治安が悪化するドイツ:押し出されたのは少女か、それとも法か

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MikeMareen/iStock

8月11日16時ごろ、北ドイツのニーダーザクセン州で、ウクライナからの避難民で、16歳の少女、リアナが、時速100キロで走ってきた貨物列車に轢かれて死亡した。当初、警察は、「悲劇的な重大事故」として片付けたが、2週間以上も経って、リアナは列車の前に無理やり押し出され、殺された可能性があると発表し直した。

容疑者は31歳の不法滞在のイラク人、ムハンマド・Aで、リアナの肩には強い力が加えられた痕跡があり、そこからAのDNAが発見された。ちなみにAの難民申請は、すでに2022年の12月に却下されている(これについては後述)。

この話には、理解に苦しむ点がいくつかある。まず、この事件の直前に、誰かが、「駅で男が暴れている」と通報していたという。そして、警官が現場に駆けつけたら、Aがいた。警察の発表によれば、Aは自分が死体の発見者だとして、落ち着いた態度で警官をホームの現場に案内したという(8月29日付の『ユンゲ・フライハイト』紙によれば、この時、駅には、Aの他に2人の人がいたが、彼らがいつからいたのか、また、この事件と関わりがあるのかは、この記事からはわからない)。

その後、Aは署に同行し、自発的にアルコールテストを受け、結果は1.35‰だった。これは、かなりの量らしい(日本の飲酒検問で法的に許容される飲酒量は0.2‰)。しかし、Aはリアナの死亡に関しては何も知らないと主張。警察側も、容疑不十分としてすぐにAを放免した。

しかし、この後、いろいろな事実が出てきた。例えば、リアナの母親の話では、リアナは毎日、ウクライナの祖父母に電話をかけ、1日の報告をするのが習慣で、亡くなった時、ちょうど祖父と話をしていたという。ところが、この日の通話は、突然、悲鳴となり、それがゴーッという轟音でかき消された。祖父は直ちに異常をリアナの両親に知らせたが、もちろん、その頃、リアナの命はすでになかった。

こうなると、疑問がいろいろ湧いてくる。果たしてこの事件に目撃者はいなかったのか。事件の直前に「男が暴れている」として警察に通報した人は、いったいどこに行ったのか? また、警官が駆けつけた時にいたという2人は?

ただ、その答えを勝手に想像するなら、おそらく他の乗客は暴れているAを尻目に、ちょうど来た電車で去り、ホームにはAだけが残ったのではないか。そこに、リアナが電話をしながらやってきた。Aは何も言わずにリアナに近寄り、肩を掴んで、ちょうど来た貨物列車の前に彼女を押し出した。

ドイツの田舎の駅では、次の電車の到着まで30分ぐらい、駅が無人になってしまうことは珍しくない。警官が到着した時にいた2人というのは、その後にやってきたのかもしれない。いずれにせよ警察の説明は、「駅には防犯カメラがなく、詳細はわからない」。だからこれは、「悲劇的な重大事故」として処理された。

ただ、リアナの両親はこの説明に納得しなかった。駅で何があったのか、そして、イラク人Aがリアナに何をしたのか。しかし、警察に言っても拉致が明かず、キリスト教民主同盟の議員も力にはなってくれなかった。

そこで、母親は、以前住んでいたチューリンゲン州の、AfD(ドイツのための選択肢)の議員の事務所に駆け込んだ。これにより事件の周知と情報集めが始まり、SNS上で、地元の人たちの同情と不信の声が怒涛のように広がっていった。

リアナの一家は、ウクライナ戦争が始まってまもない2022年の6月、マリウポリからドイツに避難してきた。今夏、リアナは学校を卒業し、8月1日から歯科医の助手になるべく勉強を始めたばかりだった。真面目な少女で、イラク人Aと面識はなかったと思われる。

では、一方のAは?

不法滞在と繰り返される犯罪

Aは、2022年8月、リトアニアから空路でドイツに入った後、警察の検問に引っかかり、難民申請をした(リトアニアはEUなので、通常、往来は自由)。しかし、同年12月に申請は却下され、リトアニアに戻るよう命じられた。

EUのダブリン協定では、難民申請は最初に足をつけたEU国でしか行えない決まりとなっている。つまりAが最初にはいったEU国がリトアニアなら、申請はリトアニアで、あるいは、他のEU国が最初の国であるなら、その国で申請しなければならない。

ところが、難民管理局の決定に対してAは異議を唱え、行政裁判所に訴えた。ドイツでは、難民を“合法的”に援助することを生業としているNGOや弁護士事務所がたくさんあり、ドイツに留まるための様々な方策を教えてくれる。

