高2でうつ病を発症、いじめでアイドルを脱退、その後早稲田からUCバークレーに進学、現在NY投資家に。「私を必要とする場は必ずある」【onodelaさん|前編】(HugKum)
ニューヨークで投資家として活動し、1カ月の半分は旅行という自由な生き方を実現しているonodelaさん。早稲田大学、カリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)大学院を卒業し、かつては小野寺ポプコの名でアイドル活動も。そんな華やかな経歴の裏にある、うつ病やいじめを乗り越えた辛い道のりについて、インタビューでお話をうかがいました。 【画像】現在NYで暮らす様子やアイドル時代のonodelaさんのお写真など ——子どもの頃はどんなお子さんでしたか? onodelaさん(以下、onodela):小学生の頃はたくさんの習い事をしていて、友だちと遊ぶ時間が少なかったんです。学校でも一人の時間が多くて、「空気の読めない子」だったかもしれません。友だちに何かを提案すると「えっ?」と驚かれることが多くて、気まずい思いをしたことは結構ありましたね。 普通の人はそんなに「えっ?」と反応されないっていうことに気づいたのは、高校生くらいになってからですね。一人っ子だし、親も仕事で帰宅が遅くて、一人でいる時間が長かった気がします。 ——習い事は楽しかったですか? onodela:最初は全部楽しかったんです。でも、親から「やるんだったら、コンテストに出なきゃ」とか「賞を取らなきゃ」と言われ始めて、時間が経つにつれて苦痛になっていきました。水泳、ピアノ、書道、テニスなどいろいろやったのですが、最後まで楽しくできたのは高校生のときに始めたドラムだけ。その頃は親も忙しくて、あれこれ言われなかったのもよかったし、ドラムだけは唯一自分から習いたいと言ったものだったんです。 ただ、今考えると、ほかの習い事も完全に無駄というわけではなかったかもしれません。今いるニューヨークではヨガが流行っているのですが、昔体操を習っていたから柔軟性があってヨガは得意。友だちから教えてほしいと言われることも多く、それをきっかけに仲良くなれることもあって、意外なところで活かせています。
——高校2年生のときにうつ病と診断されたそうですね。 onodela:親からすごく期待されているように感じて、それがプレッシャーになっていました。勉強に対しては、とにかくトップになってほしいっていう感じでした。両親とも子どもの頃あまり経済的に余裕がない環境で苦労しながら育って、努力で今の生活をつかんだということもあって、私にもそうなってほしかったのかもしれないです。 勉強は親に怒られないようにと一生懸命やっていました。でも期待されても、そこまですごい子にはなれなくて。そんなに頑張らなくてもいいよと言ってくれる人もいなかったので、気持ちの出口がないままでした。今となっては自分がどれくらいの人間かもわかるようになったから悩まないんですけど、高校時代は自分を客観視できていなかったのも、うつ病の一因かもしれません。 ■父から良い影響を受けたこともある ——現在のご両親との関係はいかがですか? onodela:本当に普通ですね。友だち親子ではないですけど、喧嘩もしないです。親と当時の話をすると、別にそこまですごい期待をしていたわけではなかったようです。ただ、伝え方が悪かったとは言ってました。 両親はすごく論理的な思考をする人で、あまり感情で動かないタイプなんです。だから私とは性格のタイプが違って、すれ違いもあったのかなと思います。 onodela:それでも今思うと、いいこと言ってくれていたなって思うこともあります。特に父の話には影響も受けています。「いつでも長期的な視点を持って5年後や10年後にどうなるかをずっと考えておくこと」とか、「どのシチュエーションでもいくつかの選択肢を握れるようにしておくこと」とか。 実際にその教えがあったからか、自分の大学院の専攻を選ぶ際にも金融一本にするのではなく、金融業界の衰退の可能性も考えてデータやプログラミングも学べる金融工学にしました。結果的にプログラミングの知識が今のキャリアにとても役に立っています。