「日本を売らない限り出国できそうにありません」…中国のハニートラップにかかった"エリート外交官"の最期 中国が「喉から手が出るほど欲しい」情報とは
各国の大使館や外交官には、いわゆる「外交特権」が適用される。その実態とはどのようなものか。元警視庁公安部外事課の勝丸円覚さんは「大使館は外国であり、外交官は日本の法律の外側で行動できる。大使館の敷地内で事件が起きても警察は許可なく捜査できないし、外交官が事件を犯しても許可なく身柄を拘束することはできない」という――。
※本稿は、勝丸円覚『日本で唯一犯罪が許される場所』(実業之日本社)の一部を再編集したものです。
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フジが報じた「駐禁違反金踏み倒しリスト」
青ナンバー車(※外交官が使用する車)に関して時折、話題になるのは、路上駐車をしている青ナンバー車を日本の警察が取り締まれず、違反が確認されても罰金が支払われないケースがある、といった報道だ。
警察庁が公開している「駐日外交団車両による放置車両確認標章取付(違反)件数」によれば、青ナンバー車による駐車違反は2020年に1137件となっており、実際には取り締まれないわけではない。現場の警察官が「青ナンバー」「外交特権」にひるんで注意程度で終わっていた事例もあるが、近年は外務省からも駐車違反について各国大使館に相応の申し入れが行われているし、警察側も違反を指摘するようになった。ただし、中国やロシアのように、違反金を踏み倒す国はいまなお、存在する。
2024年末にはフジテレビが情報公開請求を行って明らかになった「駐禁違反金踏み倒しリスト(2023年度末までの数字による)」を報じているが、これによると2023年度の踏み倒しの多いワースト国1位はロシア。以降、中国、エジプト、カザフスタン、イランと続いている(https://www.fnn.jp/articles/-/804353)。
フジテレビが報じた「警察庁まとめ」の数字を基に制作
ならず者外交官を黙らせる「3つの言葉」
大使館は港区に多く、六本木や銀座など華やかな繁華街に繰り出す外交官たちは、青ナンバー車に乗って、路上駐車を繰り返しているのだ。違反金の支払いを踏み倒しても「おとがめなし」となれば、まるでルールを守らない外交官もいるのである。だが、そうした相手であっても、次のような言葉を出すことで相手を説得できることがあるのだ。
それは「MOFA」「プロトコール」、そして「ペルソナ・ノン・グラータ」の3つである。
まず「MOFA」は日本外務省(Ministry of Foreign Affairs of Japan)の略称だ。自らの行いが日本外務省の知るところになれば、勤務する大使館や本国の知るところともなる可能性が高まる。そのため、警察が「MOFA(に言いつけるぞ)」という姿勢を見せることで、相手の態度を軟化させることができる。
同様に「プロトコール(protocol)」も相手には効く。プロトコールとは外交儀礼のことであるが、特に外交関係者が使う場合には、外務省の中でも各国外交官の接遇などを行う儀典官室(Protocol Office)」を連想する。「MOFA」と同様、「プロトコール」と口にすると相手は「あ、儀典官室に伝えるのはちょっと待ってくれ」と事を荒立てずに済ませられる方法を受け入れることがある。
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PNGは、発動されたら48時間以内に国外に出なければならない。外交特権を失い、逮捕される危険が出てくるからだ。通常多くの外交官は、PNGが発動される前に、その兆候を掴んだり、犯罪が露見した段階で出国する。
例えば日本国内で起こった、韓国の政治家である金大中が誘拐された金大中事件では、金大中が連れ去られたホテルの部屋から、韓国大使館の一等書記官の指紋が検出されている。この一等書記官はKCIA(大韓民国中央情報部、現在の国家情報院の前身)という韓国の情報機関の出身者であり、警察は出頭を求めたものの外交特権を盾に拒否。日本政府はこの一等書記官にPNGを発動したが、その外交官はすでに出国し帰国していた。
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金大中事件の現場となったホテルグランドパレスの22階廊下=1973年8月、東京都千代田区
2010年、コートジボワールの外交官が大使館カジノの運営にかかわったことが発覚した際にも、やはりPNGを発動され、当該外交官は48時間以内に出国している。ところがその後、当該外交官は事件が時効になる前に再び日本にやってきたため、うっかり戻ってきたところを成田空港で逮捕されている。「家族に会うために戻ってきた」と供述していたそうだが、こうした事例はかなり稀である。
筆者が所轄の警察官に教えたこと
通常の場合、「PNG」を突き付けられることは国家にとっても、外交官個人にとっても不名誉極まりない。そのため、トラブルを起こした外交官に対して「あまり無体なことばかりしていると、『PNG』の対象になるぞ」と迫ることで、捜査に協力させることが可能になるのだ。ただし、これは結果的に国外退去の可能性も含むかなり強いカードなので、事故などの現場では「MOFA」「プロトコール」を使うのが適切だろう。
