あなたの「怒り」がロシア、中国に利用されている…日本世論を操作しようとする影響力工作の恐ろしい手口 使われるのは「偽」の情報だけではない

ロシア、中国による影響力工作が知らず知らずのうちに日本でも始まっている。情報セキュリティ大学院大学客員研究員の長迫智子さんは「彼らは『ディスインフォメーション』を使い、社会の分断と混乱を狙っている」という。その実態と対策をライターの梶原麻衣子さんが聞いた――。

撮影=プレジデントオンライン編集部

長迫智子さん

――今年7月に行われた参院選では、政府や一部メディアが「ロシアによる選挙介入という認知戦」の展開を報じました。なぜ「ロシアの介入があった」と判断できたのでしょうか。

【長迫智子氏(以下敬称略)】政府外からコメントできる範囲としては、あくまでも先行研究やSNS上の動向など公開情報からの「推測」になります。

これまでのロシアの選挙介入の前例やロシアのボットネットワークがどれだけ日本で広がっているかなどの分析がアメリカのシンクタンク「大西洋評議会」内にある DFRLab(Digital Forensic Research Lab)からも出ており、そうした調査結果の蓄積から、「選挙時にこうしたボットが活発に活動し、選挙に影響を与えようとした」と判断できる蓋然性が非常に高い状態にあった、ということは言えるのではないかと思います。

政府からも青木一彦副官房長官(当時)や平デジタル大臣(同)により、選挙への介入を警戒するコメントが発表されました。青木副官房長官は7月16日の記者会見で、外国からの選挙介入について「我が国も影響工作の対象になっている」との認識を明確に示していました。その後、プラットフォーマー側にも照会が行われたうえでいくつかのアカウントが停止されています。

こうした動きから、ロシアが工作に関与していると判断し得る確度の高い情報があったのではないかと考えられます。

認知戦で使われる「情報」とは

認知戦においては、偽情報という言葉が政府やメディア等で使用されますが、実態を考慮すると「偽」の情報だけに警戒すればよいという誤った印象を与えてしまう訳語だったのではないかと個人的には考えています。

影響力工作で多用されるディスインフォメーションは、フェイクの情報も含みますが、事実である情報が誤った文脈で用いられたり、ハッキングによりリークされた機密情報など表に出るべきでない情報が利用されたりすることもあります(図表1)。

そのため、ディスインフォメーションを日本語で表すなら、「歪曲された情報」といったニュアンスがより正確ではないかと思います。

諸外国での用法を総合すると、ディスインフォメーションは、社会、公益への攻撃を目的とした害意のある情報で、情報自体が偽であるだけでなく、情報自体は真であるが誤った文脈や操作された内容で拡散されるものなど、真偽どちらもありうる、と定義できます。


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――中国が政府主導で行った認知戦の事例にはどのようなものがありますか。

【長迫】代表的な事例としては、2023年の福島原発処理水排出に関するディスインフォメーションキャンペーンがあります。

ディスインフォメーションの拡散だけでなく、処理水(treated water)を「核汚染水(nuclear contaminated water)」と呼ぶなどといった印象操作も行われました。

放水以前の温度変化による海面変化の画像を悪用して、「汚染水の影響がこんなに広がっている」というようなフェイク画像などが中国で作られ、同様のディスインフォメーションが日本にも有入され拡散されるとともに、同じ中国語圏である台湾でも広く拡散されました。

写真=iStock.com/EyeEm Mobile GmbH

※写真はイメージです

しかも中国はSNS内の情報拡散だけでなく、太平洋島嶼国に対して現地の活動家を扇動して「汚染水放出反対デモ」を組織していたという報告もあります。外務省は原発処理水に関してはかなり積極的に科学的根拠に基づく解説や反論を発信していましたが、こうした国々にまできちんと届いていたかは不明です。日本国内に対するディスインフォメーション対策も必要ですが、海外で拡散される日本に関するディスインフォメーションにも並行して対処する必要があります。

――政府が反論しても、政府を信じない人たちからすると逆効果になる可能性もあるように思いますが。

【長迫】初めから政府の発信を信じない人も確かにいるのですが、「これは本当なのかな」と疑問に思っている人に対しては、公的な政府発信による一次ソースの信頼性や説得力が効果を発揮します。ディスインフォメーションが広まることを危惧する方々にとっても、信頼できる参照情報があればそれを根拠に正しい情報を広め、偽・誤情報に対する反論ができますが、何もなければ対処のしようがありません。

オードリー・タンが始めた画期的な対策

例えば認知戦への対策が進む台湾はIT大臣を務めたオードリー・タンが音頭を取って、「2-2-2の原則」を推進してきました。誤った情報や害のある情報が確認されてから「20分以内」に、「200字以内」で、「2枚の画像」を付けた形式で、迅速かつわかりやすい発信で有害情報を打ち消す運用を行政府は求められています。

オードリー・タン、2025年3月10日、South by Southwest 2025(写真=Rosiestep/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