いずれにせよ、一旦、裁判所に訴えると、結果がどうあれ時間が掛かる。その間の滞在ステータスは、合法ではないが、違法でもなく、衣食住やお小遣いはドイツの税金で賄われる。そしてAの場合、ようやくこの訴えが棄却されたのが、なんと今年の2月。そして、3月18日付で、彼のリトアニア移送命令が効力を発した。

ところが、国外への移送などほとんど行われないのが現在のドイツだ。Statista(ドイツ最大の統計プラットフォーム)の資料によれば、2024年末、国外退去命令の出ている外国人の数は22万1000人だが、うち17万9000人はすでに滞在が黙認されている。黙認というのは、退去は強制されず、グレーのままドイツに留まれる状態。現在、この状態で一番多いのが、イラク人、アフガニスタン人、トルコ人だという。

そして、現実としては、これがいずれなし崩し的に正式な滞在許可に変わることが多い。社民党と緑の党はこれまで一貫して、難民をどんどん入れる方針であり、一旦、入ってきた人は、基本的に、たとえ難民資格がない人でも帰したくない。それどころかこの両党は、自分たちが政権を持っていた2024年、ほぼ駆け込みで、帰化の条件を抜群に緩和してしまった。

さて、Aに話を戻すと、その後、Aがすでに22年、女性に対する暴行事件を起こし、不起訴となっていたことが分かった。さらに昨年、公衆で女性に向かって下半身を晒した廉で600ユーロの罰金を課されたが、支払い能力がなく、その代替刑として拘禁されていたこともわかった。

さらに、今年の5月には、国外退去の命令に従わなかったため、警察はAを、そういう人たちを、逃亡しないように拘禁しておく施設に収監しようとしたが、今度はそれを同州の簡易裁判所が妨害した。Aに逃亡の危険はないというのが、裁判所の主張だった。要するに、ドイツで強制送還など、ほとんど絵に描いた餅なのだ。

相次ぐ騒動と警察の無策

驚くべきことは、まだある。Aはリアナが亡くなった日の昼間、無賃乗車で検札にひっかかり、抵抗したため、警官沙汰になっていた。さらに14時には、今度は地元の役場で暴れ、やはり警察が呼ばれた。その後、Aは駅に行って暴れ、挙げ句の果てに殺人を犯したと思われるが、2時間ほどで釈放となったことは、すでに書いた。

ところが、それから2時間も経たない18時40分ごろ、今度は自分の住む難民宿舎で暴行を働き、再び警察に通報があった。駆けつけた警官は彼を精神病院に運んだというが、それでもまだ、Aをリアナの事件と関連付ける事はなかった。

ドイツでは、難民の暴行よりも、市民の駐車違反の方が厳しく罰せられるといわれて久しいが、いくらニーダーザクセンは社民党と緑の党が政権を持っている州だとはいえ、よくもまあ、こんな犯罪者を長年放置し、好き放題させていたものだ。

警察がようやくAを逮捕したのは、8月29日のことだったが、コメントを求められた社民党の政治家は、「悲惨な事件ではあるが」と前置きをしながらも、「しかし、私たちはヘイトや煽動に走ってはいけない」と、罪もない少女の死よりも、自分たちのイデオロギーを保つことに必死だった。このいつもの繰り言に、私は心の中に稲妻が走るほど腹が立った。

主要メディアが、なるべくこの事件を小さく扱おうとしている一方、前述の『ユンゲ・フライハイト』紙が、リアナの母親のインタビューに成功している。

母親は、自分の夫とリアナの2人の兄弟を巻き込まないこと、そして、自身の顔にモザイクをかけるという条件で取材に応じたというが、母親の慟哭が見ているものの心に迫る圧巻の取材だった。

今回、『ユンゲ・フライハイト』やAfDなどがリアナの母親に寄り添ったこともあり、地元では、せめてリアナの埋葬費を援助しようという声が上がり、あっという間に24,000ユーロの寄付が集まった(9月1日の時点)。一方、Aは精神を病んでおり、罰せられないだろうという話も伝わってくる。

難民政策の破綻と国民の怒り

いずれにせよ、ドイツの難民政策がここまで破綻していなければ、Aのような危険な人物が、ドイツ国民の税金で自由に歩き回るという事態だけは避けられただろうから、おそらくリアナが死ぬことはなかった。

その理不尽に対する怒り、それを止められない悔しさが、今、多くの国民の胸にある。しかし、前政権の社民党の厚生相などは、当時、難民はトラウマを抱えているのだから、ドイツで心理テラピーを提供すべきだと言っていた。難民を労わることの方が、国民の安全よりも優先されているという印象を拭いきれない。

日本政府には、今こそ、ドイツで何が起こっているかをしっかりと見極めてほしい。

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