいた色荷をもつ粒子の単純化された量子理論には、現実の粒子を説明するには欠けている要素があったのだ。

フィゲイレドがチームに加わったのは、そのころだった。自分にはその隙間を埋める手助けができるかもしれない、と彼女は考えた。

隠れた「ゼロ」

アルカニ=ハメドの幾何学理論に最初に当てはまったのが、ふたつの量子理論──超対称性理論と「トレース・ファイ・キューブ/Tr(ϕ3)」と呼ばれる理論──であったことは、偶然ではない。どちらの理論も、必要最小限の振幅を備えている。その振幅は分子が分母の上に乗った分数の形をとる。そしてこれらのふたつの理論においては、すべての変数──粒子の運動量のような特性──は分母のほうになる。

振幅の研究者たちは、この分母に非常にこだわる。というのも、衝突を正しく起こすことができれば、分母の値は非常に小さくなり、分数全体の値(振幅)は非常に大きくなるからだ。振幅が大きいということは、亜原子粒子の相互作用現象の起こる可能性が非常に高くなるということを意味する。それは、粒子検出器をクリスマスツリーのように光らせる現象で、こういった事象は特異点(シンギュラリティ)と呼ばれ、量子理論を指紋のように識別するはたらきをする(ちなみにここで言うシンギュラリティは、ブラックホールの中心にあると考えられているシンギュラリティとは関係がない)。そもそもこのシンギュラリティが、アルカニ=ハメドをアンプリチューへドロンとアソシアへドロンへと導いたのだった。

「これは小学5年生にも教えることができるような方程式です」──マーカス・スプラドリン/ブラウン大学

だが、この世界にある現実の粒子を説明する量子理論は、分子のほうにも変数をおく。例えば電子のような粒子は、スピンと呼ばれる一種の固有角運動量をもっており、スピンの効果を捕獲する項は分子側に入る。

フィゲイレドは、より現実的な粒子間の相互作用を幾何学的に実証する証拠を見つけるカギになるのは、分子だと考えた。そこで彼女は、分数の分母ではなく分子のほうが非常に小さくなるような衝突を探し始めた。こういった振幅の全体の値は、限りなくゼロに近づくため、基本的にこの値が示すのは、起こる可能性が非常に低い禁じられた衝突であるということになる。

このような「ゼロ」は、シンギュラリティよりもとらえがたい。それはファインマン・ダイアグラムではほとんど見ることができず、(定義上)実験で観測することはほぼ不可能に近い。しかしフィゲイレドはアルカニ=ハメドのチームから、トレース・ファイ・キューブの振幅をアソシアへドロンの量として再計算する方法を学んでいた。そこで彼女は、入ってくる粒子と出ていく粒子を微調整し、形状が平らになって体積がゼロになる衝突を探した。

フィゲイレドの偶然の発見は、3つの異なる量子理論をひとつの新たな数学的包括理論のもとに統一する助けになった。

Photograph: Andrea Kane/Institute for Advanced Study

そこから彼女は、トレース・ファイ・キューブがゼロになる状態へとたどりついた。そして、ふとした思いつきでほかの理論をチェックしてみることにした。彼女は同じ衝突を、パイオン(パイ中間子)を使って調べてみた。パイオンとは、異なる規則にしたがって働く現実上の粒子だ。パイオンに対する幾何学理論はいまのところひとつも知られていないので、彼女はファインマン・ダイアグラムを使って振幅を苦労してつくり出すという手段に訴えなければならなかった。だがその結果は特筆すべきものだった。パイオン理論もまた、まったく同じ衝突を無効化したのだ。

粒子物理学のコミュニティにとって、フィゲレイドの「計略説」は衝撃だった。23年、ある会議でアルカニ=ハメドがその結果を思わせぶりに発表したとき、聴衆のひとりだったブールジェリーは、ほかの物理学者たちが頭をかきながら、パイオンがあんなに単純な粒子と同じような働きをすることがありうるのだろうか、と囁き合っていたのを覚えている。ブールジェリーは早速、14個の粒子の関わる衝突について、計略説が当てはまるかどうか確かめてみた。それが当てはまることがわかったとき、彼はこの新たな仕組みを使えば、最近発表されたばかりの予測がごくわずかな計算に単純化できてしまうと気づいて驚きを禁じえなかった。

「苦労した末にやっと得られた結果がまるでタダで手に入ったようなものです」とブールジェリーは言う。彼はアルカニ=ハメドのもとで博士課程を取得した研究者だ。「どうしてそんなことが起こりうるのか、まったくわかりませんでした」

