「俺は森保を絶対批判しない」 サッカー岡田武史元監督がそう語るワケ

伊達公子さん(右)と握手する岡田武史さん=東京都渋谷区で2025年2月18日、宮武祐希撮影

 岡田武史さんと伊達公子さんの対談の後編は、監督の醍醐味(だいごみ)や「失敗」、教育の話題に及んだ。

前編 「カズからLINEが来た」 岡田武史・元日本代表監督のリーダー論

「もう俺の時代じゃない」

 伊達 監督の醍醐味はなんですか。

 岡田 醍醐味かどうかはわからないけど、はっきり言えることは、選手の時は俺が有名になりたいとか、主語が「I(私)」でいいんだよ。でも監督は俺が成功したいっていうのはだいたい失敗する。ミーティングの言葉を聞いているとわかる。「俺が責任を取る」とか。それ当たり前。監督は「俺がこうなりたい」じゃなく、いいチームを作りたい。いい選手を育てたいというのがメインにこなきゃいけない。そうすると、監督の醍醐味というのは、成功したら選手のおかげだし、やっぱり選手や日本中が喜んでくれていると、やってて良かったと思います。

 伊達 岡田さんの監督としての理想像とか、今の監督で一目置いている人は。

 岡田 これからの時代の監督はやっぱり栗山とか森保みたいになっていく。栗山がコメンテーターをしているときに知り合って、人が良すぎて勝負に勝てないなと思っていた。本当に時代が変わり始めた。もう俺の時代じゃないって感じている。

W杯フランス大会では

 伊達 自分の中で一番の失敗は。

 岡田 それは代表監督を引き受けたこと。2回目の。1回目は仕方ない。(1997年10月のW杯フランス大会アジア最終予選で)俺のボス(加茂周監督)が解任され、俺も一緒に辞めるって言ったら次のウズベキスタン戦は1週間後で監督がいないからって。それで1試合だけやりますって言ったんだ。すごいきつい練習をしたらしいんだけど、「こんなきつい練習して動けなかったら岡田さんのせいだ」と言われて。

 ウズベキスタン戦は(0―1から)最後の最後、ディフェンダーの井原正巳にロングボールを「蹴れ!」って言ったら、(最終的に)トントントンと入った。キーパーが目測を誤って。この時、「え? これで入るの? (W杯に)いけるかもしれない」と思った。

 ロッカールームでは引き分けだからもう終わりだと選手がわんわん泣いていたので、「まだ可能性あるぞ」と声を掛けた。その時、俺はすごいプレッシャーで早く辞めて逃げたかったんだよ。でも選手だけ置いて俺だけ逃げるわけにいかないと思って、加茂さんに電話して「最後までやらせてください」と言った。

 次の試合、ホームでUAE(アラブ首長国連邦)に引き分けて、暴動が起きて大変やった。家に帰って日めくりカレンダーを見たら、「途中にいるから中途半端。底まで落ちたら地に足が着く」って。コンサドーレ札幌の監督をした時も、期待されたのに1年目は5位。その時、サポーターから「朝が来ない夜はない」と1通の手紙が来た。代表監督の時も、元日本代表監督の横山謙三さんから「思うとおりにやればいい」と言われた。監督をしてると、日本中の人に批判されていると感じることがあるけど、その一言でどれだけ救われたか。だから俺は森保を絶対批判しない。いつも大丈夫だと言っている。

 伊達 2回目の監督を引き受けた時の失敗というのは。

 岡田 1回目の時、有名になると思っていないから、自宅の電話番号を電話帳に載せていた。脅迫電話がかかってくるし、家の前は24時間パトカーがいて。家族が大変だった。日本代表監督だったイビチャ・オシムさんが倒れて、連絡受けた時、2回目は断るつもりで家を出た。でも、話を聞いてたら燃えてきちゃって、「(監督を)やります」と言っち…

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