ほとんどが要介護想定なし…「子に迷惑をかけたくない」という団塊世代が"ヨタヘロ期"に直面する厳しい現実 81歳・社会学者「なぜ親子で老後について話し合わないのか」
国民の6人に1人が75歳以上の後期高齢者という時代が到来。社会学者の春日キスヨさんは「介護の現場の声を聞くと、今の高齢者の多くは、自分がひとりで生活できず、誰かの支援が必要になったときのことを想定していない。そうなってしまう原因には、昭和一桁生まれ、団塊の世代ならではの考え方がある」
※本稿は、春日キスヨ『長寿期リスク 「元気高齢者」の未来』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
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80歳を過ぎても、「平均余命」は男性で9年、女性で12年
超高齢化が進む現代日本では、長寿期に達し、何らかの不自由さを抱える生活になっても、その後、10年あまりの人生を生きる人が増え続けている。
女性の平均寿命は87.14歳。男性は81.09歳。80歳時の平均余命は女性11.81年、男性8.98年で、80歳を過ぎても、男性で約9年、女性で12年ほどの人生が残る(厚生労働省「令和5年簡易生命表の概況」)。
この流れのなか、全人口に占める65歳以上の高齢者の割合は、今後さらに上昇する。
2020年の28.6%が、15年後の2035年には32.3%へ、3人にひとりが高齢者となる。
しかも、今後増え続けるのは75歳以上の高齢者で、65~74歳の割合は、2020年の13.8%から2035年は13.2%へと減少する一方、75歳以上の割合は、2020年の14.7%から2035年は19.2%へと上昇し、75歳以上の人口は2238万人に達する。
核家族を作った昭和一桁生まれ、団塊世代の最晩年は…
そのうち80歳以上の長寿期の高齢者人口は、1153万人から1606万人へと453万人ほど増え、総人口の13.8%を占めるようになることが予測されている(以上「日本の将来人口推計―令和3(2021)~(2070)年―令和5年推計」国立社会保障・人口問題研究所)。
2035年といえば、現在70代半ば過ぎの団塊世代が90歳目前となる。人類未踏の超長寿時代の先陣を切って走るのが、昭和一桁生まれ世代~団塊世代までの高齢者である。
この世代の多くは、戦後日本が大きく変わるなか、親世代との関係では、三世代が同居し老親扶養をする、旧来の「家」制度的な考えや慣行に従ってきた。
一方で、自分たちが築いたのは、夫・妻・子どもの「核家族」で、「豊かな暮らし」と「子どもの高い学力」を目指し、「夫婦中心」「子どもの教育中心」で、高度経済成長期を生きてきた人たちである。
「終わりよければすべてよし」というが、この人たちは最晩年期をうまく乗り切っていくことができるだろうか。
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加えて、長生きすれば認知症の発症率も高くなる。
年齢別に見た認知症の発症率は、加齢とともに上昇し、85~89歳では、女性が48.5%、男性が35.6%(研究代表者 朝田隆「都市部における認知症有病率と認知症の生活機能障害への対応」平成23~24年度)となっている。
これらを考え合わせると、加齢で認知機能も落ち、身体の不自由さを抱えながら、在宅で長寿期を暮らし続ける、そんな人が珍しくない社会になっていくことが見えてくるだろう。
そうした近未来が予測されるなか、いまはまだ元気で自宅で暮らす昭和一桁~団塊世代までの高齢者は、いつまでいまの力を維持できると思っているのだろうか。また、それができなくなったとき、誰に自分の暮らしを補い支えてもらおうと思っているのだろうか。
親の老後について「親子で話し合うことはない」という現実
この世代には「元気で、人の世話にならないことこそ自立」という、高度経済成長期の価値観を保ったままの人や、子どもがいても「親の老後の心配はしなくていい」と子どもを社会に送り出し、「子どもの世話にはなれない、迷惑をかけてはいけない」と考える人が多い。
元気な間の、高齢者のそんな「親子観」を示す調査結果がある(「『親のいま』に関する親子2世代の意識調査」ダスキンヘルスレント、2022年)。
そこでは、親と子の両方の世代に対して、親の老後について話し合った経験の有無を質問しているが、「親子で真剣に話し合った経験がない」割合が圧倒的に多く、親世代で81.6%、「親と別居する」子世代で75.0%を占める。
そして、親世代が子どもと「話し合わない」理由として挙げたものは、「(子に)迷惑をかけたくないから」が90.3%、「まだ健康だから」が89.3%、「自分の子どもに頼ることを想定していないから」が85.5%。この3つが特に多く、他の理由を大きく引き離す事実が報告されている。
しかし、人間にとって「病むこと」「老いること」「死ぬこと」は避けられない。そして、そうなったとき、他の人の力で自分を補い支えてもらい、世話をしてもらう。これも避けられないことである。