文系だったロボットクリエイター、就職氷河期で京大工学部に入り直してロボット作りを志す…高橋智隆
幼い頃から物作りに夢中になり、ロボット科学者になる夢を抱いたロボットクリエイターの高橋智隆さん(50)。ただ、中高生から大学生時代は、そんな夢などそっちのけで、魚釣りやスキーに 没頭(ぼっとう) していたという。(読売中高生新聞編集室 斉藤新)
大学進学、選んだのは文系
「中学を卒業して、高校へ進んだ頃は、毎日釣りばかりしていました。やがて、冬にはモーグルスキーに熱中するようになりました。大学に入ってからは、冬の間はずっとスキー場で住み込みのアルバイトをしながら、毎日 滑(すべ) るという生活でした。一方で、引き続き物作りは好きで、スキーのトレーニング装置を作ることに夢中になっていましたね。
ロボカップ世界大会に出場し優勝した高橋さん=高橋智隆さん提供大学へは付属校から内部進学したのですが、選んだのは理系ではなく、文系の学部でした。入学後の具体的な目標が定まっていなくて、『なんとなくつぶしがききそうだから』という理由で進路を決めました。大学を卒業した後は、普通に就職をして、あくまでも趣味として物作りやスキー、釣りを続けるんだろうなと漠然と考えていました。
大学3年生が終わった後、1年間休学して、オーストラリアとアメリカに留学しました。就職したらもうできないだろうと思い、語学の勉強という建前で海外を 放浪(ほうろう) してみることにしたのです。半分は英語の授業、半分は釣りやスキーをし、あっという間に楽しい1年が過ぎました」
大学への入り直しを決意して
ロボット科学者になる夢が再び 募(つの) り始めたのは、苦労した就職活動がきっかけだった。
「ところが、日本の大学に戻って就職活動を始める頃は、いわゆる『バブル経済』の崩壊後で、証券会社や銀行の経営 破綻(はたん) が相次いでいました。不景気で企業が新卒採用を減らし、『就職氷河期』と呼ばれた時代です。内定を取り消される先輩たちの姿を目の当たりにして、将来について真剣に考えるようになりました。やはり、物作りにかかわる仕事をしたいと考え、好きだった釣り具やスキー用具などを手がける企業の入社試験を受けました。
面接に自作のリールを持ち込んで、商品の企画や開発の仕事がしたいと訴えました。反応は良かったのですが、最終面接で落ち、そこで初めて工学部に進めばよかったと後悔しました。
そして、不採用の連絡を受けたその日の夜、大学に入り直す決意をしました。就活を通じて、大学のランキングが採用、不採用にどれだけ影響するかも痛感させられていました。どうせなら高い目標に挑もうと、京都大学の工学部へ進みロボット工学を学びたいと考えました」
1年間の猛勉強の末、運も味方につけて京大工学部に合格。ロボット科学者への道を歩み始める。
「高校入学以来ほとんど勉強せず、入学試験なしで最初の大学へ入学したため、どの教科も一から勉強しなくてはいけませんでした。そこで、まずは好きな教科から勉強を始めようと、予備校で数学と物理の授業だけ受講することにしました。好きな順に学び、ある程度できるようになったら、次の教科に手をつけるという変則的な勉強方法で、ようやく模擬試験を受けられるようになったのは、センター試験の直前でした。
アメリカ・ロサンゼルスに留学していた大学生の頃=高橋智隆さん提供その年の京大の入試は、得意だった物理の試験問題が難しくなり、逆に苦手だった化学は簡単で、私には有利な状況でした。運も味方してくれ、1年間の猛勉強でなんとか合格することができました。幼い頃にレゴブロックで遊んだ経験は数学の立体図形問題を解くのに役立ちました。
京大へ入り、2度目の大学生活が始まった頃には、ソニーから家庭用ロボットの『AIBO』が発売されるなど、ロボットブームが来ていました。また、1年生の頃には専門科目がなく、少し余裕もできたので、独学で二足歩行ロボットを作ろうと、自宅でプラモデルを改造し始めました」
(次は「ロボットで世界に挑む」編)