また2019年からLINE Fact Checkerという取り組みが始まっていて、ユーザーが疑わしいと思う情報をLINEで質問すると、即座に「フェイク」「真実」「一部真実」という判定を下してくれるのです。

もちろん、ここまでやってもすべてのディスインフォメーションを打ち消せるわけではありませんが、政府やプラットフォーマー、ファクトチェック団体等がこれだけ積極的に協働しているという姿勢をみせることによって、国民の理解も高まっています。

影響力工作かどうかは明らかではありませんが、最近の日本でもアフリカ開発会議(TICAD)に関連して、「JICAアフリカ・ホームタウン」構想に関する偽・誤情報が大量に拡散されました。

「ホームタウン」という言葉が移民促進事業を連想させ、またナイジェリア政府のプレスリリースやタンザニア現地報道が特別ビザ創設など誤情報を含んでいたことで、国内で大きな反発を呼びました。

拡散された偽・誤情報の例では、JICAの「海外青年協力隊などで海外に派遣された経験のある日本人を、町おこしの一環として地方に定住させる」という取り組みに関する古い資料が「定住」という言葉や海外への言及から「アフリカ・ホームタウン」構想と結び付けられて、「JICAがアフリカの人々の定住を進めようとしている」と曲解した形で拡散されたものもありました。

JICAもこれらが「誤った情報である」ことは発信、反論していましたが、SNSで逐次訂正情報を出すなど後手に回ってしまい、偽・誤情報対策には不慣れだったと思われます。

社会で議論を呼び起こしそうなトピックスについては、あらかじめファクトシートを用意するなど、情報を出すタイミングや出し方については改善の余地があるのではないかと思っています。


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――ロシアのボットが拡散していたのは「日本政府は信用できない」といった内容の書き込みだったようですが、そうしたアカウントは日本人ユーザーのものも多くありました。こうしたユーザーには工作に加担しているという自覚があるのでしょうか。

【長迫】現時点では、ボットネットワーク周辺で拡散に利用されているアカウントが、ロシアから金銭の支払いなどを得ていたのかは分かっていません。単純に、金銭的なインセンティブからインプレッションを稼ぎやすい話題を拡散していただけのアカウントもいると思われます。

ただし、過去に南米でロシアと中国が連携してディスインフォメーションを広げようとした際に、ローカルなインフルエンサーに資金を提供して拡散させるという事例が確認されています。そのため、日本でも同様の事例が既に存在する可能性はあります。

中国の例で言えば、台湾で活動している大陸系のインフルエンサーに投資する、あるいは 愛国的なネットユーザーたちがインフルエンサーにスーパーチャット(投げ銭)をしています。2019年の調査では、台湾のトップ10に入るインフルエンサーのうち7人が、そうした中国からの投資や、意図が疑われるような不自然な投げ銭を受けていたという調査結果もあります。

こうしたケースではインフルエンサー側も「一つの中国」というナラティブを支持するような発信をすると投げ銭が増えることはわかっているはずですから、工作の指揮命令系統になくともある程度自覚して加担している場合もあるのではないでしょうか。

認知戦はSNS以外でも

――ネットを介してのロシアの選挙介入は2016年のイギリスのブレグジッドに関する国民投票や、アメリカの大統領選におけるものが有名でしたが、ついに日本にもその矛先が向いてきたんですね。

【長迫】2016年以降、活発化してきたと言っていいと思います。ロシアは当初、自身の権益や影響力に関わる欧米やアフリカに対する選挙干渉に力を入れていました。そしてロシアがサイバー空間で影響力工作を拡大させているのを見て、中国もその手法を学び、これまでのプロパガンダ的発信だけでなく社会の分断を煽る工作も採用して実践するようになりました。

もともと中露は軍同士の交流も深く、人員を派遣するなどして連携を強めてきています。中国はインド・太平洋側に注力していて、特に中国が「核心的利益の中の核心」と位置付ける台湾は工作のメインターゲットとされています。 

認知戦というとインターネット空間やSNS上でだけ行われるというイメージですが、実際にはメディア買収からサイバー攻撃、物理空間での体制破壊的行動の煽動までを含む広い範囲で展開されています。

軍事的な欺瞞作戦から発展して、認知領域への攻撃や心理操作については、ロシアはソ連時代から培ってきたスキルやノウハウがあります。

また中国も台湾についてはラジオやテレビを使った工作を一貫して行ってきています。現在も、ロシアや中国はアフリカなどでメディア企業に積極的に投資を行ったり、自国の国営メディアのネットワークを各地域に広げるなどしてあらゆるチャンネルを通じて活動を拡大しています。

認知戦とは、こうしたあらゆるチャンネルから攻撃の意図をもってさまざまな手法を使いながら相手国や国民の意思決定を操作して、社会を分断し混乱に陥れようとするものです。そのため、私も含め安全保障の分野という認識でこの問題をとらえている専門家や研究者が増えてきています。


