「経済成長で中国は民主化される」クリントン元大統領の“希望的観測”が外れたワケ(ダイヤモンド・オンライン)
冷戦終結後、アメリカでは「経済成長が進めば中国は民主化する」という見方が政界や経済界で広く共有されていた。ビル・クリントン政権も自由貿易の拡大こそが中国を変えると信じ、対中政策を推し進める。しかし、その期待は現実とは大きく異なり、後にクリントン自身も誤算だったことを認める。本稿では、当時の米中交渉を振り返りながら、アメリカが中国の将来を見誤った背景を読み解く。※本稿は、デイヴィッド・J・リンチ著、寺尾時彦訳『グローバリゼーションは失敗だったのか 上』(原書房)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 「中国はある程度民主化する」 読み間違えていたアメリカの認識 経済発展と政治的自由の関連は、一部の人々にとってはイデオロギー的な信念の問題だった。 2000年、ユタ州選出の保守的なオリン・ハッチ共和党上院議員は、オーストリアの経済学者フリードリヒ・ハイエクとアメリカのマネタリストであるミルトン・フリードマンを引用し、中国共産主義の寿命は尽きつつあると主張した。「資本主義、個人の自由の拡大なしには存在できない」とハッチは述べた。「そして個人の自由の拡張は、独裁的な統制と相容れない。[中略]資本主義は共産主義の力を奪うのだ」 この確信の根拠は何だろう?経験と傲慢さだ。中国論争が起きたのは、アメリカが唯一の「超大国」として世界の決定的な支配権を握り、インターネットによる好景気でますます豊かになった時期だった。初秋のその日に上院の議場にいた議員たちは、ベルリンの壁の崩壊、ソ連の終焉、そして民主主義がおそらく7億人に浸透したさまを目のあたりにしていた。多くの者は、政治学者フランシス・フクヤマが「歴史の終わり」と呼んだ時代、西洋的自由民主主義と自由市場資本主義の恒久的な勝利の時代に生きていると信じていた。
この視点からすれば、ほどなく中国がある程度まで民主化することは、すでに世界で起きている出来事と比べてもあり得ないことではなかった。 中国にアメリカとの通常の貿易関係を認め、アメリカ市場へのアクセスについて1年ごとの形式審査を廃止する法案は、民主党のビル・クリントン大統領によって議会を通過した。しかし、のちに共和党から大統領になる政治家も同様に積極的だった。 「貿易の意義は、経済だけではなく、人々の心理面にも影響を与える。経済的自由は自由を尊重する精神を生み、自由を尊重する精神は民主主義への期待を生む」とテキサス州知事ジョージ・W・ブッシュは大統領選の選挙活動で語った。11日間の審議を経たのち、中国貿易法案は83票の賛成で上院を通過した。 ● 「自由貿易が共産主義を覆す」 楽観論が招いた米中関係の亀裂 中国に対するクリントンの認識が改まるのには時間がかかった。1992年の選挙戦でブッシュが天安門広場の民主化運動を弾圧した中国指導者らに「使者を送り乾杯を交わした」ような、「独裁者を甘やかす」態度は決して取らないと約束していた。 しかし実際のクリントンの姿勢は、人権の尊重を条件に貿易特権を与えることを意味していた。アメリカ市場の規模を考えれば、商業的利益をちらつかせることで中国に反体制派への扱いを改善させられるとクリントンは信じていた。「彼は、アメリカの国力をもってすれば、中国に圧力をかけて人権問題などの政策転換を迫れるだろうと考えていた。それはかなりの無知を露呈していると、当時の私には思えた」と、のちにクリントンの国家安全保障会議スタッフに加わった中国の専門家ケネス・リーバーソールは語った。 のちの大統領たちも同様だが、クリントンは中国指導部が内政問題と見なす領域の権限についてはかたくなに守ることを思い知らされた。いかなる中国指導者も、人権問題で外国の圧力に屈する姿を見せられないのだ。 中国政府との度重なる無益な対立を経て、クリントンはついに自らの誤りを認め、1994年5月に正式な交渉を放棄した。以降、議会は毎年、中国製品に対してルーチンで貿易特権を承認するようになった。中国政府は1発の銃弾も撃つことなく重要な戦いに勝利したのである。