「安倍総理」の志継承 高市政権で戦後レジーム脱却へ、戦没者に誓う積極的平和主義の思い

「安倍晋三元総理の志を継承する集い」で登壇する高市早苗首相=7月11日午後、東京都千代田区(奥原慎平撮影)

安倍晋三元首相が令和4年7月に死去してから4年に合わせ、東京都内で11日、「志を継承する集い」が開かれた。安倍氏を支えた政治家やジャーナリスト、元官僚らが登壇し、「戦後レジームからの脱却」の理念を高市早苗政権で前進させることを心新たにした。多くの出席者は今なお「安倍総理」と呼んでいた。

戦後レジーム脱却誓う

「この7月を迎えると心底寂しい気持ちになる。しかし、7月は梅雨から夏に移る。真夏の快晴の空、見渡す限りの青空を見上げると、晴れ男だった安倍総理のことを思い出します。『顔を上げて、前を向いてがんばれ』と声が聞こえてくる気がする」

高市首相はこう語り、安倍氏への思いをにじませた。

ジャーナリストの櫻井よしこ氏は、安倍氏が唱えた「戦後レジームからの脱却」に言及した。

ジャーナリストの櫻井よしこ氏=7月11日午後、東京都千代田区(奥原慎平撮影)

折しも、10日には皇族との養子縁組による旧宮家の男系男子の皇籍復帰を可能とする皇室典範改正案が衆院本会議で可決され、参院へ送られた。

櫻井氏は「戦後レジームからの脱却の最も重要な一歩を踏み出した。安倍総理は皇室典範改正を恐らく最も重要な日本国の立て直しの柱だと位置付けていた」と述べ、「戦後レジームから脱却した日本は、どの国にも負けない心優しい素晴らしい国だ。そのことに誇りを持ち、世界の真ん中に堂々と立つべきだ」と訴えた。

中国への対応についても、安倍氏の言葉を紹介した。

「中国はこちらが仕掛けると、一定程度認める。強引な振る舞いを改めさせるには、力と戦う意思を見せていく。日本はやわな国ではない。決して不条理な支配をもくろむ価値観には屈しない覚悟を、言葉と行動で見せていくことが大事だ」

台湾支えた「自由のパイナップル」

自民党の萩生田光一幹事長代行=7月11日午後、東京都千代田区(奥原慎平撮影)

安倍氏の〝弟分〟といわれる自民党の萩生田光一幹事長代行は、「自由のパイナップル」と呼ばれた出来事を紹介した。

2021年2月、中国当局が台湾産パイナップルの輸入停止を表明すると、安倍氏は台湾産パイナップルを手に笑顔の写真を自身のX(旧ツイッター)に投稿し、「今日のデザートはパイナップル。とっても美味しそう」と発信した。

萩生田氏は「写真は世界中の皆さんがリツイートしてくれてバズった。あれよあれよと、日本中で台湾パイナップルを買おうという運動が広がった。今では輸出先の99%が日本になったそうだ。これも安倍総理が残した大きなレガシーのひとつだ」と語り、台湾との友情を象徴する出来事として紹介した。

日本維新の会の藤田文武共同代表の姿もあった。皇室典範改正を巡る議論について「私も当初からひとかたならぬ思いを持って取り組んできた。迷った時は、安倍総理ならどう考え、何と言っただろうかと振り返る日々だった」と明かした。

日本維新の会の藤田文武共同代表=7月11日午後、東京都千代田区(奥原慎平撮影)

安倍氏が2012年に月刊誌に寄稿した「先祖が紡いできた歴史が壮大なタペストリーだとすれば、その中心となる縦糸は皇室だ。2000年以上の歴史を持つ皇室と、たかだか60年あまりの歴史しか持たない憲法や移ろいやすい世論を同時に論じることはナンセンスでしかない」との一節を紹介した。

そのうえで、「安倍総理が成し遂げようとした志は高市政権に数多く引き継がれている。私も安倍総理の志を継承する皆さまの末席の一人として国家国民のために尽くしたい」と決意を語った。

「戦没者」への祈りが支えた国家観

第2次安倍政権で首相秘書官を務めた島田和久元防衛事務次官は、安倍氏が築いた安全保障政策を「安倍ドクトリン」と位置付けた。

島田和久元防衛次官=7月11日午後、東京都千代田区(奥原慎平撮影)

「安倍政権は、自らの努力で平和を守る国へと日本を転換させた。『安倍ドクトリン』と呼ぶべきものだ。自分の国は自分で守るという当然の防衛努力が、あたかも平和主義に反するかのように受け止められてきた構図を根底から改めたのが安倍総理だった」

安倍氏が掲げた「積極的平和主義」についても、「平和を願うだけではなく、日本自身が平和を守る責任を果たすという考え方だった」と述べ、その政策の根底には戦没者への深い追悼の思いがあったとの見方を示した。

島田氏は、平成25(2013)年12月の靖国神社参拝前の出来事を振り返った。

「(靖国神社に)出かけられる総理に対し、私は思わず『よろしくお願いします』と口にした。総理はただ一言『うん』と言われた。その顔は、ようやく日本国の総理大臣として戦没者に哀悼の誠をささげることができる強い決意を秘めながらも、安堵したような顔だった。今でも忘れることができない」

25年4月に、硫黄島(東京都小笠原村)を訪れた際のエピソードも紹介した。昭和20年3月に2万余の日本軍守備隊が事実上、「玉砕した」と伝わる激戦地だ。

硫黄島の遺骨収容現場で手を合わせる安倍晋三首相(当時、中央)。この後、滑走路に向かう=平成25年4月14日、東京都小笠原村

「私は総理のすぐ後ろを歩いていた。滑走路に入った途端、総理は突然立ち止まり、両膝をついて滑走路を手でなでられた。『この下に眠っておられる…』という風に聞こえた。ひざまずいたまま、滑走路の上で合掌された」

「誰かに見せるためではない場所で、自然に膝をつき、手を合わせられた。戦没者に対する総理の思いの深さを知らされた」

島田氏は、安倍氏が掲げた「地球儀を俯瞰する外交」について、「これは戦没者に対する慰霊の旅でもあったのではないかと感じている」とも指摘した。中央アジアを訪れた際は、抑留のため故郷へ帰ることなく亡くなった日本人が眠る墓地を訪れ、参列者と唱歌「ふるさと」を歌ったという。

島田氏は「安倍総理が目指したのは過去を消すことではない。戦争で失われた全ての命に真摯に向き合い、犠牲者を忘れない。そのうえで、将来の世代には謝罪の宿命ではなく、平和を守り抜く責任を受け継いでもらいたいと考えていた」と述べ、「過去にこうべを垂れるからこそ未来を他人任せにしない。その一貫した姿勢こそが安倍総理の根底にあった」と述べた。

記者団の取材に応じる自民党の古屋圭司・衆院憲法審査会長=7月11日午後、東京都千代田区(奥原慎平撮影)

集いの共催者である自民党の古屋圭司・衆院憲法審査会長は会合後、記者団に「安倍氏が残した実績は枚挙にいとまがない。その精神と志、魂を私たち残された者が受け継ぎ、完成形へと近づけていかなければならない。それが日本が世界から信頼され続ける国であるための取り組みだと改めて心に誓った」と語った。(奥原慎平)

「安倍氏の代わり務まらない」 重圧や苦悩、高市首相が吐露

関連記事: