なぜがんは私たちをむしばむのか、アクセルとブレーキ、転移と悪液質、気鋭の研究者が語るそのメカニズムの最前線(JBpress)

 (齊藤 康弘:慶應義塾大学政策・メディア研究科特任准教授)  筆者が、がん研究の道を歩み始めたのは北海道大学だ。その後、東京大学での胃がん研究を経て、乳がん研究へと研究分野を変更し、カナダ・トロントのPrincess Margaret Cancer Centre、さらにアメリカ・ボストンのBeth Israel Deaconess Medical Center/ハーバード大学医学部へ留学した。 【図表】がんの死亡率。一貫して右肩あがりで上昇中  そこで偶然にも、乳がん細胞が特定のアミノ酸を巧みに制御し、増殖しているという現象を発見し、日本でも名を聞いたことがある人も多いであろう世界的な学術誌『Nature』にその成果を発表することができた。帰国後は、日本国内で研究費の獲得や共同研究を通じて、がんの解明に挑み続けている。  もう20年近くがんの研究の最前線に立っているわけだが、今なお「がんとは何か?」という本質的な問いには、完全な答えが見えていない。がんという病は、我々が思っている以上に奥深く、そして複雑だと言える。 ■ がんとは、いったい何か?   「がんは遺伝子の異常によって、細胞が際限なく増殖していく病気」とよく言われる。これ自体は正しいのだが、がんの正体はもっと複雑で、深く理解しようとすればするほど謎が増えていく。  また、がんは体内に新たに生まれる未知の生命体のような存在とも言える。このような視点からがんを捉えるのが、「腫瘍生物学」という学問分野だ。がん研究にとどまらず、生物そのもののシステムの理解にもつながる重要な視点である。  本稿では慶應先端研で講義している入門的な話を軸に、その難しさに触れる。

■ がんの始まりは驚くほど静かな“暴走”  「がん」と聞いて、あなたはどれほどのリアリティを感じるだろうか。恐ろしい病気だとは知っていても、どこか自分とは関係のない遠い存在だと思ってはいないだろうか。だが、統計は我々に明確なメッセージを突きつけている。  2023年の厚生労働省の人口動態統計によれば、日本人の死因の第1位は「悪性新生物」、すなわち「がん」だ。いまや、日本人の2人に1人が生涯のうちにがんに罹患し、4〜6人に1人ががんで命を落とす時代となった(図1)。  がんは“誰か”の病気ではなく、私たち一人ひとりに関わる病である。  筆者は大学の講義で、いつも最初に学生たちにこう伝えることにしている。「この教室の半分の人が、統計的には将来がんになる可能性がある」と。すると、それまで他人事だった空気が一変し、学生たちの表情が引き締まる。がんは、もはや特別な病ではなく、日常に潜む現実なのだ。  私たちの体はおよそ60兆個の細胞から成り立っている。その多くは日々分裂と再生を繰り返し、腸の細胞のようにわずか1週間で入れ替わるものもある。一方で、脳や心臓の細胞のようにほとんど分裂しない細胞もある。  この細胞分裂という本来の生命活動の中で、ある日突然、制御を失って増殖を始める細胞が現れる。これが「腫瘍(Tumor)」である。腫瘍には、ゆっくりと成長し命に関わることの少ない良性腫瘍と、周囲の組織を破壊しながら広がる悪性腫瘍=がんがある。  がんとは、私たちの身体の内部で、細胞という基本単位が暴走を始める現象だ。その始まりは、驚くほど静かでありながら、進行は容赦がない。だからこそ、がんについて正しく知ることは、すべての人にとって極めて現実的な備えとなる。

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