「どのような散乱が起こったとしても、それは実在する構造に制御されています。時空のことを気にかける必要はありません」──ヴィジェイ・バラスブラマニアン/ペンシルベニア大学

計略は続いた。この共通性がヤン=ミルズ理論でも確認されたのだ。ヤン=ミルズ理論はグルーオンを説明する理論だ。こうして3つのまったく異なる理論(トレース・ファイ・キューブ理論、パイオン理論、ヤン=ミルズ理論)のように見えていたものが、すべて共通の「ゼロ」を有していたことが明らかになった。「これを合理的に説明できる理論は当時ひとつもありませんでした」とフィゲイレドは言う。

さらに探究を進めた結果、理由が解明された。トレース・ファイ・キューブ理論の曲線が振幅の方程式を与える。この方程式に現れたゼロが、方程式そのものを非常に厳格なものにする。だが、フィゲイレドとチームの研究者たちは、ゼロを保持したまま調整できるのは方程式のなかのあるひとつの部分だけだということを発見した。その部分にある調整をするとパイオン理論になり、別の調整をするとグルーオン理論になる。彼女たちは3つの理論がすべて表面上の曲線から同じ方法で生じるものだと明らかにしたのだ。フィゲイレドとアルカニ=ハメドは、共同研究者のクー・カオ、ジン・ドン、ソン・へとともに発見した内容を、23年の冬ネット上発表した

「わたしたちは、これまで知らなかった現実世界における過程を学びつつあります。例えばファイ・キューブ粒子やパイオン、グルーオンが非常に密接に関係しているということさえ知らなかったのですから」とアルカニ=ハメドは言う。

ねじれと転回

ほかの研究グループでも、研究内容は進歩を続けている。

当初、サーフェスオロジーの仕組みは、ボソン粒子(整数値のスピンをもつ粒子)間の衝突のみに適用していた。しかし、われわれの現実世界をつくりあげている電子などの物質粒子の多くはフェルミオンであり、そのスピンは半整数値である。スプラドリン、アナスタシア・ヴォロヴィッチ、マルコス・スコウロネク率いるブラウン大学のチームは、サーフェスオロジーの対象を新たな粒子にまで拡げることにより、進展をみた。このチームは、特定のトイ・フェルミオン[編注:実在する粒子フェルミオンに対し、研究のための仮想的な粒子]を包含しうる曲線に対する、新たな一連のルールを考案した。

ブラウン大学の研究者アナスタシア・ヴォロヴィッチ、マルコス・スコウロネク、マーカス・スプラドリンは、サーフェスオロジーの対象を新たな粒子の仲間へと拡げた。

Photographs: Courtesy of Anastasia Volovich/LORES

23年12月のある会議で、当時カリフォルニア大学デービス校にいた物理学者シュルティ・パランジャピは、「隠された」ゼロを共通してもつ量子理論がリストアップされたスライドを見て、あるひらめきを得た。それらの理論はすべて、ある理論の振幅のうちふたつのコピーを組み合わせると、別の理論の振幅ひとつをつくり出すことができるという性質をもっていたのだ──この少しばかり神秘的な手順は、二重複写として知られている。彼女とその共同研究者たちは、もしある理論を二重複写できるとしたら、その理論はフィゲイレドが発見したゼロを含んでいるはずだということを示してみせた。これは、さらに多くの理論をこの幾何学的構造の枠のなかに組み入れることができるかもしれない、という可能性を示すもうひとつの例だ。

もともとのサーフェスオロジーのグループは、その曲線からは単に色荷をもつ粒子の振幅以上のことがわかるという前提に従っている。

その典型的な手順は、お互いに交わらない曲線のみを描くことだ。だがそこに自ら交差する曲線があると、研究者たちはおかしな振幅が出現したことに気づく。この振幅は粒子間の衝突を描写するものではなく、弦(ひも)として知られるより長い物体同士の間のもつれた相互作用を描写しているものだと言える。したがって、サーフェスオロジーは弦理論に通じる別ルートにもなりそうだ。弦理論とは、量子粒子は振動するエネルギーの弦でできていると仮定する、量子重力理論の一候補である。「サーフェスオロジーは、われわれの知る限り、弦理論を含みながら、さらに多くのことができる可能性を秘めています」とアルカニ=ハメドは言う。

カリフォルニア大学デービス校のポスドクだったシュルティ・パランジャピは、サーフェスオロジーによって明らかになった粒子行動のあるパターンを、謎めいた「二重複写」現象に結びつけた。

