「もみ洗いでうつに」育児の悲鳴が生んだ魔法の洗剤「手間は愛情」の呪縛を解くママ社長の執念
「布おむつの汚れを落とす毎日に疲れ、うつ病になりました」。一通の悲痛なメールから「執念」を燃やしたひとりの主婦がいました。洗濯研究家・平島利恵さんが開発したのは、つけ置きだけで汚れを落とす洗剤。しかし、開発の裏側には、ママ友20人に頭を下げてナプキンの写真を撮ってもらい、みずからはシングルマザーとして名刺1500枚を交換して手売りしながら全国を回る、想像を超える執念がありました。「手間をかけるのが愛情」という育児の呪縛を、ビジネスという武器でブチ壊したママ社長の、逆転の記録です。
【写真】「もみ洗いせずにこの白さ⁉︎」平島さんが開発した魔法の洗剤を使った「汚れのビフォーアフター」(全16枚)
「布おむつでうつ病に」一通のメールが人生を変えた
平島さんが手がける布おむつ専門店「エストランセ」の商品── 平島さんはもともと布おむつ専門の販売会社として起業したそうですね。きっかけは東日本大震災が発生し、紙おむつが買えず、布おむつを使い始めたことだったとか。
平島さん:はい。1人目の子どもが生後2か月のころでした。震災の影響で店頭から紙おむつが消えて。仕方なくスーパーの片隅に残っていた布おむつを使ってみたら、ゴミが出ないし節約にもなる。私には快適でした。それでオリジナルの布おむつ販売を始めたのですが、ある時、ユーザーのお母さんから悲痛なメールが届いたんです。
「汚れを落とそうと必死になる毎日に疲れ、うつ病になりました。もう布おむつの使用は諦めます」と。良かれと思って勧めたものが、こんなに悩ませることになるなんて…と申し訳ない気持ちになりました。そこで「もみ洗いなしで落ちる洗剤」があれば、つらい思いをさせずに済むかもしれない、と思ったんです。
── ご自身も布おむつを使っていて、洗濯自体にストレスではなかったのですか?
平島さん:私自身は洗濯がわりと好きなので、大変だと思っていなくて。でも、ママ友に布おむつをプレゼントしても、後で聞くと気まずそうに「実はもみ洗いするのが面倒で使ってない」と言われたことが何度かあったんです。じゃあ、もみ洗いなしで落ちる洗剤があればもっと気軽に布おむつを使ってもらえるんじゃないか、と考えました。
── 2人目の出産後に家庭の事情で渡米。ニューヨークでの洗濯事情も開発のヒントになったとか。
平島さん:アメリカ人は「汚れたらブリーチ(漂白)」という考えで、もみ洗いする人は少ないんです。でも、漂白剤は汚れを落とすのではなく壊しているだけ。色落ちもするし、においも強い。赤ちゃんが身につけるものに使うのは抵抗がありますよね。
アメリカは洗剤の種類が豊富だったので、現地で100種類以上試してみたのですが、どれを使っても布おむつの汚れは落ちませんでした。「日本で開発するしかない」と決意し、ふたりの子どもを連れて帰国(のちに離婚)。大阪の実家に身を寄せました。
「うんちが落ちる洗剤を作りたい」門前払いの開発現場
ブリーチが並ぶアメリカのドラッグストア── 素人の洗剤開発。最初は相手にされなかったそうですね。
平島さん:洗剤業界は参入ハードルが高く、どこも新しい面倒な仕事はやりたがらないんです。でも何度もお願いをして、やっと一社から話を聞いてもらえるようになりました。そこで「あなたはいったい何がやりたいの?」と聞かれ、「赤ちゃんのうんちが落ちる洗剤がつくりたいんです!」と訴えました。
── 洗剤を開発するにあたって、苦労された点は?
