『あんぱん』98話、嵩にミュージカルの仕事が舞い込む 史実だとやなせたかしは「戦後すぐ」に劇を作っていた
『あんぱん』98話では、嵩のもとにミュージカルの仕事がやってきます。史実だと、モデルのやなせたかしさんは、兵隊時代にすでに「劇」を作っていました。
2025年前期のNHK連続テレビ小説『あんぱん』の98話では、作曲家「いせたくや(演:大森元貴)」が、「六原永輔(演:藤堂日向)」を連れて「柳井嵩(演:北村匠海)」の家を訪れ、夜間学校に通う高校生たちを描いた青春ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』の舞台美術の仕事を依頼することが予告されています。
嵩のモデルで『アンパンマン』の作者であるやなせたかしさんは、1960年のある日、いきなり家にやってきた永六輔さん(六原のモデル)から『見上げてごらん夜の星を』の舞台美術、舞台装置の担当を頼まれました。やなせさんは「舞台装置なんてまったく未経験」「学生時代から立体は不得手で自信皆無」(著書『人生なんて夢だけど』より引用)で戸惑ったそうですが、実は正式な仕事ではないものの、「演劇」に関わったことはあったといいます。
戦時中、陸軍小倉連隊の兵士として中国大陸に送られたやなせさんは、終戦間際から1946年1月まで、上海郊外の泗渓鎮(しけいちん)という場所で暮らしました。1945年8月15日の終戦後、小倉連隊はもともと映画監督、小説家、役者、画家といった職業をしていた兵士たちが中心人物となり、文化的な活動が活発になったそうです。デザイナー出身のやなせさんも、歌を作ったり、壁新聞を作ったりと、さまざまな活動をしています。隊には上海での決戦を見越して3年分の食糧が用意されていたため、生活には余裕がありました。
そして、絵画のクラブや俳句、短歌の会などが開かれるなかで、演劇のサークルも作られ、コンクールまで開かれたそうです。やなせさんはコンクールに向けて、大隊本部の下士官だけを集め、脚本、演出、主題歌の作詞(作曲はハーモニカの得意な平川曹長という人物が担当)まで手がけ、「復員兵」がテーマの「嗚呼(ああ)、故郷」という芝居を作ります。とある日本兵が戦後に故郷に戻ってみると、アメリカ軍の占領下で仕事がない男たちが、男娼になっているという物語でした。
隊には意外なほどに芸達者な兵や、裁縫が得意で衣装が作れる兵も多かったようです。キャストのタイプもバラエティーに富んでいたそうで、やなせ先生いわく「エキゾチックな顔」の九州男児の兵にGI帽を被せると、アメリカ兵そのものに見えたといいます。さらに、一番いかつく「鬼みたい」な見た目だった軍曹を、主人公の妻役の「女形」に起用してみたところ、本人もしなを作るなどノリノリで演じ、大うけしたそうです。
コンクールの審査を担当した上官が「どれも素晴らしい内容で甲乙つけがたい」と言ったため、賞はもらえませんでしたが、この劇はやなせさんにとって楽しい思い出になりました。
やなせさんは、2013年に書いた書籍『ぼくは戦争は大きらい ~やなせたかしの平和への思い~』のなかで、「今ぼくは、マンガを描き、詩を書き、歌も歌う、というのが仕事になっていますが、実は兵隊の頃、すでにほとんど同じようなことをしていたわけです。もともとそういうことが好きだったんですね」と語っています。たしかに上記の体験は、漫画家、絵本作家以外に作詞家、舞台演出家、舞台美術家、シナリオライターなどさまざまな分野で活躍したやなせさんの、下地になったといえるでしょう。
『あんぱん』では、嵩が戦後の中国でどのような日々を過ごしたのかは描かれていません。おそらく劇を作った経験もない状態と思われますが、妻の「のぶ(演:今田美桜)」が「たっすいがーはいかん」と背中を押してくれるようです。彼が舞台美術担当としてどんな活躍を見せてくれるのか、楽しみに待ちましょう。
参考書籍:『ぼくは戦争は大きらい ~やなせたかしの平和への思い~』(小学館 著:やなせたかし)、『人生なんて夢だけど』(フレーベル館 著:やなせたかし)、『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文藝春秋 著:梯久美子)、『アンパンマンの遺書』(岩波書店 著:やなせたかし)
(マグミクス編集部)