もちろん、現場でトラブルに対処する警察官や連絡員のリエゾンが、外務省と同様の処遇を外交官に課せるわけではない。しかし、まさに現場でトラブルに対応しなければならない警察官がこうした言葉を覚えておくことで、外交官が絡む事件や事故の対処が格段にスムーズになるのも確かだ。そのため、筆者はリエゾンとして麻布警察署や赤坂警察署など、大使館を多く抱える所轄に、この言葉を覚えてほしいと講義したこともある。これらは、外交官が最も聞きたくない、おとなしくならざるを得ない言葉だからだ。
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そうした、いわば魔法の言葉の中でも最も強いのが「ペルソナ・ノン・グラータ(persona non grata/PNG)」だ。これはラテン語で、「好ましからざる人物」「招かれざる客」を意味する。外交用語では、特定の外交官に対して受け入れ側が「資格なし」と見なした場合、派遣国にその旨を通達し、国外退去させることを意味する。
ウィーン条約にはこう書かれている。
第九条
1 接受国は、いつでも、理由を示さないで、派遣国に対し、使節団の長若しくは使節団の外交職員である者がペルソナ・ノン・グラータであること又は使節団のその他の職員である者が受け入れ難い者であることを通告することができる。その通告を受けた場合には、派遣国は、状況に応じ、その者を召還し、又は使節団におけるその者の任務を終了させなければならない。接受国は、いずれかの者がその領域に到着する前においても、その者がペルソナ・ノン・グラータであること又は受け入れ難い者であることを明らかにすることができる。
2 派遣国が1に規定する者に関するその義務を履行することを拒否した場合又は相当な期間内にこれを履行しなかつた場合には、接受国は、その者を使節団の構成員と認めることを拒否することができる。
「外交特権」を失い、逮捕される可能性も
受け入れ側には強制的に外交官を国外退去とする力はないが、PNGが発動されると外交官は外交特権を失う。つまり、警察による捜査も逮捕も可能となるため、PNGを発動された外交官は多くの場合、本国の指示で国外へ退去することとなるのだ。
2022年のロシアによるウクライナ侵攻直後には、日露間で「ペルソナ・ノン・グラータ」を外交官に対して発動し合う一幕があった。ロシアの侵攻に批判的な日本に対し、ロシアが在ウラジオストクの日本総領事館の領事官に対してPNGを発動し、国外退去させた。それに対抗し、日本側もロシアの在札幌総領事館の領事官をPNGに指定。国外退去を命じたのである。
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これはPNGを発動されたと言っても、個人的な資質が理由ではなく、むしろ国同士の対立の中で起こったことである。ロシアは欧州各国との間ではより激しい「PNG合戦」を展開していたほどだ。
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日本にやってくる各国の外交官の悪事や生態を見てきたが、ここで日本の外交官についても見ておきたい。各国の外交官が日本で外交特権を持つ特別な存在として活動しているのと同様、日本の外交官も任地で外交特権に守られている。
女性と情報という観点で言えば、2004年に在上海総領事館館員自殺事件が起こった。在上海総領事館に勤務していた日本の領事官が、現地でカラオケ店に勤務する中国人女性と交際していたが、この女性が中国の情報当局とつながっており、領事官は中国の情報機関から徐々に機密性の高い情報を提供するよう、要求されるようになっていった。
この領事官は「電信官」という役割を担っていた。電信官は、世界各国234カ所にある在外公館と外務省の情報伝達を担う。外務省と在外公館でやり取りする公電(電報)で使用される暗号電文を組み立て、解除するシステムを唯一把握するポストにいたのだ。中国からすれば、その暗号システムや通信内容は喉から手が出るほど欲しい情報だったに違いない。まさに、この領事は中国のハニートラップにかかってしまったのである。
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その後、領事官がユジノサハリンスクに異動になることがわかると、中国の情報機関員は激高。「女との関係を本国に通報する」などと脅し、追い詰められた領事官は領事館内の宿直室で首を吊った。遺書には「あの中国人たちに国を売って苦しまされることを考えると、こういう形しかありませんでした」
「日本を売らない限り私は出国できそうにありません」と綴られていたという。
日本の外交官の車がフランスで「ひき逃げ事件」
この事件は悪事というよりも、ハニートラップの手口に対処できなかった悲劇に近いが、外交特権に胡坐あぐらをかいたと言われかねない事件も報じられている。
2002年、フランスで起こった「日本人外交官夫人によるひき逃げ事件」がそれだ。『週刊ポスト』が現地紙の報道を引いて「13歳の少年が、外交官ナンバーの車に撥ね飛ばされたが、運転手は救急車を呼ぶこともなく、そそくさと逃亡」「目撃者が書き留めたナンバーから、日本大使館の外交官の車であることが判明」「しかし外交特権に守られて現地警察が介入できず」と報じている。
夫人がひき逃げをしたと報じられた当の外交官は、「ひき逃げではなく、ローラースケートを履いた子供が車にぶつかってきた」「保険手続きを行っている」と弁明を行っている。また、外務省も「ひき逃げ事件ではなく当事者間での話し合いが継続中」と回答した。この事件は外交官本人ではなくその夫人が起こしたものだが、外交特権の一部は家族や使用人にも及ぶとともに、外交団車両はやはりおいそれと手が出しづらいことがわかる。