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――そうした不確かな情報を流布する人たちが、工作の片棒を担いでいるのか、単なるインプレッションや収益稼ぎなのか、承認欲求なのか、「自分では本当に正しいと思い込んでいるのか」が見分けられません。

【長迫】この点に関してはかなり注意が必要です。というのも、認知戦という概念が広まったことで、意見や認識の異なる相手を「お前はロシアか中国の手先だろう」と決めつけるような人たちも出てきてしまったためです。

認知戦では、社会の分断を深めることも狙いの一つであるにも関わらず、認知戦の知識のある人たちによってむしろ分断が広まってしまう皮肉な状況となっています。

本来、あるアカウントが外国勢力のボットなのかどうかというようなことは政府やプラットフォーマーが技術的、政治的にアトリビューション(帰属の特定)を行って判断すべきことです。

アイコンがAI画像であることや、位置情報や使用言語で推定できる部分もありますが、一ユーザーが調べられるアカウント情報には限界があります。そのため、ユーザーは、発信している情報の真偽や文脈、ナラティブに注目すべきでしょう。

前述の通り、ディスインフォメーションは日本では「偽情報」と訳されることが多いのですが、実際には社会に対する攻撃のために意図的に流される情報の7割が真実、3割が虚偽という割合だと信憑性が出やすく、信じられやすいとされています。

ロシアによる情報戦・認知戦に関する学術的発信でも、ディスインフォメーションを「嘘と真実の割合を注意深く調和させること」と定義してもいます。

ディスインフォメーションを丸ごと「偽である」と認識してしまうと、むしろ部分的に正しい情報を指摘されて「フェイクニュース扱いしているが、これは事実だ」と言われる余地が生じてしまいます。

そのため、ディスインフォメーションを偽情報と呼ばない方がいいのではないかと考えていまして、このことはメディアの方々にも事あるごとにお話ししているところです。

生成AIで作られた巧妙なウソ動画

――2016年のピザゲート事件や、2021年の米議会襲撃事件を目の当たりにして「日本はまだアメリカよりはマシな状態だ」と思っていたのですが、だんだん近づいてきている気がします。これはスマートフォンの普及や、それに伴う動画メディアの流行も関係しているのでしょうか。

【長迫】技術的変遷とネット空間でのナラティブの推移の両方があるのではないかと思います。

技術面で言えば、やはり動画中心のSNSの登場、インフルエンサーによる動画配信の活発化、ショート動画などの流行により、これまで以上にエモーショナルなアテンションエコノミーが拡大してきました。SNSは基本的に感情の伝染によって広がる面がありますので、テキスト以上に情動に訴えやすい環境となったわけです。

また生成AIの進展によって、大量かつ多言語のディスインフォメーションが作られやすくなった面もあります。ロシアの「ドッペルゲンガー」というキャンペーンでは、AIを使ってウクライナ支援を止めさせるためのナラティブを広める画像が大量生成され、拡散されました。

例えばハリウッドセレブの画像をAIで加工して「ウクライナ支援にこれだけの巨額のお金が使われている。あなたは疑問に思いませんか」というようなことを言わせているものです。

ドッペルゲンガーキャンペーンは、アメリカだけでなくドイツやフランスでも確認されており、人物も言語も各国仕様にカスタマイズされた発信内容になっていました。以前であれば一つひとつ手作業で編集していたものを大量に生成できますし、言語の壁も超えてしまうので、認知戦の動きも活発になって高度化、巧妙化しています。

撮影=プレジデントオンライン編集部

怪しげな情報に対しては「いったん踏みとどまることが大事」と長迫さんは話す。


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――そもそもの不安や怒りを取り除くことも必要ですね。

【長迫】反ワクチンであれ、ディープステート論であれ、そうした情報に深入りしてしまう人は、社会に対する不満や不安を抱いているかたも多いと考えられています。

そうした人に「あなたは間違っている」「正しい情報はこれだ」と押し付けてもあまり効果がなく、むしろ意固地になって余計に別の情報を受け入れなくなってしまうことさえあります。

そのような認識レベルが深刻である方々には、無理やり正しい情報を押し付けるのではなく、なるべく別の楽しみに誘導する、孤立している人であるならばコミュニティとして受け入れるなどの心理的、社会的なアプローチも必要になります。

最近の研究では、陰謀論者をAIチャットボットと対話させると、陰謀論への確信度が減少したり信念を変化させることが出来たという研究もあるので、そうした技術的アプローチにも期待できるところです。

認知戦下で狙われやすい分断を社会に生じさせないためには、政府やプラットフォーマーの対応だけでなく、SNSユーザーの方々のユーザーの方の振る舞いや、メディアの報道のあり方、リテラシー教育などあらゆる角度からの対策が求められます。

情報戦・認知戦という観点では、サイバー空間に接続したときに市民一人ひとりが戦場に立っていることとなり、国民も政府も含め、すでに認知戦の文脈では有事のさなかにあることを意識した対応が必要です。

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