平島さん:その会社はクリーニング屋さんが使う業務用の洗剤を作っていたので、汚れがかなり落ちる洗剤を何種類も持っていたんです。ただ、プロ仕様の洗剤は、汚れに合わせて数種類を混ぜるのが常識。でも主婦には無理じゃないですか。あらかじめ混ぜてしまうと洗浄能力を打ち消しあってしまうと言われましたが、「スプーン1杯のつけ置き」にはこだわりました。
── 産後の育児で疲弊している母親にとっては、大事なポイントだと思います。
平島さん:汚れ落ちの効果を高めるために80℃のお湯を使うことも提案されましたが、高温だと赤ちゃんがいる家庭では危険だし、扱いづらいですよね。「お風呂のお湯程度(40℃)」で溶けること。これも譲れない条件でした。
ママ友の「経血」で大実験。「平島はやばい」と言われても
── 開発には2年。完成した試作品のテストが凄まじかったと伺いました。
平島さん:完成した試作品は赤ちゃんのうんち汚れだけでなく、人間の体から出る汚れであれば、汗じみや黄ばみ、血液も落ちる画期的なつけ置き洗剤でした。それなら布おむつ専用にするにはもったいないと感じたんです。血液が落ちるなら…と、20人の女性を集めて、経血が落ちるかの実験をお願いしました。布ナプキンを配り「使用前・使用後の写真を撮って送って」と必死で頭を下げました。
── それは…お願いするのも勇気がいりますね。
平島さん:友達の生理周期も把握して、近づいたら「お願い」と念押ししていました。後から聞いたのですが、裏のグループLINEでは「平島はやばいよね」と言われていたみたいです。ただ、私としてはずっと頭の片隅に「汚れを落とそうと必死になる毎日に疲れました」というお母さんからのメールが残っていましたし、洗濯に悩む人たちを救いたい一心だったんです。そのおかげで「血液もきれいに落ちる」という絶対的なエビデンスが得られ、説明書のポイントも絞ることができました。2016年に「Rinenna(リネンナ)」というブランドを設立。翌年の7月に洗濯洗剤を発売しました。
システムトラブル、資金喪失。シングルマザーの全国行脚
スプーン1杯のつけ置きにこだわった── しかし直後に経営危機に陥ったとか。
平島さん:販売を機にECサイトの運営をお願いした会社のエンジニアがいい加減で、決済システムが崩壊。100人以上がカートに入れてくれたのに、70人も決済できない状態だったんです。初期出資に加え、改修費用にさらに500万円かかると言われ…。同時に採用ミスから金銭トラブルもあり、在庫や資金が一気に底をつき途方に暮れました。
いま思えば、経営計画を立て、貯金があるうちに銀行に融資してもらう、採用や取引に慎重になるべきだと思うのですが、当時は本当に無知でした。布おむつで稼いだお金が一気になくなりました。
── そこからどのように資金難を乗り切ったのですか?
平島さん:知り合いから、生命保険会社の朝礼にはりんごやみかんを売りに来ている農家さんがいて、営業社員がお客さんに配るために結構買っていると聞いたことが転機です。伝手をたどって生命保険会社の朝礼に参加させてもらい、テレビ通販の実演販売のようなことをしました。北海道から熊本まで全国の営業所にお邪魔させていただき、洗剤を売って回ったんです。手元に残った保険会社の方の名刺は1500枚にも及びます。とはいえ、借金返済などもあり、利益が出るまでには時間がかかりました。
伊豆旅行中にスマホが鳴り止まない「1枚の投稿」が変えた運命
── 使ってみれば汚れがよく落ちるとわかるかもしれませんが、ECサイトで初めて買う方には、価格(取材時:1箱1kg入り5,350円)も含めてハードルが高そうです。
平島さん:その通りです。気になる汚れものだけをつけ置きする洗剤なので、毎日使うわけではないのですが、洗濯洗剤としては高く感じますよね。でも宣伝費にお金を回す余裕はない。そこで、インフルエンサーの方に、使ってみて良かったらSNSで投稿してもらえると嬉しいですと、商品を差し上げることに。いまでこそ当たり前の宣伝手法ですが、当時はかなり珍しかったんです。
── 転機は2019年9月。突然訪れたそうですね。
平島さん:忘れもしません。交通費も払えない情けない状況で、両親に連れて行ってもらった家族旅行中でした。そしたらスマホの通知が止まらなくなって。どんどん注文が増えていきました。たどってみたら、あるインフルエンサーさんが「ソファカバーをつけ置きしてみた」という投稿をしてくれて、それが爆発的にバズっていたんです。
── 執念が実った瞬間ですね。
平島さん:翌日も注文が増え続け、「すぐに帰って発送作業をしないとまずい!」と旅行を切り上げて帰宅しました。「布おむつの汚れを落とす毎日に疲れた」というメールをいただいてからすでに5年。洗剤を一箱ずつ梱包しながら、執念をもって洗剤の開発に取り組んだ結果が、これだけの人に届いたんだ、と思うと感慨深かったです。「Rinenna(リネンナ)」を使ったら、うんち汚れが落ちた。加齢臭が消えた。子どもの服がよみがえった。洗濯が楽しくなった。徐々にそうした声が届き始めるようになり、誰かの役に立てている実感を持てるようになりました。
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「手間をかけること」が愛情の証。そんな育児の呪縛に、平島さんは「汚れを落とすのは科学。もみ洗いは仕組みで手放せる」と、身をもって証明しました。ママ友から「やばい」と言われ、全国の営業所を泥臭く回って届けたのは、単なる洗剤ではなく「母親の貴重な時間を守る」という彼女の執念です。あなたは、本当は手放してもいいはずの苦労を、ひとりで背負い込みすぎてはいませんか。
取材・文:富田夏子 写真:平島利恵