爆撃で「右手を失った息子」母が隠す父の死 ウクライナの施設に収容されるロシア人のリアル

2022年にウクライナで取材を始めた私は今回初めてロシア人住民を取材した。国境から約10キロのロシア・クルスク州の自宅を空爆で破壊された女性(70)は、ロシアに送還された後はモスクワに住む娘と暮らすという(写真:横田徹) この記事の写真をすべて見る

 今年3月、ロシア国境に隣接するウクライナ北部のスームィで、ロシア人の住民に出会った。両国の激しい空爆が続く中、何を思うのか。 AERA 2025年5月26日号より。

【写真】爆撃で右手を失ったアレクセイ。母は父の死を隠していた

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 ウクライナが占拠していたロシア・クルスク州。ウクライナ軍が拠点とする街、スジャの奪還をめぐって両国間で激戦が続いていた。

 ロシア人の住民が避難生活を送っている施設は、ウクライナ・スームィの中心部にあり、国境近くで暮らしていた76人の避難民が収容されていた。個人スマホの使用が制限され、外出は不可。警備員が施設の出入りを確認していた。

 収容されたロシア人住民の大部分は高齢の老人だ。空爆で怪我をしたのか包帯を巻いている人も見かけた。部屋の中には二段ベッドが三つほど置かれ、わずかな手荷物から着の身着のままで避難してきたことが窺える。

 松葉杖をついたイーラ(38)は、クルスク州で農学者の夫(49)と共に農場を営んでいた。2024年8月6日、ウクライナ軍がクルスクに侵攻後も避難せず、変わらない日常を送っていたという。

「今年2月6日に自宅が爆撃を受け、一緒にいた夫は即死しました。私は何とか瓦礫から這い出すことが出来ました」

故郷を追われ、重傷を負った息子のアレクセイを心配するイーラの顔には苦悩が刻み込まれていた(写真:横田徹)

息子は右手を失った

 この時、息子アレクセイ(11)は別の家にいて難を逃れた。だが翌日、夫の埋葬を終えたイーラがアレクセイとともに友人宅にいた時に再び爆撃を受けたという。

「夕食後に突然、爆撃を受けて瓦礫に埋もれました。助けを求める息子の声が聞こえたのですが、私は右足を骨折していて動くことができず、無事だった友人の息子に、アレクセイを助けるよう頼みました。すぐに近所の人たちが来てくれて応急処置をしてくれました。もう少し遅かったら死んでいたかもしれません。ウクライナ軍の医療施設に運ばれるときに、息子の腕が引きちぎられていたのを見てショックを受けました」


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ウクライナ侵攻
2025/05/23/ 16:00
戦場カメラマン:横田徹
無事に手術は成功したものの、父を亡くしたことは知らされていないというアレクセイ(写真:横田徹)

 ウクライナ軍の応急施設で手当てを受けた後、母子は国境を越えてスームィの病院に搬送されたという。

「病院で手術をした医師から脳に近いところに破片が刺さっていたと言われ、命を失わなかったのは非常に幸運でした。私たちを助けてくれたウクライナ人に感謝しています」

行き詰まる停戦交渉

 アレクセイは父親が亡くなったことを知っているのですか──?

「息子から“お父さんを埋葬したの?”と聞かれたので、病院にいると言いました。でも私がずっと泣いていたので息子は父親が死んだと感づいているのではないかと思います。スームィに来てから息子とは1回しか会っていません。個人のスマホを持つことができないので、電話を借りて息子と話をしています」

 私はイーラの息子アレクセイが入院する病院へと向かった。小児病棟の相部屋に入ると耳から顎にかけて縫合され、右手を失ったアレクセイは、ベッドの上で絵本を積み木代わりにして遊んでいた。医師によると先週までは、精神的なショックと傷の痛みであまり話せなかったそうだ。

「アレクセイは病院に運び込まれた時に頭部に開放創を負い、顎を骨折して意識不明の状態でした。爆発で右手が酷く損傷していたので切断しなければなりませんでした」(女性医師)

 イーラ母子は他の避難民たちと共に、取材をした1週間後には全員、ロシアへと無事に送還された。

マイダン広場では戦死した兵士を追悼する遺影と旗の前で一人の女性が長時間、佇んでいた(写真:横田徹)

 その後、スームィでは4月13日にロシア軍のミサイル攻撃で子どもを含む35人が死亡、同24日には首都キーウで大規模攻撃があり8人が死亡した。停戦交渉が行き詰まり、終わりの見えない状況の中、戦争終結が実現するまでに両国でどれだけの血が流されるのだろうか。

(戦場カメラマン・横田徹)

AERA 2025年5月26日号

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