Photograph: Ashish Kakkar

さらにサーフェスオロジーは、重力を伝える粒子と考えられる重力子の存在を示す可能性がある。それぞれの曲線がどの程度トレース・ファイ・キューブの振幅から生じるものなのかを解析するうちに、研究グループは、最終解答を変えることはないが避けることのできないカーブに遭遇した。表面に穴があると、これらのカーブは永遠に穴を避けて周囲を回り続け、決して穴の中に進入することはない。時空的観点から見た場合、これらの曲線はトレース・ファイ・キューブ理論の範囲を超えたところにある現象を表している。すなわち、研究者たちが最終的に重力子のことだと考える、色荷をもたない粒子を示すと思われるのだ。

これは、量子重力理論に対する新たな理論の枠組みをつくるというアルカニ=ハメドの目指す究極の野望に、大きく近づく一歩となるはずだ。

「いまのところ、重力に関する事象を完璧に説明できるまでには至っていません」とアルカニ=ハメドは言う。「しかし、重力がかかわっているという証拠は、これからどんどん増えていくと思います」

新しい時代の物理学

量子重力理論において注目すべき点は、重力子だけではない。重力子とは、時空のなかの最も緩やかな波紋(リップル)を表すものにすぎない。完全な理論なら、星が崩壊してブラックホールを形成し、時空の構造を歪め忘却の彼方へと葬り去るときにいったい何が起きるのかといった、壮大な事象を説明できなければならない。また、ビッグバンの際に時空がどのようにして生まれたのかも説明できなければならない。[摂動論に基づく計算方法である]ファインマン・ダイアグラムは、量子場のほんのわずかな波紋のみをとらえたものであり、それ以上のものではありえない。したがって、物理学者たちが「非摂動的」理論と呼ぶ完全な理論は、これらの研究者たちが探究している幾何学的古典物理学の範疇を超えたところにあるのかもしれない。

「この理論がどのようにして時空を構築するのかまで説明できるとはとても思えない」とマサチューセッツ工科大学の理論物理学者、ダニエル・ハーロウは言う。「わたしの意見を言わせてもらえば、量子重力のほぼすべては、非摂動的なものです」

ハーロウは、もうひとつの主要な研究対象であるホログラフィー研究を進めている。これは、ブラックホールの内部を含む時空のすべてを全体としてとらえることを目指すもので、時空をひとつ下の次元のなかを動き回る量子粒子のホログラムとして扱うという手法をとる。

Illustration: Señor Salme for Quanta Magazine

ファインマン・ダイアグラムを超える時空の相に目をつむることは、自分の研究手法の最大の弱点であることを、アルカニ=ハメドは認めている。だが彼は本能的に、時空を生み出す源である自然のより深い数学的な描写は、ある意味、それがたとえほんのわずかな波紋をとらえただけであっても、物理学のすべてに影響を及ぼすものになるはずだと感じている。「それはあらゆる場所に何らかの残響のようなものを残すはずです。それがビッグバンのときにのみ影響をもたらした、などということはありえないと思います」

彼としては、ホログラフィーでさえも根本的な解決にはならないと感じている。ホログラフィーではひとつの空間次元を生み出せるが、量子理論の基本的な構成要素(空間、局所性、時間を刻む時計といったもの)は最初からそこに存在している。アルカニ=ハメドは、そういった要素はもっと原初的なものからすべて一緒に出現するはずだと感じている──サーフェスオロジーの場合と同じように。

この探究の旅の目指す目標は遠く、まだまだつまずきはあるるだろう、と彼は認めている。だが、これまでに進んできた道のりで得たものに励まされつつ、彼と共同研究者、同僚たちは果敢に前進を続けている。彼はその試みを、噂に聞いた城を探し求めてジャングルを進む探検の旅になぞらえる。その途上で、探検者たちはふたつの大理石の石像に遭遇した──それがアンプリチューへドロンとサーフェスオロジーだ。ならば、探し求める城そのものが存在しない、などということがあるだろうか?

「わたしにとって、そのふたつの理論は両方とも、いまのところまだ目にすることは叶っていないものの、いまあるものよりはるかに完璧なものの一部なのです」とアルカニ=ハメドは言う。

※本記事は、サイモンズ財団が運営する『Quanta Magazine』(編集については同財団から独立)から許可を得て、転載されたオリジナルストーリーである。同財団は、数学および物理・生命科学の研究開発と動向を取り上げることによって、科学に対する一般の理解を深めることを使命としている。

(Originally published on Quanta Magazine, translated by Terumi Kato/LIBER, edited by Nobuko Igari)

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